ラーメン死闘


【太郎らーめん、麺200g、油まし、野菜増し】


 
本当に死ぬかと思った。
なんなんだろう、これは。


 
ぼくの住む聖蹟桜ヶ丘には、ラーメン二郎のインスパイア店が二つある。
一軒目は、池袋の有名ラーメン屋である大勝軒から暖簾分けされた「新化勝軒」。
もう一軒は、その新化勝軒の姉妹店だという、駅からすぐの飲み屋街にある太極軒
太極軒の場所は、新化勝軒が大通り沿いに移転したあとの空きを、そのまま引き継いでいる。


 
6月のある日、朝のアルバイトを終えて新宿から聖蹟に帰り着いたとき、ぼくはひどい空腹感を覚えていた。
時刻はだいたい11時30分になろうかという頃だった。その日もいつも通り5時10分に起床し、朝飯はしっかりと食べた。清掃の労働を特別に頑張ったりもしなかった。だけど、なぜか凄くお腹がすいていた。だからそれを塞ぐものを、みっしりと腹を満たすものを食べたかった。腹の気分はラーメンが最適だと告げていた。


新化勝軒でも良かったが、まだ大勝軒流儀だというつけ麺しか食べたことがなく、「二郎インスパイア」を謳っているラーメンには挑戦していなかった太極軒に入ってみた。ぼくは別にラーメン二郎のファンというわけでもないが(歌舞伎町店しか行ったことがない)、その日の腹ペコリにはちょうど良いのではないかと思えた。そして、歌舞伎町のラーメン二郎と同じ感覚で「麺200gに野菜増し+油まし」を頼んだら、写真の物体が出てきた。


 
正直、完全に予想外の量だった。
歌舞伎町の二郎で野菜増しをするより、遥かにその山は高かった。
ぼくはギョッとして、息を飲み、他に客のいない店内で一瞬かたまってしまった。



比較すれば、そんなに大したことがないのは分かっている。
世間に氾濫する超絶のメガ盛りメニューの、ほとんど吐き気を催す盛りっぷりからすれば、それほど基地外じみた量ではないのは分かっている。
でも、ぼくはこの「太郎らーめん」を食べていて、生まれて初めて、
「あ、これ完食したら(冗談抜きに)吐くかも」と思った。
以前、「あたし二郎に連れてってもらったときこっそり便所で吐いちゃったよ!」と言っていた女友だちがいて、ぼくは理解できなかったが、そのとき、彼女の言葉がリアリティを帯びるのがわかった。
ぼくは少食ではなく、胃下垂気味なので、体格*1から他人に想像されるよりも相当に食べるほうだ。でも、この日は途中から「食事」じゃなくなっていた。 目の前の物体との格闘だった。真剣勝負だった。
これは不条理な試練であり、それを死ぬ気でクリアしなければならない、と言うわけの分からない切迫感を覚えた。
目の前の、豚の背脂がまぶされたキャベツとモヤシの山から、脅迫にも近い圧力を感じた。


 
もう、味のことを考えている場合ではなかった。 まったくもって、そんな場合ではなかった。
実際、美味しい、という感覚が浮かぶことさえなかった。
というか、味がしたかさえ、うろ覚えだった。 味はしなかったかもしれない。
ただもう、「食べきらなければ!」というフレーズが頭とからだ全体を占拠していた。
箸とレンゲでがむしゃらにキャベツとモヤシを突き崩す。スープに少しでもなじませ、麺ごと一気に口に放り込んでいく。貪ってゆく。
麺は超太い輪ゴムのようだった。ぐにっとして噛み切りづらく、汁を吸い込んで死体のようにぶよぶよに膨れた。
それは胃の中で200gとは思えない膨張率を示した。
そのうちスープを吸い込んだキャベツがぶよぶよでべちゃべちゃになってどんぶりを溢れさせ、汁の濃度さえ不鮮明になっていった。
ぼくはニンニクを投入して混沌の世界を活性化しようとを試みたが、無駄だった。
大量の刺激物質はぶよぶよとべちゃべちゃに吸い込まれて跡形もなく消え去ってしまった。
不鮮明な濃度のスープと、野菜と、麺の混合物には、何も変化が起きなかった。


途中、ぼくは少し涙目になっていた。深呼吸し、目をしばたたかせながら、格闘し続けた。
べとべとと嫌な感触の脂汗があちこち滲んでいた。


 
十五分かそこらの格闘のあと、どうにか全ての具材を丼から胃袋へと移すことができた。
丼には乱切りされた豚の背脂が少し残ったスープに小島のごとく浮き上がっていた。まばらなギトつく沼地が残されていた。
ぼくはヒューヒューと喘ぎながら、なにか神秘的なものが躰をつつむのを感じた。
達成感だろうか、しかし、その達成感は、まったく心地良く無かった。


ぼくはまだ吐いてはいなかったが、これを飲み干したら危険だと身体がシグナルを発していた。
歩き出して、胃の隔壁を調節しなければヤバい!そんなふうに急を告げていた。
ぼくは努めて平静さをよそおった。
沼地を残した丼を「ご馳走様」と言ってカウンターに返して、わざとらしく通常の満腹感を演出して店を後にした。
道を歩くと、ゆっくりと深呼吸を繰り返しながら臭い息を吐いた。それを繰り返した。
腹が丸く膨れているのが分かった。ぼくはピョンピョン変な歩き方をしながら、なるべく回り道をして家に帰った。


そしてオットセイみたいにヘンな口呼吸をしながらすぐ地下室のソファに横になった。


 
ひんやり心地良い合成皮のカバー上で喘いでいたら、意識が途切れてしまった。
起きたら、ヘンな臭いのする汁で口がべとべとになっていた。
胃はまだ、重油が流し込まれたように重かった。
これまでの人生で胃に重油を流し込まれたことはなかったが、そう思った。


どうも悪夢を見ていたようだった。
それをぬぐいながら、なぜか「次は汁を…」と考えていた。
だが、いま思い出してこれを書いていたら、「次」への気分は薄れてしまった。単に気の迷いだと思えてきた。
たぶん賢明さというものがまだぼくにも残っているのだろう。


けれども、またなにか、無意味さの不条理な希求とでも言うべきものが到来したら、簡単に言うと、とにかくアホなことに挑戦したくなったら、また行ってしまうのかもしれない。


あるいは、それこそがメガ盛りの本質なのかもしれない

*1: 173センチ、50キロ