「無人地帯」NoMan's Zone
*
- 「Uちゃんは、もう双葉に戻る気はないみたいね。Y子ちゃんは郡山に移ったけど」
- 今月のはじめ、警戒区域内における国の除染モデル事業がまもなく開始されるというニュースをテレビで見ながら、母がそう言っていた。
**
- 母と伯母は福島県双葉町の出身だ。祖父の血筋は、江戸からずっと浜通りに住んでいる。
- 二人の生家は福島第一原子力発電所から5〜6キロほどのところにあり、「警戒区域」に指定されている(今後は「長期帰還困難区域」とされるようだ)。
- 母も、伯母も、それぞれ東京の大学へと進学して以後はずっと首都圏で生活しており、共に教員をしていた祖父母も引退後しばらくして双葉を離れ、伯母夫婦が住む埼玉に家を買って死ぬまでそこで暮らしたから、地震が起きたとき、建て替えられた本家に住んでいたのは大叔父のひ孫にあたるUさん夫婦だった。
***
- 先月末、「第12回東京フィルメックス」のコンペティション部門で上映された【無人地帯/NoMan's Zone】は、警戒区域に設定される以前の20キロ圏やその周辺、計画的避難区域へと指定され、避難が進む時期の飯舘村で撮影された映像で構成されている。
- 震災以後、国内外を問わず多くの人々が福島を、地震と津波、そして未曾有の核災害に襲われた土地「福島」ではなく、「忌まわしいもの=放射能」によって穢され(汚染され)た不浄の場所…「フクシマ」として日本から切り離そうとしているが、監督の藤原氏は春先から現在まで、Twitterやブログでそのようなレイシズムを徹底的に批判し続けている。
- 愚かな差別主義者たちの玩具として仮構された「フクシマ」を否定し、他の被災地と同様、いまもなお傷み続ける国土としての「福島」と、運命に翻弄される住民の姿を静かに捉えた【無人地帯】は、いまだ一向に収まる気配のない混乱への監督の批評、というよりは強い異議でもあるのだろう。
- 【無人地帯】の風景は、地震から一ヶ月後の4月初旬、津波で完全に破壊されたまま放置された請戸の海岸からはじまる。
- ときおり小さな波が砕ける濁色の海、曇った空の下には、漁港と街の残骸と、瓦礫。瓦礫の中を、ようやく遺体の捜索が許された福島県警が、くすんだ景色の中に不穏な鮮やかさを放つ、あの白い防護服姿で歩いている(まるで幻影が彷徨っているかのように)。ぼんやりとした遠景には、いまや巨大な災厄の城と化した発電所の排気筒。
- 映像に、津波の被害を話す住民たちの会話が重なり、アルシネ・カンジャンのナレーションが厳かな英語詩の朗読のように響く。
- (アルシネにあわせて、日本語の字幕が挿入される。その2つの組み合わせは、声高さや性急さから離れ、映画が問うているものの抽象度を大きく高めているように感じられた)
- そして、カメラは「無人地帯」の内部から内部へ、そして飯舘村へと移動を開始する。
****
- 「それだけが、ってわけじゃないけど、退職してから実際に何基も原発が建っていくって状況が嫌だったのもあるみたいよ、お父さんたちが双葉を出た理由には」
- 「反対するなんて言ってもねえ、大熊と一緒に町をあげて誘致に取り組んでたんだし、いち校長が何か言ってどうにかなるわけもないし、諦めてたみたい 」
- 事故が起きたあと、伯母と母に、発電所の建設が決まった時期の祖父母の反応について尋ねてみたことがある。伯母の方がよく覚えていた。
- 伯母が東京の音大生、母はいわき市に下宿する高校生だった昭和三十年代後半、祖父はヒラ教員から管理職に昇進し、それまで主に務めていた双葉近辺から派遣されるかたちで、今や「無人地帯」の一部となってしまった飯舘村で小中学校の校長を務めていた。
- 1960年に日本原子力産業会議へと加盟した福島県が浜通りの海岸地帯を最適地に選定し、東京電力が用地買収を始めようとしていた時期だ。世間はまさに高度経済成長のど真ん中。東京オリンピック開催を間近に控えて、浮かれに浮かれていた。
*****
- フィルメックスでの上映を観て、このエントリを書くためにYoutubeでまた予告編を観直している。手元には、請戸の海岸で、幼児のぼくが従姉弟たちと遊んでいる写真がある。
- それが撮影された夏、もう祖父母は埼玉に引っ越していたのだが、なにか親戚を訪ねる用事でもあったのか、伯母一家やぼくらと双葉に滞在していたようだ。既に発電所では六号基までがフル稼働している時期だが、写真に排気筒は写っていない。
- 伯母は、それ以前も盆休みに双葉へ帰省すると、従姉弟たちを連れてたびたび海岸まで足を運んでいたという。ぼくには、そのような経験も記憶も無い。写真に残された光景を思い出すことさえ、実のところ、できないのだ。幼児期を除けば、大学に入り、祖父母の法事が営まれるまでは浪江や双葉はおろか、福島に足を運んだことさえない。
- だから、UさんやY子さんはもちろん、母や伯母、あるいは従姉弟たちと同じような感情の距離でこの映像を、そして【無人地帯】を観ることはできない。
- 父祖の土地や家や墓に(とはいえ、正直、それらを重視するような生の価値観を持っているわけでもないのだけれど)核分裂生成物が大量に降り注ぎ、親族が強制避難させられているのだから、震災と事故に対して「国民全体の問題」などという抽象的な枠を大きく超えた当事者性が発生しているのだが、悲嘆や憎悪、怒りよりも、茫然とさせられる何か、静かで深々とした慄然とでも表すべきものに侵食されて、失語に近い感覚に陥っている(そのくせ、いま、このように不明瞭で歯切れの悪い言葉を延々と連ねているのだが)
- 「トウデンガー」「ゲンシリョクムラガー」「セイフガー」という悲鳴にも近い叫びと呪詛が、あの日以来、日本中から絶え間なく聞こえてくる。事態を構成するそうした具体的な諸要素に関して、無論、様々に考えていることはある。
- ただ、それとはパラレルな別の回路として、地震、津波によって引き起こされた原子力発電所の破壊という連鎖に、巨大な、運命論的な畏怖を感じてしまいもするのだ。
- 前回のエントリで「Unter Kontrolle / アンダー・コントロール」を観て思ったことを書いたとき、パンフレットに寄せられた開沼博のテキストを引用したが、もう一度引いておく。【無人地帯】を観たあとでも、改めて、印象深い。
******
- 結局、作品の内容そのものについてあまり触れないまま、そろそろこのテキストは終わるのだが、多弁を費やす必要はないのかもしれない。原発に対してどういうスタンスを持っていようが、福島と縁故があろうが、なかろうが、「これは観なければならない映画だ」と言うだけで良いのではないか。そんな気もしている。
- 「これは無論、重大な題材を扱った作品だし、こんなこと言うと不謹慎だと受け取られるかもしれない、皆さんとてもそんな気にならないかもしれない、しかし「無人地帯」はまずもって映画なのです。楽しんで欲しい」
*1:「歴史」と「現場」の視点から生まれる「原発解体のリアリティ」http://www.imageforum.co.jp/control/news20111104.html