至福のアフリカン・ルンバ


 
素晴らしい。
まったく素晴らしいブラック・ミュージックだ。
※ このエントリは下記のリンクを再生しながら読んでいただくと、より楽しめるでしょう!








 
高校二年の終わりくらいからの十年近く、ぼくはキューバのポピュラーミュージックを中心に音楽を聴いてきた。
理由は、当時、村上龍(春樹ではなく)の熱心な読者だったからだ。
かれが1990年代の初頭、あらゆる媒体に書きまくっていた、過剰なキューバ賛美のテキストに影響を受けたからだった。


 
それは1999年秋のことで、エネへ・ラ・バンダを中心にかれが狂熱的にキューバサルサ・ドゥーラを布教していた頃からはだいぶ時間が過ぎ去っていたが、ぼくは周囲から呆れられる程、急速に、激しくそれに没入していった。強烈な快感を伴う混血音楽に傾倒していった。
始めはわけも分からず、とにかく手当たり次第に聴きまくっていたが、リサーチを深めていく過程で、キューバと関連のある音楽にも興味を示すようになっていった。
そのうちの一つがリンガラだった。


 
旧ザイール、現コンゴ民主共和国で現在も最大の人気を誇るリンガラ・ポップス=ルンバ・ロックは、キューバのトラディショナルな音楽から強い影響を受けて発展・成立した音楽だった。ベルギーの植民地であった1940年代、ザイールではラジオやレコードを通して流入してきたソンが大流行し、それをコピーした「ルンバ・コンゴ」がシーンの主流になっていたのだが、1960年代の後半から70年代にかけて、首都・キンシャサでたむろしていた若いミュージシャンたちが「ルンバ・コンゴ」をより先鋭化させ、真にザイール的なモダン・ブラックミュージックとして作り上げたのがリンガラだった。
熱心な日本のファンの中には「因習をぶち破ろうとした、若いザイーリアンのロック的な反逆精神」と形容する人もいた。
それはロックをはじめとした欧米の音楽状況から影響を受けたことはもちろん、かつてキューバに奴隷として連行されたコンゴの祖先たちが持っていたリズムが、数百年を経て祖国に帰ってきたのだと指摘することもできた。
まさにキューバの音楽と同じく、語の真の意味でフュージョンであり、ハイブリッドなポピュラー・ミュージックだった。


 
リンガラは80年代にアフリカ全土を席巻し、当時形成された概念である「ワールド・ミュージック(笑)」の浮かれたブームも手伝って、旧宗主国であるベルギー、そしてフランスやイギリスなどの欧州各国において「スークースsoukous」という名称のエキゾチックなダンス・ミュージックとしてバブル的な人気を博した。
ぼくがリンガラを聴き始めた2002年頃、モブツ政権崩壊、ローラン・カビラ暗殺などの政治的混乱もあってシーンは停滞し、力ある音楽ムーブメントとしてのそれはとっくに、完全に「終わって」いたこともあって、モダン・キューバンほど熱意をもって接することはなかったが、ぼくはこのアクの強い音楽の魅力に惹かれ、少しづつ、色々なオルケストルを聴いていった。


そして、いくつかの曲からは、自分のもっとも重要な音楽のひとつと言えるまでに、深い感銘を受けた。


 
ここ二年ばかりは、キューバ音楽への関心低下に連動するかたちでリンガラからも少し遠ざかっていたのだが、先日、ちょっとした切っ掛けから手持ちのCD音源などを調べ直して、まとめて聴いてみる気になった。
いま、ぼくはポータブルCDプレイヤを使わなくなり、自宅ではPCで音源を管理して外出先ではWALKMANを活用していたから、これを機会に、データ化が遅れていたリンガラを整理しようとも思った。


 
ちょっとした切っ掛けとは、大学時代の旧友と新宿で飲んでいたときの会話だった。


「以前からオマエはキューバ以外にアフリカ音楽が好きだとか言っていたが、なにがどう好きなのか?」
「アフリカ音楽なんて無いよ。というか、一部のコンゴのポップスを好きなだけ」


