「Kassim The Dream」




  • 2011年6月18日の土曜(現地時間では17日夜)、つまり昨日だが、パナマのアリーナ・ロベルト・デュランHORA CEROと銘打たれた大きなボクシングの興行が行われた。
  • ダブルメインで二つの世界タイトルマッチが組まれ、まず一つはパナマ出身のWBAバンタム級王者、アンセルモ・モレノの九度目となる防衛戦、そしてもう一つは元IBFスーパーウェルター級王者のカシム・オウマが、カザフスタンゲナディ・ゴロフキンが持つベルトに挑戦するWBCミドル級戦。
  • プロモーターの意図からは外れるが、この興行におけるぼくの最大の興味は、王座返り咲きを狙ったカシム・オウマのタイトル再挑戦にあったのだけれど、しかし結果はゴロフキンのラフな連打を捌ききれず、10回TKOで破れてしまった。

カシム "The Dream" オウマ

  • 2年ほど前まで、カシム・オウマという、米国で活動するウガンダ出身のボクサーを知っている日本人は、WOWOWESPNで試合を見ている程度には海外ボクシング好きである、つまりは僅かな数のマニアに限られていた。
  • 米国内でも、一時的に花形階級でベルトを保持していたとはいえ、平均的なボクシング・ファンでようやく「ああ、なんか手数が多いアフリカ人だよね?確か生い立ちが凄かったような…」と答えられるぐらいの知名度しかなかったはずだ。
  • しかし、2009年に公開された一本の映画によって、このアフリカンの名前は、そのときよりは遙かに多くの人々に知られるようになった。
  • その映画が、冒頭でリンクした「カシム・ザ・ドリーム」だ。制作にアカデミー男優であるフォレスト・ウィテカーが加わり、米国以外でも日本を含む数カ国で上映され、高い評価を得ている。
  • 日本では町山智浩による『松嶋×町山 未公開映画を観るTV』で紹介され、昨年末にそこから数本をチョイスして上映した「未公開映画祭」でも評判になったという。


  • 現在、アフリカで一番ボクシングが盛んなのは南アフリカとガーナだが、オウマ以外にウガンダ出身のプロボクサーがいないわけではない。
  • 最近だと、2006年にモスクワでWBCヘビー級タイトルに挑戦したオケロ・ピーターは日本の緑ジムに所属していたし(結果は目を覆う惨敗だったわけだが)、今やパッキャオ戦から逃げまくるヒールのおっさんと化してしまったフロイド・メイウェザーが、まだSフェザー級に君臨していた青年だったころに一蹴したジャスティン・ジューコも、一時期は有望株だった。古いファンなら、79年に秋田までやってきて工藤政志からタイトルを奪い、ウガンダ初の世界王者になったSウェルター級のテクニシャン、アユブ・カルレや、マービン・ハグラー戦が印象的なミドル級のジョン・ムガビを知らない人はいないだろう。

少年兵から世界タイトルへ

  • オウマが同国人である上記何れのボクサーとも違うのは、その過酷な経歴だ。
  • かれは1980年代前半に勃発したウガンダの内戦において、現大統領であるヨウェニ・ムセベニが率いた反政府軍「NRA/国民抵抗軍(National Resistance Army)」に生家のある村から誘拐され、わずか六歳で少年兵として戦場に放り込まれた。NRAは慢性的に不足する兵力を埋めるため、積極的に支配下地域の村からオウマのような子どもたちを「調達」し、ゲリラとして「教育」していた。
  • 泥沼の報復合戦を経た後、NRAは1986年に政権奪取に成功、現在までムセベニの統治は続いている。同胞への苛烈な破壊と殺戮に加わることを強制されたゲリラの少年たちは、大半がそのまま正規軍へと編入された。
  • オウマは軍隊内でアマチュア・ボクシングの教育を受け(一説によると、NRAでは拷問のスキルを上げることも兼ねて少年たちにボクシング教えたようだ)、チームでも屈指の実力者に成長する。ウガンダの財政事情でキャンセルが発生しなければ、アトランタ五輪にも出場が可能だった。そしてかれは98年、軍隊ボクシングの世界選手権でアメリカに遠征したチームから脱走し、そのまま同地でプロになる道を選ぶ。経済的に成功して、祖国の家族を援助するためだったという。
  • だからオウマは"The Dream"と呼ばれ、チームは入場の前にこう叫ぶのだ。
  • “ What time is it? ” “ It’s Dreamtime !!! ”
  • 映画は、2004年にオウマが大差判定でバーノ・フィリップスを降し、初挑戦にしてIBFタイトルを奪った試合の回想から幕を開ける。


