ガンマ線のように「美術」はあなたを変える




  • 6日の日曜日、後輩や知人の作品を観るため、大学院を出て以来はじめて多摩美術大学の学園祭に出かけた。
  • 同行した美大と縁のない友人が、一通り「美大という場所を回りたい」と言ったので、東と北の絵画棟、デザイン棟、彫刻棟、新しい芸学&情報デザイン棟、それにクラブハウスや模擬店など構内をぶらぶらと歩きまわった。自分の制作と展示の受付で疲れ果て、あとは模擬店で適当に酒を飲んで終わっていた学生時代より、ずっと丹念に展示作品を観た気がする。
  • 美大生という特殊な属性をまとったイキモノを一度にこれほど大量に目にする機会は他にそうはないのだけれど、印象的なのは、一般大学(これも曖昧模糊とした呼称だが)の学生集団と比べて、彼彼女たちの群体から「若さ」ではなく、浮世離れした「幼さ」を強く感じるということだ。それはいわゆる「純粋芸術」の分野に近づけば近づくほど顕著になる。肯定的に言えば「ナイーブさ」であり、率直に表現すればきわめて幼稚だということ。
  • テレビ、小説、漫画などのメディアで、ゲージツカな学生はひどく「奇態な」ふるまいを行うエキセントリックなイメージがいまだに支配的だが、実際の学生にそんな人間はほとんどいない。花本はぐみや森田忍みたいな「天才」も存在しない(いや、ときには「期待」に応えるような人物も確かに存在するけれど…)
  • むしろ、高い学費を反映してか、経済的に安定した家庭を持つ、「育ちのよい」人間も多いし、全体的に内向的で、大人しい。個々人が自分の表現/制作/発表にのみ過剰に囚われることで外部世界と遊離し、次第に無関心となる部分が大きく、結果として、美術の外にいる他者との共感能力や社会性を殺ぐことになっている。それが「幼さ」を感じさせる要因かもしれない。
  • 似た部分を、昔、友人が通っていた某音楽大学の学園祭に出かけたときにも感じた。中高校生のように模擬店でキャッキャと焼きそばを作っている姿は、もっと分かりやすく、健全で明るいものだったが。
  • だから、必然的に「政治化」された学生がほとんど存在しない。さすがに学生運動の全盛期には一部の学生(のちの学長、高橋史朗氏を含む)と教授たちがバリケード封鎖などのアクションを起こしていたのだが、遥か昔の話で、周縁的なものだ。
  • 乱立する大量の作品を興味深そうに眺める友人が卒業した大学は、21世紀になっても革マル派(!)が同好会の予算差配の権利を全て抑え、検閲まで存在するというトンでもない状態だったらしいが、そこまで過剰な場所と比べなくとも、学生総会がほとんど機能していないとか(…参加者数を言えないほどの惨状、、、というか、誰も開催自体を知らないし、興味もない…)、学生自治会のような組織が存在しないに等しいとか、無料の学バスが廃止されると決まったときより、「学祭で酒を禁止する」という規定ができそうになったときだけ大騒ぎになったとか、現在から過去の様々な状況を見れば、政治への意欲の低さは十分に把握できる。基本的に、自分がつくるものと周辺の事象にしか関心が無いのだ。
  • 以上の見方が雑な主観であることは十分に理解しているし、繰り返しになるがときに例外的な人もいるわけだが、それにしても、自分が属していたときからその印象が大きく変わることはない。
  • しばらくぶりに目にする大学周辺の荒涼/殺伐とした風景と、この季節に構内の空気に満ちている独特の陰気さ、コンクリ打ちのアトリエに重く澱んだ空気はとても懐かしかった。
  • 多摩美は八王子の奥地、橋本との境界線という「郊外的」立地条件や、山登りに近い勾配の上に建ち、工場のような設備も持つ特殊な構内構造、加えて(世間的には)わけの分からないものを四六時中作り、(世間的には)わけの分からない符丁で会話をする人間が溢れていることから、「鑓水サティアンなどと自嘲する関係者もいる(そろそろ新入生には「サティアン」なんて言っても通用しなくなっているんだろうか?)
  • 十数年かけた敷地と校舎の大拡張工事が終わりつつある現在でこそ、各種設備も充実し、小奇麗になってはいるが、70年代前半に世田谷から校舎を移した当初は、中心となる数棟以外は各所が工事中であり、プレハブのようなアトリエばかりだったという。当時の新入生だった方々と話すと、「はじめて見たとき、森の中の精神病院かと思って、ショックだった」などと語る人もいて、確かに、記録写真を見ると誰もそれを大げさだとは思わないだろう。
  • 展示の雰囲気は、全体的に良くも悪くも以前のままだった。ぼくが在籍していたころと何も変わらなかった。各自が好きなものを好きなようにつくっていて、グループでそれを大雑把に並べているだけだった。震災が学生たちの作品に影響を及ぼしている様子も、ほとんど確認できなかった。
  • 防護服姿でサーベイメータを持ってうろつきまわったり、チラシを配ってデモをしている人々もいなかった。牧歌的な学祭風景を歩きながら、ぼくは、自分がいま学生だったら、あのときの思考様式からするに、まず間違いなく放射能原発を取り扱った作品を展示していただろう、などと痛々しく想像した。
  • 政治、文芸、科学、社会学、ジャーナリズムの言葉は3月以降まさに空気が一変した感があるのだけれど、アートの世界は少し違う(いや、ひょっとしたら単にぼくが知らないだけかもしれないが)。
  • チャリティという次元でならば、一般社会程度にはさまざまなワークショップなど復興支援の試みが実行に移されているけれど、「いまアートにできること」「ポスト3.11」など、あちこちで連発される「芸術上の」スローガンは、実態をまるで伴わない、きわめて空虚なかけ声に過ぎない。
  • ひととおり後輩たちの作品も見終えて友人と橋本駅へ向かうバスに乗ると、からだのあちこちや首筋がこわばり、頭も重いことに気づく。
  • 出来不出来にかかわらず、大量の作品に接したあとはいつも極度の疲労に襲われる。最近はほとんど美術の展示に出かけないので、「美術の鑑賞というものはとても疲れる行為だったっけなあ」そんな風にぼんやりと考えていた。
  • 千人単位の「私/ぼく」「自我」「絶叫」(だから、私を、見て!)のエネルギーを全身に浴びているのだから、当然のことなのかもしれない。
  • それはもしかすると、古民家やスーパーの地下にひっそりと「封印」された高密度の核物質が放ち続けていた強力なガンマ線が、秘かに居住者や店員や客たちの細胞を貫き、DNAを切断していたように、作品を観る者の身体に干渉し、影響しているのかもしれない(「美術」の曝露!)。
  • そうであるなら、たしかに、美術は「あなたを変える」のだ。