今年もOmar Sosaが

  • ぼくが愛して止まないキューバ人ピアニストがまた日本へとやってくる。
  • 今年も、オマール・ソーサ/Omar Sosaが来日公演を行う。
  • 7月31日、青山スパイラルでの無料ミニ・ライブを皮切りに、8月1日のモーション・ブルー横浜、2、3、4日はブルーノート東京、5日はブルーノート名古屋、そしてラストは8日で、札幌シティ・ジャズ2010へ出演するのだ。
  • 昨年五月に行われたブルーノート東京でのライブから一年三ヶ月での再来日。ソーサは2000年からほぼ毎年のように日本へ演奏をしに来ているが、これでまた、その記録が伸びた。
  • 毎回、招聘に尽力されているMUSIC CAMPの努力には心から敬意を表したい。


Omar Sosa Afro-Electric Quartet/Quintet 公演詳細
http://blog.m-camp.net/?day=20100514


  • ソーサは1965年、赤い革命の島キューバの、カマグウェイという中部都市で生まれた。
  • 労働者の息子として、革命政権下における黎明期の英才教育を受けたソーサは、インタビューによれば、幼少期から十代後半まではパーカッションを専門に勉強していたのだという。ハバナ芸術大学に入ってラジオからジャズを知り、そこからピアノを弾くようになったのだという。特にセロニアス・モンクに傾倒し、「僕はモンクの哲学に基づいて音楽をやっている。その哲学とは”ジャズは自由だ”ということだ。」*1と発言している。

 

  • 15年ほど前、最初の結婚を切っ掛けにエクアドルへと移住して島を離れ、その後、米国西海岸ベイエリア、フランス、スペインなど居を転々としながら各国のミュージシャンと精力的にセッションし、多数のリーダーアルバム録音やライブを行っている。
  • 単発の演奏をまったく苦にせず世界中のフェスを飛び回り、特に欧州のジャズファンの間では評価が高いようだ。つい先日はカナダのモントリオール・ジャズフェスティバルに出演していた。


公式サイト
http://www.omarsosa.com/
myspace
http://www.myspace.com/sosafunke
ウィキペディア
http://en.wikipedia.org/wiki/Omar_Sosa

  • そうした抜け目ないやり手の音楽家としての側面(政治鎖国するキューバを脱出し、ミュージシャンとして成功するまでの困難は想像を絶する)と同時に、ソーサに関して忘れてはならない要素は、かれがキューバ民間信仰であるサンテリア*2に帰依する宗教家という一面も持ち合わせていることだ。
  • キューバ人には卓越したテクニックと尋常ならざる演奏体力を持ったジャズピアニストが多数存在するが、その中でソーサがひときわ異彩を放つ存在に成長したことと、信仰者であることは、切り離すことができない。
  • 一般的にキューバ人のジャズミュージシャンは、アフロキューバンという完成された様式と肉体的な強靭さ(とにかく高い音が出るとか、凄い速さで複雑なパッセージを弾けるとか)を押し出すことが多いが、ソーサは自分のバンドをはじめて立ち上げたときからパン・アフリカニストだと公言し、「黒人文化の音楽的統一性を探ってきた」*3と語っている。
  • メディアの取材やライナーノーツでは、神や祖先への宗教的な言辞や、ニューエイジ、神秘思想スレスレの発言を繰り返してもいる。アフリカにルーツを持つ混淆宗教の信徒としての自己探求、そしてモンク精神の実践を行うミュージシャン、それら明確な、コンセプトへの意識(後述するが、コンセプトそのものではなく)がサウンド・コンポージングからソロのインプロヴィゼイションにいたるまで、全てに独自の音を、強い「声」を与えているのだ。
  • ソーサはパン・アフリカニストとして、一貫してアフリカを「黒さ」の母、すべての根、ルーツとして捉えている。
  • そして、新大陸に渡ったそれらと、母なる「根」の、「統一性を探る」ことの実践をジャンル・ミクスチャーという方法で試みている。
  • 当初はアフロ・キューバンを軸にラテン・アメリカ大陸の音楽をフュージョンさせることが中心だったが、その射程は年々拡大し、その都度、混交の濃淡や方法論も様々に変化していた。