  • オウマのモノローグや関係者へのインタビュー、王座を得た後のキャリア展開を挟みつつ、本来なら軍事裁判で死刑に値する脱走罪を、アメリカというパワーを使った超法規的措置によって回避し、ウガンダへの一時帰国を成功させる様子が描かれてゆく。


「拷問は楽しかったよ。まだ餓鬼だったしね。なにも分かってなかった」
「(マリファナ煙草について)七歳からずっと吸ってる。戦場の恐怖に耐えるためにね」

  • 淡々と語るオウマの、なまった、舌足らずな英語の声色からは表向き殺戮に荷担した恐怖や後悔の痕跡は感じられないが、それがむしろ、そのときかれの中で壊れた、棄損されたものを示し、環境要因によって「違うモード」になった人間にとっては拷問も容易に快楽となり得るという、ヒトの根本的な、手に負えない残忍さを示すのかもしれない。
  • かれにとっての恐怖は、逃げてきた土地へと帰ったとき、逃げてきた組織から受ける懲罰への想像の方に強く喚起され、また後悔と懺悔は、脱走によって報復として虐殺された父の墓を実際に目にすることで、より強くその身体を苛むのだ。
  • 無事ウガンダに一時帰国した際のオウマの取り乱し方からは、そんな印象を強く受ける。

ゴロフキン戦への経緯

  • 劇中、オウマはIBFタイトル二度目の防衛戦で調整不足もたたって完敗し、大差判定で王座から転落。再起戦をいくつかこなした後にミドル級へと階級を上げ、今度はジャーメイン・テイラーが持っていたWBCWBO統一ミドル級のベルトへと挑戦するが、体格とパワーの差に跳ね返され、ここでも判定で敗れる。
  • ぼくはオウマの試合を、カルマジン戦からテイラー戦までは全てリアルタイムで観ていたから、とても懐かしかった。
  • この選手の特質は、身体の柔らかさを生かしたボディワークで低い姿勢から積極的にインサイドに飛び込み、多彩なアングルで次々にコンビネーションを打ち込むところにある。ハンドスピードや一発のパワーに飛び抜けたものがあるわけではないが、サウスポーである利点も活かしたショートブローのしなやかさ、ゼロ距離での接近戦で相手をいなすセンスは独特のものがあった。
  • しかし、攻めにやや単調さがあり、決め手に欠けたため、いったん守勢に回ると展開を変えるすべを持たない脆さを持っていた。その柔軟性からダメージを逃がすのは上手いが、調整次第ではスタミナにも弱点を見せてしまう。つまり、階級を上げることによって一気に戦力がダウンするタイプの選手だった。
  • 映画の中でもフィーチャーされていた2006年12月のテイラー戦はそれが嫌というほど明白であり、サイズ違いが甚だしかった。長いジャブをかいくぐぐってなんとか懐に侵入するものの、コンビネーションを打つ前に、すぐ追い出されてしまう。結局、リーチを活かしてパワーショットを打ちつつ、アウトボックスに徹するテイラーを捉えきれないまま終わった。
  • その後も階級を戻したもののオウマは調子が上がらず、格下相手に連敗を喫するなど、一線の選手としては完全に終わったかに見えたものだった。
  • だが、昨年1月の前々戦で、若手ホープのバネス・マルティロシャンを相手にダウンを奪う熱戦を見せたことで、評価は再び変わることになった。強打のマルティロンシャンに破れはしたものの判定は微妙で、オウマの勝ちを支持する声も多くあった。それが、次戦で再び階級を上げてのWBAミドル級地域タイトル、そして今日のゴロフキンへの挑戦につながったのだ。


