二ヶ月

 
二ヶ月。


 
学院を出てからこの四月まで、ちょうど二年間、週六日間アルバイトとして務めていた老舗の洋食レストラン会社の系列店を辞めて、もうすぐ二ヶ月が経とうとしている。
辞めた、というか、より正確に表すなら、とある事情でその店自体が消滅したのだったが、とにかく、辞めたことは辞めた。
店は上野にあって、ぼくはその店のキッチン(という言葉は実は全く似合わなくて、【調理場】と呼ぶしか他にない雰囲気だったのだが)で、昼から夕方まで、洗い場と雑用をしていた。



べつに、料理を作ることに対して、興味があったわけではなかった。漠然と、皿洗いがしたかった。
単に頭を使わない食い扶持稼ぎを求めていた、というのでもなくって(単純労働なら、それまでに派遣で土方をさんざんやった。ありがちにGoodwillとかで)、何か、皿洗いという言葉の記号的なイメージがぼくを捉えていたのだ。


中上健次羽田空港で皿洗いをしていた。


…というのはびっくりするほど嘘だが羽田空港、まではホント)、小説やら絵やらをやってる人間にありがちな、労働への特殊なロマンティシズムと言えよう。……と実際に書くと我ながらヤバいくらい滑稽なのだけど、しかし、実際のところ、そうだったのだ。



その店は、上野という、東京で美大生をやっていた人間なら誰しもが感じるであろう(…ですよね?)土地の親近感がったし、しかも院生時代から続けていた朝に新宿でやっているバイトと掛け持ちすることも可能だった。
そして、とどめに、面接の際、「あと二年で店は閉まるけど、いい?」ときたから、条件としてはまったくもって最適だった。

長期のアルバイトを探す多くの人は「二年しか働けないのか・・・」という微妙な苛立ちを隠しながら、キリッと「平気です!」と答えるのかもしれないが、ぼくは際限なく何年も一日中労働のための労働に自分の人生を切り売りするつもりも無かったので(残念ながら今後またやるだろうが)、本当に、願ったり適ったりだったのだ。



二年という時間なんて、短いものだ(そういえば、J.ベルヌに「二年間の休暇」って作品があったな)。
とくに、この年になれば、何をしていたって、あっという間に過ぎ去ってしまうように感じる。
老舗の洋食レストランチェーンの調理場という場所で過ごしたその期間も、同じように、あっという間だった。
最近、二年間をアレコレと振り返ってみて、あれは自分にとって賃金以外のいかなる内面的な蓄積になっただろうか、みたいなことを考えたりもしているのだけど、そうだな、台詞にすると、


「あの、、も、もう、充分お世話になりましたああッ!」


というトーンになるだろうか、なによりも、まず。



後悔しているわけではない。
ひどく苦痛だったわけでもない。
それなりに受け入れられ、良くしてもらったと思っているし、鮮明な時間だった。
雇用される待遇が酷かったとも思わない。
むしろ、全体的に劣悪な状態が多いこの業界の中では(暇なときに早く帰される、ということをのぞけば)、だいぶマシだったと感じる。
時給は悪くなかったし、無料の賄い昼食が絶対に出たうえ、シフトもかなり自由が利いた。
そして、レストランではわりと頻繁に立食パーティがあって、片付けで残業になれば、終わった後にちょっとした振る舞い酒もあった。

社員やバイトが頭のおかしい人間ばかりで、とんでもないストレスを強いられた、ということでも、ない。
キチガイが多いなと思ったのはGoodwill時代で、一緒に働いていた人間や向かった現場の担当者に、何人も常軌を逸したようなのが、いた)
じゃあ何が不満だったのだ?と問われると、これがなかなか説明しづらいのだが、というか「不満」ではなく、「馴染めない」に近い感情だろうか。
で、すぐ上で否定してはいるものの、要因としては、やっぱり「人間」ということになる。



よその会社のことは分からないが、ぼくが勤務していた店では、そして、そこではたらく調理師たちの間では、仕事であるかプライベートであるかを問わず、「文字」や「言語」や「論理」や「対話」というものが軽視されていた。それはもう、圧倒的に軽視されていた。

誰もが押し黙ってテレパシーで意思疎通を図っていたわけではない。ことばを使ったコミュニケーションはむしろ過剰なほど交わされていたけれど、それは「するためだけに、する」類のお喋りでしかなかった。あるいは上から下、下から上への一方的な伝達でしかなかった。
感情のシグナルがごくごく単純な符牒を伴ってダイクシス(deixis)*1的にやりとりされるだけであり、言語の複雑な記号操作、分節化による世界の把握からは果てしなく遠かった。

そこには抽象性の欠片もなかった。それが言い過ぎなら、欠片しかなかった。
加えて、言語や、文字や、論理に「意志」をもって接する人間に対する、あからさまな蔑視が存在した。
思考することの抽象性への拒絶と蔑視が、暗黙のコードとして、厳然と存在した。
ぼくが感じる「馴染め」なさの多くは、そこに由来している。
それは異質な他者への想像力の無さ、非許容性が全面的になっていることへの苛立ちでもある。
まわりくどく書きすぎている気がしてきたので、端的に一例をあらわしてみると、「極めて限定された実用書以外の本を読んでいる、買っているとバカにされる」とか。


「ちょwwwwwwwwwお前、本なんか読んでるのかwwwww」
「そんなことするより仕事覚えろ!」



こんな感じの雰囲気が、あの職場と、長年勤める調理師たちのあいだには、満ちていた。
べつにお前が何をしようとおれは興味は無いね、ということなら分かるのだけれど、場を支配する暗黙のコードをすべての人間に共有させようとし、そこから逸脱するものを自動的にdisってくるのだ。


ぼくが、「小説」など書いているとバレた日には、一体どうなったことか。



かれらには、自分たち以外のそうした「人種」に対する想像力がない。「他者」を尊重しようという発想がない。
あるのは既に固定されたステロ・イメージと、偏見だけ。
だからとても暴力的なのだが、「暴力的である」という発想が浮かぶことさえない。まったくもって無自覚なのだ。
そんな場に、ぼくは、まさに異物そのものとしてウロウロしていたから、正直、とても窮屈だった。かれらの多くは、一般的に言うところの好人物で、おおらかな体育会系ノリと言いうる美質も持っていたが、しかし、その天然の排他圧力に、ぼくは「馴染めな」かったのだ。
「なんだよ、単に、郷に入っても従えませんでしたああ!ってだけじゃねーか、カス!」と言われてしまえばそれまでだが……。


マア、ともかく、そんな風にモゾモゾ考えていたってわけなのだ、二年間。



畏敬する知人が、よく


あらゆる者が字の読み書きをする必要などない。これは冷厳たる事実である。この事実は恐ろしい」


と言っていて、ぼくはときにかれの容赦の無さにビビってしまいもするのだが、(誤解を招くかもしれないけれど)今や、部分的に、同意せざるを得ないのだ。


あらゆる者が字の読み書きをする必要などない。これは冷厳たる事実である。この事実は恐ろしい」



これからも、度々意識してしまうんだろうな、きっと、これは(もしかすると、ある日、自分に対してさえも)。

*1:発話の場にいなければ十分な理解ができないという性質、特徴のこと。「直示」と和訳される。「私はあれをこうした」の文の意味は、場面なしでは理解不可能であるが、適切な場面・文脈が分かれば直ちに理解できるものとなる。「代名詞」や「コソア」は典型的なダイクシスである。他に種類として、時間・場所・敬語表現・授受動詞・「行く」と「来る」などがある。http://www.nihongokyoshi.co.jp/manbou_data/a5524062.html