少しばかりからかうような風に聞かれたので、こちらも気色ばみ、リンガラに関して説明をしたが、当然ながら、あまり理解されなかった。


「リンガラだとか、そんなわけのわからぬ、聞いた事もない後進国のマイナーなポップスが凄いとは、とても思えない。つーかナニソレ?」




 
旧友がこんな素朴な、しかし平均的な日本人からすれば当たり前の疑問を呈するので、久しぶりに「布教活動」でもしようかという気になったのだ。首尾のほどは気にならなかった。
意外なことだった。かつては、全くそんなことはなかった。
かつては、エネへ・ラ・バンダやチューチョ・バルデスオマール・ソーサの「布教」に一番熱心だったころは、その結果をずいぶん気にしたりもしていた。もう、他人を自分の嗜好に巻き込みたいという、強引な自意識の段階は過ぎてしまったのだろうか。


 
というわけで、ぼくは自室のCDラックをひっくり返してCDを探した。次々にHDDに音楽を取り込んだ。
そうして久しぶりに集中して聴いたリンガラは(正確にはその一部は)、やはり最高だった。
スピーカーから飛び出す、太く豊かな奔流となってうねる「黒い」音の波…、
そこには相変わらず、素晴らしい音楽のみが身体にもたらす圧倒的な多幸感があった。まじりけなしの、音の悦楽があった。ぼくは昔のようにニコニコと気違いみたいに破顔し、のけぞって快感に悶えた。


 
この感覚を目に見えるかたちでも提示すべくYoutubeやデイリーモーションを検索してまわると、幸運にも、素晴らしいサンプルが電子の海の中に存在していてくれた。冒頭のリンクは、そんなリンガラがシーンとして最盛期を迎える頃に結成され、今に至るまで一線で活動しているVictoria Eleison というオルケストル(バンド)の曲だ。最初の二曲は来日公演(渋谷)の映像である。
いずれもリンガラという音楽形式が持つ独特の快感と魅力を、このジャンルに疎い人にも分かりやすく完璧に伝えるもので、文句なしの名演だ。
このVictoria Eleisonの全盛期は、ぼくがもっとも好きなリンガラ・ポップスでもある。
うるさ型のマニアからしたら他にも推したいものは膨大に、無数に存在するのは十二分に分かっているけれど、リンガラはかなりアクの強い音楽のため、まるで免疫の無い人には強烈すぎたり理解不能の演奏も多く、ぼくのひいきを抜きにしても、やはり取っ掛かりとして最適なのは上掲のような曲だと思う。


「リンガラ?リンガーハットは長崎ちゃんぽんだけど?」


みたいな人には、ただちに、四の五の言わず、爆音で聴いて頂きたい。
1曲目のNzinziの開始数十秒で、ぼくがVictoria Eleison を推す理由を理解してもらえるハズ。
ごく短いイントロのあと、連打されるドラムの躍動的なスネアと共にキィーンと耳を貫くエレクトリック・ギターの煌めくメロディ。
このコンビネーションがもう、いきなり聴き手の耳を捉えて離さない。
十分にタメとニュアンスが利き、緩やかにうねるリズムの波、そこへ実に独特の和声感覚を持ったまろやかなユニゾン・ボーカルと野太いベースが絡みついてゆく。
次第に加速し、奔流となって押し寄せるブ厚いアンサンブル。
そのめくるめく、背筋から腰骨を直撃する得も言われぬ快感は、実に、唯一無二のものだ。


 
リンガラという音楽は、上記Victoria Eleison以外のオルケストルの曲でも、みんな、だいたい同じ曲の構成をしている。
イントロを経て、前半はゆったりとした歌唱とユニゾン・コーラスが中心の「ルンバ」と呼ばれるパートで始まり、それを段々と、あるいは一気に展開させリズムにダイナミックな抑揚が付き始める中間部分「カダンス(サカデとも言う)」を挟んで、最後はブレイクから急激にドラムスの調子が変わってスピードアップし、複数のギターが奏でる反復フレーズとボーカルのアニマシオン(掛け声)が自由奔放にガナリ散らされる、クライマックスの「セベン」に突入するのだ。