  • そのときの衝撃的な光景、圧倒的なショックは今でもはっきりと思い出せる。
  • TLGは内装等にカネはかかっていたが箱やステージはお世辞にも広いとは言えなかった。というか、とても狭かった。
  • そして客席との間には段差がほとんど無く、演奏者との距離もまた、非常に近かった。加えて一部と二部に分けられた公演は、一部のみの料金で最後まで観ることが可能という大変な大盤振る舞いだった。その至近距離ではじめて触れたソーサの自由奔放でぶっ飛んだ演奏とパフォーマンスは、当時のぼくの目に、大げさでなく、神がかりに映ったものだ。
  • ステージには上記動画のように黒人男のラッパーとアフロなチャント(歌唱)やポエトリーもこなす女性歌手がフロントとして陣取り、縦横にボーカルの応酬を繰り広げていた。横ではシャツのボタンをきっちり留めた、アニヲタっぽい風貌のソプラノ・サックスがエスニックなフレーズを吹き鳴らし、ドラム、ウッドベース、パーカッションがラテン・フュージョンなノリのビートを叩き出していた。そして、その全てコントロールする、神秘的というよりは胡散臭い、イスラム原理主義のいかれた指導者みたいな白い衣装(実際にはサンテリアの正装なのだけれども)に身を包むソーサの存在感、ピアノから溢れ出てきた音の強さは群を抜いていた。明らかに、異なる次元に属する表現だった。明白に、際立っていた。
  • 非常にクリアで明瞭な音の輪郭を持ち、パーカッシブで躍動的なニュアンスに満ちたフレーズ、驚嘆するほど速くて複雑なトゥンバオは、それだけでもう誰をも興奮させる独自のグルーブを場に生みだしていた。とり憑かれたように手足を揺さぶって奇声を上げ、椅子に飛び乗って鍵盤を踏み鳴らし、肘打ちし、プリペアド奏法にとどまらず共鳴板や胴体部分を打楽器のように叩いてまわる、文字通り全身で楽器を扱うかのようなそのトランシーでシャーマニックなパフォーマンスには有無を言わさぬ説得力と健全なエンタテインメント精神があった。
  • 言葉として書き出すと、単にトリッキーを狙ったキワモノ、ハッタリ野郎ではないかと訝しむ向きもあるだろう。
  • 実際、ソーサをひどく嫌うジャズファンはそうした点での批判も口にしている。が、ぼくには理解出来ない意見だ。
  • ぼくはこのステージ以降も、かれが来日するたびに必ず一度以上はその演奏を聴いているが、あざとさ、わざとらしさ、演劇的な素振りの臭さなどを感じたことはない。ライブ全体が不発だったり空回りしたりすることはあったが、ソーサのパフォーマンス自体にそうした要素を感じたことはない。
  • 真に一期一会であり、二度と同じものは無いというライブの本質を体現し、スタジオ録音以外に高い演奏の価値を認められるミュージシャン、あまり多くはない、そうした存在の一人がソーサなのだ。
  • あの演奏は、そう断言してかまわないほどの力を持っている。
  • 結局、そこが全てなのだ。
  • ソーサの音楽が持つ魅力、演奏が放つ力は、ステージ上でのみ立ち現れる独立した濃密さであって、突き詰めれば、かれが熱心に語る「パン・アフリカニスト」という立場、「黒人音楽の多様性と、その統合を探求すること」という目標に負うところは少ない。来日するようになって以来ずっとソーサを観てきて、ぼくはそう感じている。
  • TLGで演奏を行った翌年の2002年、2003年の来日公演は、昨年(2009年)と並ぶ本当に素晴らしい内容だったが、直前に発表されたアルバム「Prietos」(2000)と「SENTIR」(2001)のコンセプトがその強力さを担保していたわけではない。
  • 「アフリカと色」を中心テーマに、モロッコのグナワ・ミュージックを主にした北アフリカイスラム、アラブ系音楽と、アフロ・キューバンを始めとするラテン・アメリカのさまざまなアフリカ起源の伝統音楽をモダンな手法でミクスチャすることを試み、それらの宗教儀式で使用されている色の表現を対比したこの二作品は、確かに洗練された上質な「パン・アフリカン・ミュージック」になってはいた。
  • 混沌としたアフロ・ジャズ・ファンクとでも言うべき初期の大編成作品に比べてよりエスニック色(人によっては「電波」色とも)が強まり、モチーフとなった宗教や伝統文化は巧みな手さばきで比率を調整され、スマートに配合されている。
  • しかし、それは些か恣意的な解釈に傾いた視線で固定され、理路整然としてはいるが、どこか無理が感じられた。
  • 醒めた見方をする友人の言を借りれば、そう、まるで「西欧白人のように」表面的で、乱暴で、軽かった。
  • ミックスのために選ばれた音楽的要素は、グナワにせよ、キューバにせよ、コートジボワールにせよ、エクアドルにせよべネズエラにせよ、ブラジルにせよ、一種、図式的、記号的とも言える民族の「伝統文化」「固有の文化」だ。つまり、「日本?スシ、サムライ、フジヤマ、ゲイシャに、あとカミカゼ?」ということ。ある固定された視点に基づいて様々な国の文化要素をガジェットとして拾いあげ、「うまーく」アレンジして強引に並列させ、自分の音楽は「文化的融合」だと標榜する。
  • 前回はウエスト・アフリカ+エクアドル、今回はグナワでアラビックが面白い。次は、インド辺りに目を向けてみるか…?
  • こうした恣意的なピックアップと融合は、カルチュラル・スタディーズで批判されるお手軽な「横断」や、硬直した強引な多文化主義と揶揄される発想にも近い。
  • 「パン・アフリカン」。結局それは非凡な発想ではない。踏み込んでみれば、ありきたりとさえ言いうる。つまり、インテリが脳内で夢想した「ブラック・カルチャーの統合」…。
  • 容赦無い視線を向けるなら、欧州のスノビッシュな白人層にソーサの音楽が好意的に受容されるのも、差別的エキゾチズムが根底にあるだろう。かれらの優越感、劣等感を同時にくすぐり、植民地支配の記憶に訴えかける、現代風の、洗練された意匠でしつらえられたパッチワーク。ポストコロニアルなミュージシャンとしてのオマール・ソーサ。しかも、実際に本人が混淆宗教の信者であることに起因する神秘主義的な風貌。
  • ポスコロ+カルスタ的な音を自ら記号操作的に構築する知的な土人
  • ああ、これはもう、「完璧」だ。


