アンヴィル!アンヴィル!アンヴィル!






※ 最近ようやくこの映画のDVDを買ったので、昨年、劇場で観た直後に書いたテキストを公開します。



らかの創作による自己表現を、本気で、真剣に志す人間は、誰でも心のどこかで自分のやっていることの正当性を確信し、意欲と熱意を持っているものだ。
しかし、壮年から老年期に向かう年になるまで、同じように純度の高い感情を維持していこうとするならば、それは非常な困難を極める苦行ともなるだろう。 誰であろうと、同じだ。才があっても、それほどでもなくとも、成功していても、していなくとも。
ただ、当たり前のことだが、比較するなら後者の方が圧倒的に苦しむ。とても、辛い。光り輝く才能に溢れているわけでもないのに、自分の表現欲求と付き合い続けることを止められず、しかも、望むような社会的承認=成功からは完全に見放されているのだから。


ナダで活動するベテランのヘヴィメタルバンドに密着取材して製作されたドキュメント映画、アンヴィル!夢を諦めきれない男たち」(以下、「アンヴィル!」)も、そんな業に囚われ続けながら生きてきた男たちを題材にした物語だった。
意地悪く言ってしまう場合、それは滑稽でみすぼらしく、哀しい見せ物だった。
しかし、同時にとても美しく、ポジティブなエネルギーに満ちた作品でもあった。ぼくがここ数年で観た映画の中では一番、自分に引きつけて観ることが出来たし、勇気づけられた。
その感情はたぶん凄く個人的なもので、他者と共有可能性な部分がどれほどあるか疑わしいのだけど、表現が個人に届くという現象は、個人と他者の表現の関係は、常にそうしたものだろう。


ンヴィル!」のパンフレットに寄せられた解説にはこんな一文がある。


アンヴィル・・・・。と、目にして、聞いて、即「知ってる知ってる、あのカナダのメタル・バンドね」となる人はよほどのメタル・マニアだ。 メタリカほど全然有名じゃないし、後世に絶大な音楽的影響を与えた、っていうわけでもない


かに、そうだ。その通りだ。
高校生の頃、キューバ音楽に狂う前の一時期、 ぼくは偏った、中途半端なメタル小僧だった。
でも、アンヴィルのことは全くと言っていいほど、知らなかった。
きっかけが思い出せないが(そもそも何故HR、HMを聴くようになったか思い出せない)、ぼくは当時、リッチー・ブラックモアという60年代にデビューしたイギリスのギタリストに心酔していたため、かれが関わったバンドや、かれが始祖になったHMの「様式美」と呼ばれるサブ・ジャンル、そして、そこから派生したバンドばかりを貪るように聴いていた。


まから振り返ると、それは当時からしてもかなり懐古的で保守的な(おっさん的な)嗜好だったが、とはいえ毎月BURRNを立ち読みし、バックナンバーやムック本や別冊本を古本屋で、そして中古CDをディスクユニオンで買い漁ってはシーンの古今の情報を調べることに喜びを見いだしていた(雑誌を毎号買ったり新しいCDを次々に買ったりする金なんて、バイトもしていない高校生にあるわけがなかった)。
好き嫌いは別にして、ハードロックやヘヴィメタルというジャンルが確立してからその時期までの主要なバンドは一通り把握していたように思う。当時は毛嫌いしていたスラッシュメタルやパワーメタル系のバンドであっても、チェックはいれていた。


が、繰り返すがアンヴィルのことは知らなかった。耳にも目にも、かれらの姿と音は全く入ってこなかった。
映画が語るところによれば、かれらは80年代の頭にリリースした数枚のアルバムで一過性の成功を掴んでいた。そのことでのみ、今もかろうじて、コアなマニアには記憶されているという存在だった。 時代の後押しもあって、そのほんの一瞬だけは、ある程度の人気と評価を得た。
しかし瞬くうちにかれらはケツを蹴り飛ばされ、シーンの隅っこに転げ落ちていったということだった。
スレイヤーのトム・アラヤやガンズ・アンド・ローゼスのスラッシュを始め、いまは「ビッグ」になったHR/HMミュージシャンの一部からは高く評価されていたようだったが、以後はメジャーなレコード会社から完全に見放され、メディアからもほぼ無視されていた。