 
日本でも比較的知られるパパ・ウェンバが在籍したZaiko Langa Langaが様式として完成させた、ルンバ→カダンス→セベンという一連の流れがリンガラの基本型である。
曲によってはカダンスを抜いたり、いきなりセベンから始まってそのまま終わったりする変形パターンもあるが、大筋でこの枠から逸脱することはない。


 
それはキューバのポップスに見られる曲構成とも近い関係にある(キューバものの方が、構成やアレンジが遥かに複雑で細かいが)。
上述したように、もともとリンガラはソンを模倣して出来上がったルンバ・コンゴを先鋭化させた音楽なので、曲の形式が非常に近い。セベンが、あのジャンルで言うモントゥーノにあたるのだが、サルサなどの現代キューバのポップスはその部分でピアノが反復フレーズを弾くけれど、リンガラでは複数のエレクトリック・ギターが担当するという風に変わっている。

 
加えて、前者はコンガとティンバレスが打楽器の中心となってポリリズミックな演奏をするが、リンガラの場合、コンガはあくまでサポートであり、四つ打ちのバスドラとハイハットやスネアでクラーベ(ラテン・リズムの要となるパターン。サルサの場合、ティンバレスカウベル奏者がそれを常に叩いてリズムを煽る)をぶっ叩くドラムスの果たす役割が非常に重要になる。
バスドラの四つ打ちに見られるロック・マナーなドラムセットの使用によって、リンガラはサルサとは異なる前のめりで縦ノリな感覚を強く持っているが、同時に、ハットとスネアから叩き出される丸っこく太いクラーベ・ビートが、そこにゆったりとした、シンコペイテッドなリズムの揺らぎ、うねり、独自の速度感を加え、単調なロック・ドラムとは全く違うコンゴ的な「黒い」ビートを生み出している。
 
前につんのめりながらもシンコペーションの感覚を維持するドラムとベースに絡まるギターのキラキラした粒立ちのよい音色、かぶさるボーカル・アンサンブルの、絶妙に「ズレたリズムの同期」、、こうした要素がリンガラを他の音楽と明確に区別し、特徴付けるポイントである。(ズレた同期というのは矛盾した形容だが、リンガラにおける、各パートが合わさった際の不思議なリズムのコンビネーションはこう形容するのが一番ふさわしいように思える)


そしてすべてが渾然一体となってカダンスからセベンへと突入し、疾走を始めるとき、最大のカタルシスが訪れる。
この音楽の核心が、魔法の瞬間が現前するのだ。


 
優れたリンガラ・ポップスにおける、カダンスからセベンへと流れる展開の快感は実に奇跡的なものがある。
体を包み、宙に浮かんでいくようなあの不思議な開放感、高揚感は、他の音楽では味わえない。
それは手本になったキューバン・ポップスのモントゥーノともまた違った、とても稀有なものと言える。
既にお聴き頂いておわかり(ですよね?)のように、上掲リンク一曲目「Nzinzi」の4:50秒過ぎからと、2曲目「Surmenage」5分50秒過ぎ、3曲目「Amelo」4:20秒過ぎ、そして4曲目「Deux Temps」4分41秒すぎからは、まさに最上級のセベンが繰り広げられている。
四曲はいずれもカダンスにおけるつなぎの展開も非常になめらかで、とりわけ、ネグロイドにしか出せない類のウェットさを持った声質のボーカルとクリアに歪むギターがもつれて絡み合うさまの美しさは、筆舌に尽くし難い。


