錯覚/空/切り取られた四角の空間は視覚に絵画を生む/





めつくのと同時に肌に心地良い涼風が吹く空気の中を歩きながら空を見上げてみる。
なまのカラーフィールドが目の前に広がっている。
適量のコバルトとセルリアンと、ほんのわずかのウルトラマリン。
そしてパープルではなく、濃いカドミウムレッド。そこを切断する鈍く黒いグレー。
神の手が戯れに現前させた美しい混濁が目に飛び込む。網膜に染み込む。
ぼくの脳は、ただちにそれを退屈な四角へ切り取る。
あっという間に、イイ塩梅の「擬似平面」「絵画空間」が出来上がる。
ポッケから左手で携帯を取り出し右手がそれをひねってカメラモードへと切り換え、
中途半端なタッチパネルをつんと右手人差し指が押す。
カシャッという撮影音がして、実につまらない矮小なドットの集合体が記録される。
ぼくは画面を確認して、ついでに周囲も確認する
(今や街中のでのその行為は、きみを不審者にさえするだろう)。
そしてまた右手人差し指を動かす。
カシャッと音がして、矮小に変わった次なる「擬似平面」「絵画空間」が記録される。
ぼくはそれをあと2回ほど繰り返す。
その回数分、「擬似平面」「絵画空間」が記録される。


シャッとした回数分の成果をそれぞれ液晶で確認して再び顔を空へと上げると、奇跡は既に失せている。
自在で自由で気まぐれな超越者は、フランケン・サーラやモーリス・ルイスが仮定の目的地とする他なかった「何か」を、あっと言う間に醜い濁流へ堕としている。


もうそれは、ただの空だった。


我に返ると、ジワジワと、にいにい蝉が鳴いているのが耳に入る。
夏になっているのだった。
ぼくの目に入っているのは、単に澄んだ夏の夕空でしかなかった。