ニッポンの/ニホンの/トウキョウの、青




 
数日前から、東京には夏が出現している。
夏、夏、そう、夏が!じめじめと陰鬱・悲惨な梅雨を蹴り飛ばして、退場させた。
都市としての東京が目覚めきらない時間から既に、朦朧とさせられる熱気が矮小な人間たちの躰を包んで、じっくりと蒸し上げて、へたばらせている。
ぎらぎらというよりピカっと笑う太陽は、笑顔崩さぬまま、妥協無く、容赦なく、隅々まで丹念に地上を炙り焦がしている。
そして矮小人が見上げた視線の先には、あまりにも強く鮮やかに目を射ぬく空の青、その上を、綿菓子怪獣のような、奇妙に膨れあがった雲が、悠々と浮かび漂っている。


息を呑む、完璧な光景だった。
美しい、輝ける夏だった。



ウィリアム・バロウズが著した奇書「おかま/QUEER」の冒頭で形容されるメキシコの空、


「空は旋回するハゲタカや血や砂に本当によく映えるあの特別な色合いの青―――生々しい凄みのある無慈悲なメキシコの青だった」*1


そんな屹立した鋭い残酷さや強烈さは、トウキョウ、いや、ニッポン、いやニホンの空には、その「青」には、無い。
ゆるく、呑気な/あるいは、白痴的な、ニッポンの/ニホンの/トウキョウの「青」
気違いじみた数の人間が蠢く都市・東京には、ありとあらゆる感情が溢れていて、人々は各々、


喜んだり/哀しんだり/悲しんだり/笑ったり/絶望したり/諦めたり/妬んだり/憎んだり/欲情したり/殺意を覚えたり/
許したり/やっぱり許せなかったり、


色々と、様々に悶えるのだけれど、あの「青」は、そんなすべてを溶解させる「なごみ」の力に満ちている。
思考を停止させ、言葉を無くす、弛緩のモードへと、ぼく/あなたを引きずり込む。
ナゴム」ではない、「和む」でもない、「なごみ」



破裂した毛細血管みたいに敷かれた線の上を通ってあちこちからやってくる、数分の乱れも無く整然と動き続ける鉄の塊からはき出され続け、誰かの手で誘導されるが如く脇目もふらず目的地へと歩く矮小なぼく/あなただって、脱力せざるを得ない。
目にした途端、一瞬にして、感情が蒸発するだろう。
嗚呼、と言ったきり、しばし、立ち尽くすだろう。


矮小なぼく/あなたたちの感情を無化し、呆けさせ、武装解除する。
そんな恐ろしさを持っている。


それが、日本の、夏の空だ。


メキシコとは違う特別な色合い、それがニッポンの/ニホンの/トウキョウの「青」なんだ。

*1:ウィリアム・S・バロウズ著、おかま「クィーア」より。山形浩生柳下毅一郎訳、発行・ペヨトル工房