予想と、結末

  • オウマが昨日敗れたゲネディ・ゴロフキンはアテネ五輪でミドル級の銀メダリストという経歴を持つアマエリートだが、プロでの試合ぶりはとてもそれを感じさせないほど荒っぽかった。半ば無理やり気味に頭から相手に突っこんでは右ストレートから左ボディの連打を振り回すバランスの悪いスタイルで、非常に高いKO率が示す通りのパワーと突進力はあるが、隙も大きい。今回が二度目の防衛戦になるが、3RKOした初防衛戦もたびたび相手のカウンターを食っては動きが止まるなど、内容はそれほど良くなかった。 

 

  • 試合前のぼくの予想は以下のようなものだった。
  • まず前提として、もはや肉体的なピークを過ぎ、ミドル級がウェイト的にベストとも言い難いオウマが不利なのは間違いない。しかし、これまでゴロフキンは早いラウンドで格下を倒してきた為、長いラウンドの経験が無い。強打をいなしつつ、接近戦でショートのカウンターを細かく当てて後半まで粘れれば、一気に失速する可能性もあり、そうなればオウマにも十分チャンスがあるだろう。やたらに右や左をフルスイングして突進してくるゴロフキンのブローはパワフルだがモーションが大きく、連打のつなぎもややぎこちない。くっついた状態からの体捌きが巧く、軽打のコンビネーションがスムースに出るオウマはその隙間を突ける可能性が高い、と。
  • 実際、試合は半ばまで予想した通りの展開を見せた。ほとんど頭をこすりつけるように体ごとくっついてくるゴロフキンのパワーショットをガードやボディワークで巧みに殺し、オウマは隙間隙間で的確なパンチを返していた。ラウンドの多くの時間、ロープまで押し込まれはするものの、(軽いとはいえ)クリーンヒットの数は明白にオウマが上回るラウンドも多かった。後半に入るまで、ぼくの採点ではオウマがややポイントをリードしていた。
  • ただ、やはりゴロフキンとのパワー差は大きかった。それが最後には響いてしまった。次々にショートのパンチを当てはするものの、思った以上に効かせられず、ゴロフキンに失速が見られない。逆にラウンドが進むごとに少しづつ疲労とダメージを増していったのはオウマの方だった。
  • TKOされた10回は、中盤から少しづつ被弾するようになっていた左アッパーをもろに食ったことが致命傷になった。その一発で足に来て、背中を見せながらロープまで後退したオウマを、ゴロフキンは一気に追い込む。オウマもかなり効いた状態からよく反撃し、仕切りなおしていたのだが、最後は再び強打をもらってコーナー際まで後退し、手が出ないまま避けるだけの瞬間が数秒続いたところで、レフェリーが試合を止めた。オウマにとって、約12年ぶりのKO負けだった。


“ Dreamtime ”はまだ終わらない…

  • 今回の試合では、残念ながら"The Dream"の返り咲きは叶わなかった。
  • 敗れたとはいえ熱戦だったことは間違いがなく、調整さえ上手く行けばまだ十分に戦える可能性を示したが、同時に、体のダメージを考えれば引退も視野に入る状態とも言える。けれど、ウガンダに残した家族やアメリカに呼び寄せた愛息の為に、オウマはまだまだ戦い続けるのだろう。降りることはできないのだろう。
  • 「(過去は消せないが)いまは必死に働いてるよ」
  • ときにマリファナでフラッシュバックを抑えながら劇中でそう語る姿を観てしまった以上、ぼくも、"夢"の行く末を最後まで見届けたいと思っている。