Oval、来日(2/2)


(1/2からの続き)


渋谷慶一郎が登場すると、拍手と歓声が起きる。
この日はかれの出番を楽しみにしている客も多かったようで、周囲のサブカル女子たちの何人かがはしゃいで、ワーワー言っている。


あー渋谷さんありえないくらいカッコ良いってーー!
ねーオーラあるー!



ステージにMacBookをセットし、後光が射すかのような照明を逆光で浴びながらモニタを凝視する渋谷は、どこか痩せた飯野賢治のようでもあり、確かに異様な存在感を放っている。

ぼくはこの人がどういう音楽を作っているかについてあまりよく知らず、芸大の作曲科を出ていて、相対性理論と絡んだり、凄い音響システムを使ってライブしたりしてるっけ…?という印象しかなかったが、ここで披露された音は混じりけなしの、妥協なき爆音ノイズで、相当に意表を突かれた。

冒頭からビートも揺らぎも何も無い、バグバヴォリバリグォォ(描出不能)と、耳をつんざくような、純粋なグリッチ音が身体に突き刺さる。
同時に、激しく、ほんとうに瞬きの百倍は早く激しく、照明のライトが強さを増して明滅を開始する。天井に高速で残像が見える。空間がバラバラに切断される。
それほど長い時間のことじゃなかったが、酒が入りすぎていたり、体調が悪かったりしたら気を失うんじゃないかと焦ったぐらいの凶暴な音と光の合成波。癲癇もちの人間は冗談でなく危険だったと思う。
その後も、轟音がフロアを満たし続けてゆく。「からだ」に、音が叩きつけられる。荒れ狂う電子の咆哮の隙間に、ときおり唐突に四つ打ちやドリルン・ベースめいた超高速のビートが挿入され、しばし聴衆を煽りもするのだが、継続的なダンス・ビートを意図したものでは全くなかったから、すぐに途絶えてしまい、痙攣する躰はその都度、快感から切断され、宙ぶらりんにされてしまう。
そのノイズの渦はしかし無秩序ではなく、即興的な荒らさや雑さは感じられない。
直前まで本人がTwitterで呟いていたように、綿密に計算され、作りこまれた「音」のテクスチュア、練られた構成は緊張感に溢れていた。
痛みを覚えるほど暴力的ではあったが、精緻なパフォーマンスだったのではないか。

チョー気持ちイイ…



渋谷のライブは興味深いものではあったが、ぼくにとっては、ある意味で聴衆の反応がそれ以上に、非常に印象に残るものだった。
上述したように、イベントがイベントだからだろう、お客にはカルチャー系っぽい、なんだかマニアックさに誇りを持ってるがごとき気取ったような男どもや、どちらかというと中野や高円寺の方がしっくりくるようなチェックのシャツを着た冴えない眼鏡男子などが多数存在している。佐々木敦が来てるらしいよ、サインもらおうかな。何人かが、そんな風に喋っている。

彼らのガールフレンドと覚しき女の子たちは妙に袖が長い黒のカーディガンだのワンピだのタイツだのスキニーだのサルエルだのデニムにカットソーだのと、ボリュームのある装いに、髪はショートボブやら中途半端なセミロングばかりで、盛ったりアゲたりキラキラしたりなど、皆無だった。端的に、地味だった。

渋谷慶一郎が登場する時間には、ステージ付近のフロアは身動きも憚られるほど人が詰め掛けていたが、そこに蠢く彼彼女らは、無差別爆撃の如く炸裂しふりそそぐノイズに対し、腕を組んでじっと立ち尽くし、無言で、表情を失っている。あるいは、脱力したまま、苦痛に耐えているようにも見える。

ぼくの横に立っていたある女の子は、俯きながら頭を小刻みに振って痙攣し、あるいは、のけぞって天を仰いで口を開け、恍惚か不快か判然としない表情に顔を歪めている。まさか、背後から誰かに愛撫でもされているのかと勘ぐってしまいそうな、奇妙に猥褻な動き。
左横では、清潔そうな身なりの彼氏が、ごく普通に街中でも歩いていそうな素朴な雰囲気の恋人を抱きすくめ、覆いかぶさって「なんか、すごくノイズだね、大丈夫?」と耳元で囁いている。

