【GOMORRA】退廃と悪徳のミクロコスモス


  • ここ最近、ギリシャが発火点となったユーロ危機が波及しつつあるイタリア。異常な暴言癖にも関わらず、返り咲きも含めて長く政権を維持した奇人宰相ベルルスコーニは退場したものの、生半可なことでは状況の打開など期待できない。危機の要素は、深く国家体制の根幹に食い込んでいる。もはやイタリアを華やかな観光都市群、陽気な太陽と芸術の地という、旅行会社の適当なパンフレットが煽る「だけ」の国だと思っている人は存在しないだろう。
  • GDPでは世界の7位だが、政府債務残高はGDP比120%を超えている。先進国の中でも日本と並んで少子高齢化が激しく進み、若年層の失業率はきわめて高い。ファッションと観光、それとサッカー(!)以外にこれと言って国際的な競争力を持つ産業は存在せず、強力な解雇規制や市民の日常的脱税が停滞の大きな要因となっている。
  • 伝統的な南北格差もますます深刻度を増大させ、最近は不法アフリカ系移民労働者の暴動が起きるなど、南部イタリア諸州は経済的に発展した北部とはまったく違う状況に置かれている(かつてベルルスコーニはそのさまを見て、「最近、どうも街が汚い。ここはアフリカじゃない」「イタリアは多文化国家じゃない」と吐き捨てた)。
  • 加えて、南部では国際的な規模に拡大した犯罪組織の「事業」が社会に大きな影響をもたらしており、無視できない深刻な問題の一つとなっている。



  • 「GOMORRA」は、そうした南部の代表的組織であるカモッラ/Camorraにフォーカスした作品で、2008年のカンヌ国際映画祭グランプリをはじめとして、数々の賞を得ている。原作はロベルト・サヴィアーノのベストセラー・ノンフィクション「死都ゴモラ―世界の裏側を支配する暗黒帝国」(落合信彦も真っ青の邦題!)
  • カモッラ/Camorraはイタリア南部に位置するカンパーニア州、それもナポリ県とカセルタ県を中心に広く暗躍しているイタリア四大組織のひとつに数えられ、ゴッドファーザーで有名になったマフィアと、呼び名は違うが、同質のものだ(イタリアでは、マフィアとはシチリアで活動している犯罪組織を指す)。
  • カモッラがゴッドファーザー世界の古風なギャング組織と異なっている部分は、麻薬取引や管理売春、賭博、武器密輸、闇金融などの伝統的な「シノギ」を超え、移民の人身売買、あらゆる産業廃棄物の不法処理、不動産、流通、食品、IT、偽ブランド、オートクチュール縫製工場への投資など、多様な「事業」へ進出し、それが国際的なスケールに拡大されていることだ。この辺りの事情は日本でも共通していて、幾つものフロント企業を抱える暴力団をイメージすれば分かりやすいだろう(ただし、カモッラはそれとは比較にならないほどの規模を持ち、実際に「暴力」を行使する組織なのだが)。
  • 監督のガッローネがカモッラとそれを取り巻く人々の荒廃した生態に向ける視線は徹底した俯瞰で貫かれ、恐ろしく即物的で淡々としている。サヴィアーノの原作はジャーナリスティックな怒りと正義感に基づく硬質なルポだったが、この映画を支配するトーンはそれと大きく異なっている。
  • あくまで突き放した客観性を失わない、ほとんどカットを割らないその画面には、偉大なる「ゴッドファーザー」の物語に満ちていた大時代的で甘美なロマンティシズムはまったく見当たらず、ブラジルの貧民窟「ファベーラ」に蠢く若いギャングたちの抗争を描いた「シティ・オブ・ゴッド」のような躍動するリズム、生の熱気とも無縁だ。
  • あるのは、きわめて醒めた「目」が捉えた/観察した/記録した、退廃と悪徳のミクロコスモスの姿であり、洗練された手さばきで切り取られ/並べられたその断面図だけだ。
  • 映画は、カモッラをめぐる5つの「出来事」が次々と入れ替わり、また戻り、交錯しながら進んでゆくが、すべての登場人物たちは与えられた役割の大小を問わず、ほとんど内面を持たない。(たとえ呼び名があっても)名前も持たない。
  • 冒頭、レトロで感傷的なメロディのポップスが鳴り響く日焼けサロンの青い光の中、裏切りによって次々と撃ち殺されるカモリスト(カモッラ組員)たち、待遇に不満を覚え、中国人との裏取引に手を染める縫製職人、報復に怯える小心な組織の帳簿役、デ・パルマの「スカーフェイス」を気取って無定見な「やんちゃ」を繰り返したあげく、あっさりと「処理」される若い二人のチンピラ、しゃれたスーツ姿で産廃処理を(「クリーンに!」)請負い、容赦無く不法投棄する企業家と若い従業員……、
  • 誰もが、「GOMORRA」という世界を構成するいち要素であり、部品パーツに過ぎない。平等で、等価で、ただちに交換が可能な存在。
  • 誰の頭が吹き飛ばされようが、誰の放置された死体がドーザーショベルで廃棄物のように処理されようが、誰がゲームから降りようが、本質的な違いはない。また同じような誰かが登場し、誰かを銃撃して世界から退場させ、あるいは自分が退場する/させられる。
  • 世界は泣きも喚きもせず、なにも変わらず明日へと続き、また同じことの繰り返しが繰り返される。
  • ガッローネの完璧な仕事は、その虚無的な構図の全体を類希な美として構築することに成功した。終わりのない世界の背後では、終わりのある映画のエンドロールでふいに鳴り始めるMassive Attackの不穏なサンプリングが、途切れない波音のようにずっと繰り返され続けているのだ。