そう、それはまさに至福のアフリカン・ルンバ
嗚呼、もはやぼくら聴き手はただ痙攣し、歓喜して踊り狂うしか術はないのだ。


 
上掲の後輩との会話でぼくは「アフリカ音楽」など存在しないと書いた。
アフリカ大陸における「音楽」とは、東西南北および属する宗教、文化、人種によってそれはそれぞれに、本当に著しく異なっていて、
「アフリカ音楽」などと粗雑にカテゴライズするのはまったくもって不可能だからだ(アフリカ的、という比較的無難な形容も、本当は無理がある。
アジア的な情感、などと言ってタイや韓国、日本の音楽をいっしょくたに出来ないように)。
そもそも日本では、少なくない数のアラブ系住民を有するアフリカの国家が存在するという基本的な事実さえ把握していない人も多いと思われるし、例えば我が両親はといえば、未だに、アフリカ+音楽ときたら土人の裸踊りだろ?」と言い出すありさまだが、それは他の多くの日本人も共有する偏見(エキゾチックなイメージとも言う)だろう。


 
しかし、それでも敢えて踏み込んでみるなら、ぼくにとって「アフリカの音楽」とは、まずもってこのエントリで紹介した最盛期のリンガラだ。
エキゾチックな味付けをしたジャズや「フュージョン」(ここではアメリカ西海岸のそれ)でも無ければ、アーバンでミクスチャーな、アフリカ風味の各種西欧型ポップスでも、単にトラディショナルな部族音楽でもない。


独自のブラック・ミュージックとして完成し、猥雑な魅力にギラギラ輝いていたかつてのリンガラ、ルンバ・ロックこそが、ぼくにとって最高に楽しめるアフリカの音楽である。

追記1


このエントリを書くにあたって、日本屈指(というか、まとまったものとしては殆ど唯一?)のリンガラに関する情報が掲載されたウェブサイトであるjaki's Homepageから多大な影響を受けた。運営者であり、ミュージシャンでもある伊丹正典氏に最大の感謝を捧げたい。
ぼくがリンガラにはまるきっかけとなったのは、竹本秀之さんという方が運営していた、今はもう閉鎖されてしまった「アフロ・ボサ」というサイトだったが、彼から伊丹氏のサイトを教えられて以後、その緻密かつマグマのような熱意に溢れたリンガラに関するテキストは幾度となく読み返している。
伊丹氏が発露するザイール=コンゴへの凄まじい愛と情熱に比べれば、ぼくの関心などハナクソみたいなものだ。
驚異的なユーモアに溢れるザイールでの音楽修業記(ひどく長大だが、これは本当に面白い)も含め、音楽を愛する多くの人は、ぜひ一度訪れてみて欲しい。


追記2


残念ながら今やVictoria Eleison はじめ、昔から活動しているリンガラのオルケストルは(音楽的には)衰退の道をたどる一方だが、ゼロ年代半ばからは、別なルートでコンゴのバンドが西欧市場の注目を集めたりもしている。
前述した、リンガラの前身となったまろやかな「ルンバ・コンゴ」を演奏するKEKELEや、親指ピアノにアンプを接続して人力トランスともいうべき音を出すKonono No.1は来日公演まで果たしたが、いまもっとも注目を集めているのは今秋に映画公開とライブが控えている車椅子のストリート音楽家集団「スタッフ・ベンダ・ビリリ」だろう。
リンガラとはまた違った濃厚なファンク・ビートを出すビリリだが、闘志にも近い音楽への意志は感動的なものがある。 来日公演は是非観てみたい。





ケケレは「ルンバ・コンゴ」とキューバのトラディショナルな音楽との影響関係もあって、「コンゴブエナビスタ・ソシアル・クラブ」となるべく、明らかに二匹目のドジョウ狙いで企画されたユニットだが、その実力はブエナビスタを凌ぎさえする。
ユニットの成功?も影響したのか、かれらが演奏するルンバ・コンゴ創始者とされるPapa Wendoは最近「On the Rumba River」という音楽映画の主人公にもなった。




アフリカ人力トランスKonono No.1は、一時期タワレコ界隈(どこだそれはw)で大きく取り上げられていた。
コンゴに行けば道の辻辻で似たようなことをやってるストリート・ミュージシャンは大勢いるとも聞いた。
洗練とは程遠いが、異様な迫力は確かに、ある。