無理やり躰をゆすぶり、頭を上下させている人間も少なからずいるが、それは、定律的なリズムでグルーヴを生む「まとも」な音が流されているときフロアに満ちるような、踊る肉体が放つ熱気とはほど遠く、なにか新しい宗教的な儀式に参加し、強烈な神秘体験に身悶えている信者たちを連想させる。
ステージにはMacBook一台と、それに掴みかかるように覗き込む渋谷慶一郎一人という図も、なにやら教祖のご託宣めいたシュールさを醸している。

演奏が終わり、渋谷が退場すると、近くで俯きながら痙攣していた女の子たちが言う。


チョー気持ちよかったぁぁぁ!
ねーーマジ、マジ、すっごかったぁぁぁぁ


興奮気味のその語り口にこそ、ぼくは、なにかスゴいことを聞いてしまったような気がした。
あの音を「チョー気持ちいい」と言う子には、これまで会ったことが無い。なんだか少し、感動してしまった。

Oval、登場




渋谷の出番が3時少し前まで続いたせいか、そこからあまり間を空けず、Ovalがセッティングのためにステージに姿を現した。
たちまち、いくつもの、奇声に近い叫び声があがる。

今まで写真でしか見たことがなかったが、実物のOvalはもっと痩せていた。というか「小さ」かった。なんだか貧相なとっちゃん坊やといった趣で、表現者としてのオーラが薄い。たるんとしたチェックのシャツとデニムが、まるで「外人オタク」イデアのようだった。

実際、うしろの方からは「あのチェックのシャツwwwwwwww相変わらずイイわwwwwww」というニヤニヤ笑いが聞こえてくる。
しかし、顔のインパクトだけは違った。ほとんど瞬きしない目の強い印象を中心にした表情の雰囲気は、ぼくが今まで何人も写真で見てきたシリアルキラーに共通の何かを彷彿とさせ、演奏が始まると、それはさらに確かなものになっていった。



時計が3:15分を指したとき、セッティングを終えたOvalは、時間通りに演奏をはじめた。
アルバムと同じ、カン高い音のプリペアド・ギターがスピーカから鳴り響き、打ち込みのドラムがその上から被さる。

演奏、と言っても、ステージには渋谷と同じくラップトップが一台あるのみ(これが、なんとDELLだ)だった、ギターは無い。「演奏」は、しないということだ!
ウッソー!とぼくはセッティングのときから、呆気にとられてしまった。
今回の来日公演でまさかプログラミング音源しか使わないとは、正直、予想外だった。

ぼくは何の根拠もなく、Ovalがクリスチャン・フェネスのように、ギターと、リアルタイムなプロセッシングを組み合わせた演奏を展開するものだと思い込んでいた。
いや、根拠はあるはずだ。何しろOvalは来日インタビューで「ラップトップ・ミュージックじゃない新しい作品のために、ナマの演奏技術を学んでいて、十年の時間がかかった」というようなことを言っていたはずで、実際、アルバムではポップネスに溢れつつも奇妙で音響的な、独自のギター・パフォーマンスを披露していたのだから。



けれど凡人の甘い予想などアッサリと裏切り、Ovalはアルバムとほとんど変わらない音を、半ば「適当」に近い印象でつなぎ、執拗に反復させていただけで、ほとんどテープコンサートのようなライブを決行したのだった。
曲間にはドローン音を追加していたり、多少、音色やフレーズはサンプリングされていたが、渋谷のような作り込み、綿密さの意識は薄かった。

大げさな身振りでラップトップを操作しながら、ニヤ〜ッと口を大きく歪めて哂うOvalの表情は怪奇で、照明効果もあって、シリアルキラーじみた雰囲気はますます強まっている。

この日の「演奏」で目立ったのは、さまざまなリズムとフレーズを奇妙なグルーブで叩くドラムのパートだけが、ずいぶんと拡張されていたことだ。
ドラムはOval本人が叩いていると語られているが、以前のエントリに登場していただいたミカミさん(いまは大阪に住み、古典ギリシャ語を学びつつ新約聖書の研究に没頭する、暴力的なまでの知識欲を持つ作曲家)は、アルバムを聴いて「これ、本当に本人が演奏しているのか、疑問ですね。人間が訓練して、考えて叩いたフレーズとは思えないんだけどなあ…」という意味深なことを仰っていた。
確かに、ライブの際も高校生のドラムの練習みたいに、やたら素人じみて聞こえる瞬間と、妙に達者で深いグルーブを出しているかのように聞こえる瞬間とが同居し、判然としない、おさまりの悪い印象を受けた。