聖霊、祖先またはオリシャーの声に耳を傾け、伝統を軽んじることなく、先人たちに大いなる敬意を払いながら、私はこの作品を通してこうした数々の黒人文化を同じ皿の上にのせたかったのだ。ひとつの皿から、我々は生きる糧をもらう。ブラザーもシスターも私たちみんなが。たとえ離れていても、私たちをひとつにするアフリカの真理がある。【注目せよ、より偉大なることを為せ】と常に求める、先祖伝来のひとつのメッセージが。【プリエートス】は私の考えるこの激動の世界のあるべき姿の率直なサンプルである。文化の統合/人種の統合/国家の統合/道理の統合…簡単に言えば、光と平和と愛でひとつになろうと言うことだ *3


感じることは生きること、一体となること、同じ民族の木から枝分かれした多様な音楽文化を分かち合うこと。この作品には、モロッコベネズエラキューバエクアドル、そして合衆国からの要素が集まり、各地の伝統的・宗教的なルーツがいかに近似しているかを示している。それは、現代の調和を伴ったオール・カラー化されたものである。私たちはゲンブリ、バタ・ドラム、アフロ・ベネズエラン・パーカッション(クーロ・エプージャ、キティプラス、クマコス、マラカス)、ラップの詩、アフロ・キューバン、アフロ。ベネズエラン、そしてモロッコの歌を寄り集め、これら様々な文化間のブラーザーフッドを祝福した。それは私たち自身の音楽的伝統要素を変えることなく、先祖の音楽を蘇らせることにもなったのである。地理的な隔たりがあるにもかかわらず、これら様々な文化の音楽を統合することは容易であった。答えはいたってシンプル。みんな同じ起源から生まれてきているのだ。母なるアフリカ。*4

  • ライナーノーツでこう語るソーサは、ちょっと引くぐらい(人によっては薄気味悪いと思うくらい)敬虔な信仰者であり、音楽への動機の一つが宗教的誠実さからくるものであることは疑い得ないが、しかしアルバムにおいて、かれの試みそのものが、退屈な、安易なモザイク意匠に見えることもまた、否定できないのだ。
  • 「Prietos」と「SENTIR」をリリースしたあとも、今にいたるまでソーサの基本的な姿勢に変化は無い。
  • 扱うモチーフや共演者はインド、さらなる西アフリカ、サティを参照した現代音楽、合衆国のルーツ・ミュージック等に広がっているし、2003年ごろからステージでピアノにエフェクターをかけはじめ、以後はサンプリング音源の多用やキーボードの併用など、エレクトロニックな要素が演奏の重要な部分を占めるようになり、あまり大編成でのラテン・ジャズ風の演奏をしなくなったなどの変化はあるが、根本的なところはそのままだ。
  • 相変わらず、アルバムにおける「パン・アフリカン」なミクスチャー具合はメロディックであり、アーバンであり、軽くて、表面的だ。
  • ライブに比べれば、圧倒的に物足りない。やっぱり、陳腐な思想の開陳にしか過ぎない。
  • ここで、話は「なぜ?」というところに戻る。
  • アルバムにおけるソーサがこのような退屈さ(とはいえ、比較の問題であって、聴くに耐えないシロモノだとか言うつもりは全く無いが)から抜け出せないのに、それがなぜステージではああも輝きを放つのか、と。単純な演奏能力が極めて高いのはもちろんだが、やはり、かれが持つパフォーマーとしての特別な才能(カリスマ)がすべてを担保している。
  • 何度も強調するが、単純な存在感の驚くべき強さ、グロテスクな、きわものスレスレ、曲芸ギリギリを見極める自己演出の完璧さ冷静さなどは本当に特筆すべきもので、この部分で比肩し得るミュージシャンというのも、そうそういない様に思う。
  • つまり、ソーサの真の才能とは、提唱する音楽のコンセプトがたとえ凡庸で退屈なものであろうとも、それを力あるもの、限りなく魅力的な演奏へと変換するエンコーダーとしての身体に存在する、ということだ。
  • その身体を支える要素が、信仰者であることや、同時にパン・アフリカニストたらんとする自意識であり、加えて(実は一番重要な要素かもしれない)「ジャズは自由だ」と自身が解釈するモンク哲学の実践者であること、だろう。
  • さきほど「ソーサの演奏に独自の声を与える理由は、コンセプト自体にはない」と書いたのは、そのような意味だ。
  • Afro-Electric と銘打たれたカルテット/クインテットによる今年の演奏がどのようなものになるのかはちょっと予測がつかないが、ブルーノートのウェブサイトで本人が下記のように書いているのを読むと、要するにここ最近と同じか、とも思える。よりエフェクトとサンプラーを多用したサウンド・カラーにはなりそうだ(ソーサがピアノを弾く時間が減ると、それに比例して演奏のクオリティも下がる傾向にあるので、あまり遊びに走りすぎないで欲しいものだが)


