第1回

 
五月が終わろうとしている。と同時に、鳩山政権も終わろうとしている。
なにがあっても五月は間違いなく終わるが、鳩山政権はまだ終わらず、もう少しだけ、持つだろう。だから何だって?・・・・さあ?

こんな時間にメルツバウ「1930」のキチガイ電子音を、VAIOにプレ装備されてる貧弱なスピーカから鳴り響かせつつ、ようやく、はじめのエントリを書こうとしている(ちゃんと窓は閉めている)。
「ようやく」そう、「ようやく」。
なんでって、それはダイアリー開設から早くも一ヶ月近くが経とうとしていてるからで、ちょっとそれ、あんまりにあんまりじゃないの、という、、


「気取りと欺瞞に満ちたプロフをもっともらしく書いて自意識過剰なセルフ面まで公開しといて、それでやってることがTwitter公式ウィジェットのせてるだけって、頭が不自由なの?脳が腐ってるの?シンプルに表すとバカ?」


という声が、そろそろどこかから、聞こえてきそうだし、ってまあ、それは当たり前に滑稽な被害妄想もいいとこなんだけれども、でも、いいかげん閾値超えたので。



しかし1発目、というのは書きにくい。
単に1発目、というだけで、本当にまったく無意味なのだが、これが書きにくい!(現に、こんなわけのわからぬグダ駄文になっている)
次のエントリ以降に書こうとしている内容は、これまでmixiTwitterで書いていたようなこととあまり変わらない(というか殆ど同じ)し、既にいくつも書きたいことはあるのだけど、「1発目」」は、なんだか、妙に考え込んでしまう。
友人知人以外の、すべての人に閲覧可能性が開かれているというオープンな状態、そんな環境での第一歩ということ、そして「はてな」独特のこなれないインターフェイス
そんなところで過剰に引っかかってしまった結果がこの一ヶ月放置なのだけれど、ほんと、空きすぎ。我ながら呆れてしまう。
この、ものごとへの取っかかり時点でのもたつきは、はてなダイアリー立ち上げって言う現時点での些細な(ほんとに些細な)局面以外でもぼくの改善すべき重大な悪癖なので、もう何年もどうにかしようと思っているのだけど、思い続けて結局何ともならぬまま死ぬのが人間なのか、なんて。
思わず、こんな素晴らしく頭のワルいことを言いたくなってしまう。・・・・・人間だもの(みつを)



とまあ、ダラダラ書いてきたが、この辺りで日付も変わりそうになってきたことだし、特にダイアリーの方針にも趣旨にも触れず、唐突に、記念すべき第1回目を終わろうと思う。
「1発目を書く」ということだけが重要だったのだから、なにしろ。なんでもいいんだ、なんでも。


それじゃあ、また、明日。