ちろん、業界の人間ならばかれらの名前だけは覚えていた。
アンヴィル?ああ〜ああ!いたね、LAメタルっぽいカナダのアレ、まだやってるの?」
という感じで、記憶されていた。
けれど、それは世界のメタル・ファンの誰もがアイアン・メイデンの「エイシズ・ハイ」やディープ・パープルの「BURN」を忘れないということとは違っていた。かれらは、いまや存在しないも同然と言ってよかった。成功せず、あるいは「ほんの一瞬だけ」スポットを浴びては消えていった有象無象のバンドと、殆ど差が無かった。アンヴィルは、ただのマイナーなメタル・オールディーズ、その一部と化していた。そんな状態がずっとずーっと続いていた。アンヴィルの演奏の場は、地元のバーや小さいクラブ、マイナーなロック・フェスの前座ばかりになっていた。
アンヴィル!」が撮影され始めたとき、バンドはそんな有様だった。
わずかに残った熱心な地元のファン以外、誰も、アンヴィルの存在になど、目もくれなかった。


かし、かれらはまだ、自分たちに対して絶望していなかった。
映画の主役、バンドリーダーのスティーブ”リップス”・クドロー(以下、リップス)とロブ・ライナーを中心に、けして「ビッグになる」(この形容に、誰もが笑うだろう)という夢を捨てず、今もまだ地道に活動を継続し続けていた。 監督のサーシャ・ガバシはかれらの奮闘に密着し、その記録を、モッキュメンタリー(偽ドキュメンタリー映画)の傑作「スパイナル・タップ」を思わせるようなストーリーに仕立ててみせたのだ。


バシはティーンエイジャーの一時期(つまりアンヴィルがほんの一瞬だけ輝いていた頃に)、アンヴィルの大ファンだった。ロンドン公演中にアンヴィルの楽屋へ押しかけ、かれらと親しくなり、カナダ、北米のツアー・ローディを三度も勤めたことがあった。「ティー・バッグ」というニックネームで呼ばれ、ロブ・ライナーからドラム演奏を習い自らもバンドを始めたが、ほどなくして、挫折していた。 そののち、紆余曲折をへてガバシはライティングを学び、スピルバーグの「ターミナル」を書いた脚本家として世界に名前を売った。 そしてガバシは、ふとした切っ掛けでアンヴィルのことを思い出す。


アンヴィル!」の誕生は、そこから始まった。
アンヴィル!」は、アンヴィルとガバシに復活した友情が生んだ産物だった。


2年に及んだ撮影期間中、バンドを取り巻いている状況は常に厳しい物だった。
アンヴィルにレコード会社との契約は無く(これまでも多くの期間、無かったに違いないが)、リップスは給食のケータリング会社勤務、ロブは工事現場作業員という冴えないブルーカラー労働をフルタイムでこなしながら、ほぼ自己資金で演奏活動を続けていた。
サイドギターのアイヴァンは住宅ローンの支払いが滞り、ベースのグレンに至っては家なしで、倉庫を借りて住んでいる。


る日、バンドに接触してきた、ファン上がりである欧州のインディペンデントな女性マネジャーと組んでヨーロッパ・ツアーが決まるものの、資金難に加えてブッキングのミスが相次ぎ、各国間の移動すら覚束ない状態がしばしば訪れる。 得体の知れないプロモーターに呼ばれた先はちっぽけなハコばかりで、数十人から、酷ければ数人の客を相手にしたショウが連日続く。 「一回につき1500ユーロ」との触れ込みだったギャラはほとんど支払われず(全て経費に消えた?)、まさにドサまわりのツアーに、契約を望むレコード会社は一社もあらわれなかった。


い冗談のような遠征が終わっても、苦難は去らない(というか、売れないバンドには、自らの創造が生み出すものへの僅かな喜び以外、たいていは、苦難しか訪れない)。 久しぶりにアイデアが固まった新作の録音をしようと、リップスは旧知のプロデューサに連絡をつける。 かつてNWOBHMのムーブメントを支えたことで名を馳せたそのプロデューサ(クリス・タンガリーズ)はこう告げる。


サウンドは気に入ったが、カネが200万ほどかかる」


ップスは資金捻出の為に、かれらのファンである地元の通販会社副社長に電話でのセールス仕事を斡旋してもらうが、そんな付け焼き刃が上手くいくはずもなく、大失敗に終わる。
結局、レコーディングに必要な資金はリップスの資産家の姉が協力を申し出たことで解決をみたが、依然、バンドの経済状態はお寒い物だった。
カネを用立て、ようやく始まったドーヴァーでのレコーディングの最中も、リップスとロブは感情的なすれ違いから大げんかを始め、ついにバンドは分裂の危機にまで陥ってしまう。
そこまでして何とか完成にこぎつけた「自信作」「これは俺たちの最高傑作」と二人が言うアルバムは、しかしEMIカナダの担当が苦笑と共に数十秒で試聴を打ち切り、