このプロジェクトは、さまざまなアフリカン・カルチャーのリズムとメロディーの伝統から脈々と続く、異なる音楽文化との出会いへの探求へと続くものなんだ。最近の作品をアコースティック-エレクトリック・ヴァージョンで演奏する予定で、そのなかには音楽的にも概念的にもわれわれの世代がマイルス・デイヴィスから受けた影響が出ることになると思う

  • 今年は、前回のメンバーからドラムスのフリオ・バレット、ボーカルのモラ・シーラを外して来ているが、バレットが参加しないのは非常に残念だ。
  • 20年ほど前、西欧デビュー直後のゴンサロ・ルバルカバをサポートして一躍名を売ったこの天才キューバ人は、世界的にみてもかなり類稀な技巧を持っている猛烈な凄腕。ナマで観るのは初めてだったが、数々の録音物どおり千手観音のごとく手数の多い、実にアクロバティックで強烈なドラミングをしていた。
  • 下記二つの動画は昨年の来日すぐあとに移動したルーマニアのジャズフェズでのステージだが、日本でも、バレットのマシンガン・ソロが炸裂して幕を開けるPARALELOと、ブレイクから一気に躍動的なメロディへとドライブするアンコールのTres Negrosはとりわけ感動的で、公演のハイライトと呼べるものだった。



  • 昨年のメンツは、来日公演に限っていうと(映像で確認すると、日本でのステージはなぜかハズレが多いので)間違いなく、過去最高と言って差し支えないモノすごい演奏をしてくれた。ちょっとあれ以上というのもなかなか難しいかもしれないが、いずれにせよソーサのパフォーマンスが持つ力に触れることはぼくにとって本当に重要なことだ。
  • 今年も、可能な限りの回数、見届けたいと思う。

*1:オマール・ソーサ「プリエートス〜黒い神々の囁き」ライナーノーツより。インタビューは切石智子 http://www.amazon.co.jp/Prietos-Omar-Sosa/dp/B00005CEMV/ref=sr_1_10?ie=UTF8&s=music&qid=1278233261&sr=1-10

*2:以下はwikiからの引用である→サンテリアまたはサンテリーア(Santería)は、主に西アフリカのヨルバ人の民俗信仰と、カトリック教会、スピリティズム(心霊主義/別名カルデシズム)などが混交して成立したキューバ人の民間信仰。混淆宗教。いまや観光立国に変貌しつつあるキューバの、外貨獲得の手段として、土産物屋や書店、博物館などで頻繁に目にする。信者をサンテーロと呼ぶ。なお、ハイチのブードゥー教やブラジルのカンドンブレ、マクンバなどはサンテリアの仲間である。キューバではサンテリアのみならず、パロ(パロ・モンテ、パロ・マヨンベ)やアバクワ、ヴォドゥといった別種のアフロ・キューバ信仰も盛んである。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%AA%E3%82%A2 

*3:オマール・ソーサ「プリエートス〜黒い神々の囁き」ライナーノーツより。藤野治美訳 http://www.amazon.co.jp/Prietos-Omar-Sosa/dp/B00005CEMV/ref=sr_1_10?ie=UTF8&s=music&qid=1278233261&sr=1-10

*4:オマール・ソーサ「センティール」BG-2006 ライナーノーツより。訳:岡本美穂 http://www.amazon.co.jp/Sentir-Omar-Sosa/dp/B000063685/ref=ntt_mus_ep_dpi_6