メモ=ベルチリヨン166/中上健次/言葉の説得性

  • 先日のエントリーで触れた「ベルチリヨン」「大統領閣下」等が(だれも借りる人がいないので)さっそく届いたため、自宅への帰り際に受け取る。
  • 一緒に、中上健次エッセイ撰集 文学・芸能篇」を借りる。
  • これまでも、借りては読み、返してまた借りてあちこち読み返し、また借りる、ということの何度目か(同時に刊行された青春・ボーダー篇は、このあいだ数百円代に下がっていたので、アマゾンで購入した)
  • まず「ベルチリヨン」にざっと目を通すが、予想通り、キューバ革命あるいはラテンアメリカの歴史やその文学にまったく興味が無い人間が急にいま読んでも、正直、あまり面白くはないだろう。
  • ジュニア小説にも近い素朴な(簡潔で明瞭、ではなく!)文体と構成でサンティアゴにおけるバティスタの暴虐と人民の抵抗を描いているが、すべてがいささか図式的で、小説的な濃密さは薄い。
  • ただ、キューバ革命に関心がある人間なら、【人民社会党共産党)とカストロ率いるゲリラとの連帯のために派遣された黒人】という設定のキャラクターがいたりすることや、こまごまとした革命の固有名の使われ方を興味深く読むことができるだろう。
  • そして後書きが意外に丁寧に(DRのクーデターにも触れている)革命の細部について紹介してあって、人によっては「作品以上に」面白いのではないだろうか。
  • 「大統領閣下」カブレラ=インファンテの2冊はひとまず脇に積んでおく。
  • 中上健次に関しては、「からだ」のレベルで共感や没入を感じるほど好きな作家ではないのだけれど、(とりわけ短編における)あの呪文めいた文体の特異性、濃密さはぼくを惹きつける。物語や小説としての結構以上に、言葉そのものが、強い、エネルギーの帯のようなうねりを持って連なってゆく。
  • 批評やエッセイにおいても、その点は変わらない。都はるみからサルムノリ、レゲエ、柄谷行人永山則夫紀州アメリカへの紀行文まで、すべて同じだ。
  • 語られている政治的な見解の妥当性には疑問もあるし(韓国への過剰な傾倒など)、作家や批評家への評価は、果たして学問的に正当であり、論理として高度なものなのかどうか、ぼくには判断がつかないことも多いのだが、そうしたすべての懐疑を無化し、なぎ倒す圧倒的な言葉の肉体性、語り口の魅力、強靱さがある。
  • これを読むと、「正しいだけ」「知能が高いだけ」「目端が利くだけ」の批評文がひどく脆弱に感じられる。説得的なのだ、つまり。論理性にスポイルされていない、「からだ」から発されている批評の言葉。
  • これは村上龍の最良のエッセイにも似たようなものを感じるが、比べるとやはりかれは迫力不足で、ずっとふにゃふにゃしている(ただ、そのぶん中上にはないカラフルさと愛嬌があるけど)。
  • ほとんど神秘主義的でわけのわからない、感覚的な物言いになるが、これほど「引力」のある言葉を紡げる(た)作家は他にあまりいないと思う。
  • たまたま置いてあったからまた借りることにしてしまったが、やはり「文学・芸能篇」も購入しておくべきかな。