「君たちが30年も音楽を続けているのは凄いけど、いまの時代に合っていない」
「我々が求める音ではない」


そんな門前払いのメールを送ってよこす始末だった…。


りきたりと言えばありきたりのトラブルとエピソードだろう。
目新しいものは、何もない。それは世界に存在する幾百の報われないミュージシャンたちに、日々、さまざまなパタンで、今もまさに到来し続けている。ぼくの知人にさえ、こういうエピソードはいくつも聞いたことがある。それらは概ね似通っていて、どれも貧しくて暗く、苦笑いでもするしかないという風に、こちらの気分を重くさせる。


ンヴィル!」をそれらから際立たせ、特別なものにしているのは、エピソードの希少性ではない。ひとえにそれはリップスとロブの、とりわけリップスが持つ、自分たちの表現への盲目的な愛、その強度、発散されるエナジーの質である。


かれらは常に前向きだ。


既述のように、結成三十数年を経てもバンドは大成功からほど遠い状態にあった。
だが、それでも二人は、カメラにむかってポジティブな発言を繰り返し続ける。
まるで自己暗示をかけるみたいに。まるで子供みたいにストレートに。


リップスは叫ぶ。


アンヴィルで収入を得ることは出来ないが、人生に喜びを与えてくれる。 このままバンドが上向かないなら、それも運命だ。でも、俺は、このまま上手くいかなくても自分の人生を後悔するようなことはない。あれがやれなかった、これがやれなかっただなんて愚痴を言うような生き方はしてきていない。そのことに誇りを持っている」


「あと二十年三十年四十年したら死んでしまうんだ。どうせ死ぬんだ。だから、今やるんだ!いま!」


「みんな信じてる!やみくもに信じてるんだよ!リップスのことを!アイデアをもって、みんなを導いてくれる、なんとかしてくれるってさ。ロックスターになるんだ!バカな夢だけど、叶えてやる!」


ップスは信じている。
闇雲に、自分のやっていることを信じている。 五十になっても、まだ信じている(もちろん、強がり半分な部分はおおいにあるだろうが)。
五十になっても真剣に、まっすぐにそんなことを語れる人間というのは、 「まとも」ではない。
愚かとか、勘違いとか、現実が見えてない、と言ってもいいし、 端的に「気違い」と形容すべきかもしれない。
けれどリップスがそんな「妄言」を口にするとき、驚くべきことにそれは、たじろぐほど強く純粋なバイブレーションを伴ってこちらへと迫ってくる。


リップスの存在が放出するパワーをぬきに、あの映画を語ることはできない。
アンヴィル!」の素晴らしさを表現のレベルで担保する、殆ど全ての部分だとさえ言える。


分が信じるものを作り続ける。
人々の支持を得られないまま、なにが何でも作り続ける、 いつまでも作り続けるという意志は、それだけでは感動的なもの、 ポジティブな感情を喚起するものとして他者に伝わることはない。
それはたいてい醜く、たいてい見苦しく、たいてい、ただ単にみみっちい執着として形を持ってしまう。作り手自身をうんざりさせ、絶望的な落ち込みに放り込む。そして、容赦なく他者を不愉快にさせる。
沈むことを拒否し、執着し、「諦めきれない」表現者はそれこそボウフラのように世界に無数にあふれかえっている。
誰もが「私を見て!」と叫ぶが、しかし、その誰もがまったく取るに足らない存在なのだ。


「それ」を認めないこと(気づかないこと)。
「私を見て!」と叫び続けること。
何十年も「それ」を続けることが、これほど美しい形として立ち現れること…
「それ」が「アンヴィル!」の、表現としての類稀な成果だ。
だからこそ、ぼくはこの映画に驚き、ある種の勇気をもらい、感情的な共振を覚えたのだ。
リップスやロブが知ったら憤るだろうが、アンヴィルの音楽自体がそれほど特別な力を持っていたわけではない。


ュージシャンに限らず、何十年も貧困のうちに制作を続けたあげく、殆どまともな評価を得ることもなくひっそりと死んでいった作家や画家の作品なんて、残念ながら、実際、「悲惨」なものばかりだ。 そんな例はいくらも目にすることができる。ぼくはこれまで、遺されたそれらの「悲惨さ」に、「何十年も盲信したあげくがコレか」と、自分の未来にそれを重ねて暗い気持ちになっていたものだったが、「アンヴィル!」を観て、少し、見識を改めようかと思った。