が、どちらにせよそれは少々長すぎて、少々、間延びしていた。
4時を過ぎたころには、恐れていたように、立ったまま寝落ちしそうになる瞬間が何度かあった。
Ovalはずっと元気で(当たり前か…)機嫌がよさそうだったが、周囲には、完全にガクンガクンと首を落として寝ている人たちもいた。

大空間に浮き上がり、耳から脳にピーンと突き刺さるプリペアドギターギターの超高音は(まさにアルバム通りに)とても魅力的だったが、「心地良くない」ドラムとのギクシャクする緊張したアンサンブルは、疲れてきた躰に強い眠気を誘うものでもあった。

なにしろAmetsubからはじまってもう2時間以上、深夜に超絶的な爆音を浴び続け、満員の中を肩肘寄せ合いながら棒切れのように立っているのだ。集中していろ、という方が無理ではないか。アンコールを含む全てが終了した4時30分すぎには、正直、「解放された!」と安堵を呟いてしまうのだった。


退場するときもニヤニヤしていたOvalの顔は、アホのように突っ立っているしかないこちらに同情して、でもおかしくて哂っちゃうぜ、といったニュアンスが浮かんでいるようにもみえた。

いつも通りのあの渋谷に…



UNITは5時過ぎまで開いているようだったが、喧騒と疲労、加えて空調の効きすぎによる寒さ(これは何人もが指摘していて、女の子はモソモソと上から防寒着を羽織ったりしていた)が耐えがたかったため、終わったとたんに地上へ上がり、渋谷まで歩く。
地上に出ても、朝はもう肌寒い。たまに通りすぎる車や自転車の音が、ふとした拍子に、さっきまで地下の穴蔵で、すし詰めの人たちと共に浴びていた「音楽」のように聴こえる。



渋谷にたどり着き、歩道橋近くの、24時間オープンのすき家で、とん汁・納豆朝食を注文する。
店の間延びした雰囲気で緊張がほぐされ、温かい食べ物で胃が満ちると、躰にまとわりつき、皮膚の表面にざわつくフロアの空気と、チリチリした「音楽」の残余が消えた感じがする。

店内には他に、革ジャンやデニムやキャップ姿の男たちが、ギターとサックスのケースを床に置いて座り、無言で牛丼をかきこんでいる。
身なりからすると、スカっぽいロックバンドだろう。きっと、かれらも深夜のライブを終えてきたのだ。
外では、また別のバンドのメンバーたちが発泡酒を飲みながら騒いでいる。あちらはハードコアパンクか。来週がなんだとか、やっぱりシマダさんは凄いよねとかいう言葉が、中にいても聞こえてくる。
店内の牛丼軍団は疲れきっているようだった。雰囲気が重く、表情が暗い。
ふいに、場末、という言葉を強く感じる。かれらはやっぱり、場末なりの音を出しているのだろうか。

眠さにぼうっとしながら空いているカウンターを眺め、Ovalが今ここに腰を据え、ムシャムシャと豚丼をむさぼり、ズルズルみそ汁を啜っている図を想像してみる。
うわあ…不気味なガイジン、、、というだけだった。牛丼軍団も外の発泡酒パンクも、誰も、かれが音楽家だとすら思うまい。ピーとかガーとかヴィーみたいな音の組み合わせで、とある世界の寵児だっただなんて…
いま、店内にその「音楽」が響いたら、かれらは「消してくれ」、と言うかもしれない。怒り出すかもしれない。


そう思うと、少し可笑しかった。



会計をすませてからSONYのNW-X1050を取り出し、ER-4Sを耳にねじり込んでOvalの最新アルバム「O」を再生する。
たちまち、すき家ピキュンピキュンという「音楽」で満たされ、また、世界の相貌が変わる。さっきまで消えていた皮膚のざわつきとチリチリが、急速に戻ってくるような気がする。
店員は奥に引っ込んでいて、誰も姿が見えなくなっている。座席を見ると、牛丼軍団が突っ伏したり、のけぞったりして、動かなくなっている。

外に出ると、もう、空は明るくなっている。
いつのまにか、発泡酒軍団はいなくなっていた。
鳴り響く「音楽」で都市が「映画」みたいに見える。
岡田利規の小説「わたしたちに許された特別な時間の終わり」の最後の一行が頭をよぎった。


「女の渋谷はもう消えて、いつも通りのあの渋谷に戻っていた」


この眺めは、「いつも通りのあの渋谷」なんだろうかと思いながら、駅にむかって、早朝の渋谷を歩いた。