追記:「エコマフィア」と核事故の日本

  • 映画を構成する5つの物語の中でも、とりわけ今日性を強く持っているのは産業廃棄物処理を不法に請け負う男たちのエピソードだろう。何人かの批評家が指摘している通り、現在の状況下から未来の日本を占う上で非常に示唆的だ。
  • 産廃は麻薬売買、武器密輸と並んでカモッラの大きな収入源であり、国内のみならず、欧州のあちこちから、有毒な産業廃棄物がコンテナやトラックに満載され、南部イタリア諸州に運び込まれ続けている。「処理」はごく単純だ。使われなくなった石切り場に、谷底に、平野に、ドラム缶や圧縮された廃棄物集合体を投棄し、あるいは埋め立てる。
  • ひとつの場所がいっぱいになれば、あるいは「限度を超え」れば、次の場所に埋める。それを繰り返し続ける。かれらの行為は、今やナポリまでをも侵食する事態になっている
  • 地獄のような光景…ゴミに埋もれてしまった世界遺産ナポリ
  • 公的な管理を逃れたその総量はおおよそ14,000,000トン、3ヘクタールの土地に積み上げたと仮定すれば14,600メートルの高さにも達するという。信じがたいことだが、エベレストの約2倍の高さまで「山」は伸びるのだ。
  • 六価クロムカドミウムダイオキシン、水銀、コバルト、モリブデン、鉛、砒素、二酸化硫黄、アスベスト…さまざまな工業加工の残存物、廃液、廃スラグを含むそれらによって土地や農作物は強く汚染され、周辺住民には無視できない健康被害が発生している。
  • しかし、カモッラのボスは自分の領地が腐ってゆくことに狼狽えない、腐らせることに躊躇しない。誰かがボスでいられる時間は長くない。土地より、錬金術が大事なのだ。ゴミを黄金に変える魔法が。
  • 劇中、フランコと呼ばれる産廃業者は涼しげにこう言う。「問題ない。クロムもアスベストも、俺が作ったわけじゃない。そして、こういう糞を引き受けているから、イタリアはヨーロッパの一員でいられるんだ」
  • 加えて、通常の産廃以外に、カモッラはもっと「厄介な」廃棄物の処理も請け負っているのだという。
  • それは何か?答えは一つしかない。核のことだ。カモッラは、さまざまなレベルの放射性廃棄物や核廃棄物の取引にも関わっているとされる。
  • ただし、こちらはイタリア国内ばかりの話ではすまない。ゴミ捨て場は中国、さらにアフリカにも広がっている。


Fishermen turned bandits – Rise of Somali Pirates

  • ソマリア沖といえば、数年前から日本の自衛隊も艦船を派遣・展開して「海賊狩り」に加わっているわけだが、そのソマリア沖の海域には、内戦が勃発した90年代前半から「イタリアやスイスなどの欧州企業」が武装勢力と「合法的に」契約を結び、大量の核廃棄物、医療用放射性廃棄物、各種の産業廃棄物を詰めたドラム缶を投棄し続けていた。
  • 無慈悲な神の気紛れか、隠匿されたはずの「悪徳」は、2004年のスマトラ沖の大津波ソマリア沿岸部に広く打ち上げられ、住民たちに汚染と被ばくの災厄をもたらすことで白日のもとに曝されたが、ソマリアと同じインド洋側に位置する東アフリカ諸国、例えばモザンビークの沖合いでは、現在でも投棄が続いているという。
  • 核廃棄物は、濃度によってその厳重さに程度はあるが、基本的に「埋める」か、「沈める」しか、今のところ最終処理の術はない。
  • そして、処理に際して可能な限り「安全」を保つ為には、それなりのコストと技術が必要になるが、そもそも埋めることも沈めることも、ほとんどの国では国民的なコンセンサスが得られていない。公には。
  • カモッラには、コンセンサスなど関係ない。安全を保つことにも留意しない。
  • だから、問題ない。埋められるところに埋め、沈められるところに沈める。
  • さて、ではなぜかれらの活動が近い未来の日本にとって示唆的なのか?賢明な人、賢明でない人、どちらであっても、答えはすぐに出る。
  • 現在、3月に起きた東日本大震災福島第一原子力発電所の大事故によって、日本の国土には大量の核廃棄物が発生しており、これからも発生し続ける。津波で破壊された家屋と土地の瓦礫の一部さえ、もはやただの瓦礫ではなくなってしまった。
  • 正規の法的手続きを踏む場合、綿密に線量を計測し、適切な炉で焼却してから、埋め立てるべきところに適量を埋め立てることになるが、そうした一連の合意が国内で成立する目処はまったく立っていない。放射性物質による汚染を過剰に怖れるあまり、ほとんどの自治体が仮置きから先の処置を決めることができない。
  • しかし、流せないトイレはいつか詰まるのだ。
  • これまで、イタリアほどではないが、日本でもゴミの不法投棄問題は存在していた。誰がそれを行なっていたかについては深く触れないが、合意が得られないまま、いつまでもトイレが流せないのなら、誰かが「埋められるところに埋め、沈められるところに沈める」人間を使って、厄介を片付けようとするかもしれない。
  • いつか(あるいは、もう)、世界の(あるいは、日本の)どこかの海岸で、それが打ち上げられたりしないと、掘り返した土から「何か」が出てこないと、誰にいえるだろう。