「たとえ内容でさえ結果が伴わなくとも、盲信し続ける姿勢そのものが、他者にポジティブな感情を生むこともある」と。


それは、ホントにごく希な例外なのだろう。
しかし、存在するのだ、ときには、間違いなく、確実に。
アンヴィル!」は、この先も、それを証明し続ける。


Youtubeなどでアンヴィルの昔の曲を聴いてみると、結果論かもしれないが、 「こりゃ売れないわ!」と感じ、納得する。



0年代にデビューし、もてはやされた他のメタル、ハードロック・バンドと比べると、それがよく分かる。
スラッシュ・メタル、パワーメタルの元祖として言及されるとはいうものの、後発であるスラッシュ・メタルの伝説的ビッグ4(メタリカメガデスアンスラックス、スレイヤー)が持つ革新性にはとても及ばない。
ラットやモトリー・クルー、ポイズンのようにポップさを重視するLAのグラムロック勢と比較した場合にも、ルックスを含めすべてが圧倒的に地味だ。
衣装とステージング、下品で卑猥な歌詞はLAメタルマナーなのだけど、サウンドは様式美っぽくなったりスラッシュ風になったりもして、定まらない。


どれをやっても演奏の実力は(特にドラムのロブは、メタルのドラマーとしてはなかなか特徴のあるスネアのロールやタム回しをする)そこそこあるのだけど、なんとも「ひと味足りない」のだ。中途半端で、目をひく要素が薄い。
HR/HMの世界以外にも次から次へと新しく強力なグループやヒット曲が生まれていた好景気の80年代に、そんなかれらの居場所が殆ど無かったのは、冷静に見れば特別に不当なことだとも言えない。


画のヒットで、ソニーというメジャーどころから日本盤が発売された13枚目のアルバム、「THIS IS THIRTEEN」にせよ、そこそこ良く出来た懐かしのメタル・サウンドというだけの話だ。





これをいま、まったく無名の新人バンドが出したら、誰も相手にしてくれないだろう。
現在のメタル・シーンは、もっともっと、激しく過激に、煮詰められている。


けれど、アンヴィルはもう、これでいいのだ。これで。
リップスとロブのコンビネーションは盤石で、正直で、何十年もやっている安定感はライブにおいてファンを落胆させることもないだろう。
もはやこれは演歌の世界、これも「様式美」だ。


ンヴィル!」のラストシーンは、日本で撮影されている。
そして、「アンヴィル!」のオープニングは、アンヴィルが華々しく(?)登場する「スーパーロック in Japan 84」の映像で始まっている。
この映画は、最後に、再び日本へと戻ってくるのだ。かつて彼らが「ビッグな舞台」に出演した地で、今度は「LOUD PARK 06」という「ビッグな舞台」に出演するために…。
日本は、「Big in Japan」という揶揄の言葉がある通り、これまで国内に輸入されたあらゆる音楽のジャンルに一定のファンがいて、かれらは熱心で義理堅く、海外の売れない音楽家たちにとても優しい一面を持っている(その反面、同国人にはあまり優しくない気はする。たぶん、これも人種コンプレックスに根ざす何かなのだろう)。


ンヴィルも、例外ではなかった。
アンヴィルは、自国や他国で考えられないほどの数のファンに歓呼で迎えられる。
できすぎと思えるぐらいに「大団円」のフィナーレ。
ノンフィクション・ドキュメントと言えど、それは無数に撮影した素材から恣意的に作り上げられるひとつのストーリーであるわけで、ここで監督のガバシは観客に(一時的とはいえ)絶妙な救済のカタルシスを提供することに成功している。
ガバシの描いた図は少しベタすぎるかもしれないが、誰もがあの展開には思わず喝采をあげてしまうだろう。拍手してしまうだろう。
終盤までには誰もが、石野卓球のように思っているだろうから。


「おい!もう、誰か売れさせてやれよ!」


と叫びたくなっているはずだから。
ピエール瀧「笑い!笑い!泣き!笑い!そして男泣き!」 とコメントしていたが、ぼくが劇場で二回観たいずれの場合も、日頃メタルとは何の関係も無さそうな(「メタル?それ何?美味しいの?」)ギャルとおばさんの客が涙を流していたのが印象的だった。
言わずもがなだが、おばさんとギャルは、別に音楽に感動していたわけではない。
おばさんとギャルは、いつまでも諦めず、互いへの信頼と妄執に近い情熱をもって奮闘し続けるリップスたちの生き様(こう書くと知能の低そうな言葉だが…)に涙していたのだ。


「おれたちは昔、15分だけ栄光を得て、それから後はずっと、報われてるとは言い難い。でも、それで30年も音楽を続けてくることができた。誰にも恥じることはない」


エンディングロール中、リップスはこんな風に言った。
その台詞はぼくにとってこれから、上で引いた、


「俺は、このまま上手くいかなくても自分の人生を後悔するようなことはない。あれがやれなかった、これがやれなかっただなんて愚痴を言うような生き方はしてきていない。そのことに誇りを持っている」


あの言葉と共に、繰り返し、エコーされ続けることになるだろう。
自分が、そう見えをきって滑稽にならない人間でいられるか、醜悪に見えない物を作り続けられるか、それを深く深く自問しながら。