【西へ、2011】1/3 岡山からはじまる




  • もう一年が経ってしまった。「もう…経った」これは何度書いても褪せることがなく、新鮮な驚きと愕然とした思いが脳に飛来する。
  • いつもより一週間ほど時期がずれたが、今年も7月26日から31日のあいだ、鈍行を使ってぶらぶらと西日本の友人たちを訪ね歩いてきた。
  • 昨年は徳山に住む無頼の小説家Hさんと、旧帝国海軍の特攻兵器である「回天」の基地だった島に行く目的にあって山口まで足を伸ばしたが、今回は岡山に下車して東に折り返した。岡山のあとは大阪に三泊し、静岡でも一泊してから東京に戻ってきた。
  • 三月の震災以後、計画停電が終わってからも関東東北は基本的に電気の節約を前提とした社会として動いているが(少なくとも建前の上では)、西日本に仕事なり避難なりで移動していた、少なくない数の批評家が、そして身近な友人知人も「西(とりわけ、駅の拡張工事と新規デパート進出、既存グループの増床工事が終わった大阪など)は東より物理的にすごく明るいし、雰囲気ものどかだ」と口を揃えて発言していた。
  • あれから四ヶ月半が経過した後もそういうギャップを感じられるのか。今年はその辺りにも興味を惹かれていた。
  • 本年の折り返し地点である岡山では、毎年、超優秀な変わり者の内科医にしてアマチュアのバイオリン奏者であるTさんとお会いする。
  • 特に「岡山LOVE」な店に行くわけでもなく、その辺の適当な飲み屋でダラダラと酒をあおりながら、音楽や文学や世間の文化事象について取り留めもなくしゃべり、そして、「医者として」は「政治的に」おおっぴらに出来ない、Tさんの挑発的な倫理感に基づく医療や生命への見解などを拝聴しているうちに時間は深夜となり、翌日は悲惨な二日酔いのまま次の場所へと発つのだった。
  • 先々週の再会でも基本的にそれは変わらなかったが、しかし、やはりというか、どうしても三月の震災以後、福島を中心にして続いている「出来事」に関しても、話題が及ぶのは避けられなかった。詳細について書くことはしないが、ただ、「出来事」そのものと、それらをめぐって飛び交った/いまも飛び交っている様々な言説に関して、ぼくとTさんとで、考えている/いたことの方向性や、それらへの評価はだいたいの所で一致していて、ぼくはそこに妙な安堵感を覚えたのだった。


  • 余談として、ちょっと面白かったのは、Tさんは中学生のとき、核分裂の熱を利用した発電に興味を覚え、軽水炉の仕組みを調べたのだが、そのとき、「上手いこと考えたなあ」と感心すると共に、やや脱力もしたという話。
  • 「でも、要するにそれってヤカンと同じでは?」と(実際、昔の学研本みたいなものでは原子力工学の研究者が【これは一種のヤカンと言っていいでしょう】などと発電原理について口にしている。なんとも危険なヤカン)。
  • それを聞いて、「つまり、核ヤカンですね!」とぼくは笑った。原子力発電所については他にも、「どんな物凄いエネルギー源を使っても、最後は結局タービンでしょ?タービンを回すという発想から脱却して欲しいんだけど。タービンはださい」と言っていた友人がいたものだ)
  • 日付が変わる辺りを境にして、微妙に記憶が曖昧なまま朝を迎えると、昼前には岡山から大阪へ発った。
  • 案の定、起き抜けから強い不快感に襲われていた(なぜか今年はいつもよりずっと酷く、そこまで滅多矢鱈に飲んでいた記憶もないので、自分でも驚いた)。
  • そのまま、刺すような頭痛と内臓全体の強烈な悪心を抱え、朦朧としながら全身に夏の暑熱を浴び、同時に「形而上的二日酔い」キングズレー・エイミス。訳:吉行淳之介)にも苛まれながら、鈍行に揺られていた。(続く)