【西へ2011】 2/3 中上健次を通り抜ける




  • 大阪で降りた目的も、昨年と同じく府内および近隣県に住む友人数人と会うことが中心だったが、滞在した約3日のうち1日は中上健次の物語世界の舞台である和歌山〜三重を、電車でぐるりと、「通り抜けた」
  • 新大阪発「特急オーシャンアロー1号」に、朝、天王寺から乗り込み、終着の新宮へ。そこでおよそ一時間ほどの待ち合わせを挟み、名古屋行のワイドビュー南紀6号」を使って、津にて下車。最後はJRで津〜亀山〜加茂〜大阪というルートで、19時40分ころ帰阪した。
  • 下車して「路地」を散策している時間的余裕はなく、ぼけっと熊野灘を眺め、ときどき中上健次の作品を読んでいた。
  • 時刻表を調べる前は、鈍行を使っても夜の早い時間には大阪へと帰ってこられるだろうと思っていたのだが、完全に誤っていた。
  • まったく可能ではなく、南紀に無知な関東人の、浅はかな読みだった。和歌山〜三重間のJR紀勢本線は鈍行の数が少なく、乗り継ぎも極度に悪かった。ネット上で、鉄オタが「乗り倒すなら、新宮辺りで一泊するのがベターだ」というようなことを書いていた。しかし、その日は友人宅に泊まる予定もあり、不可能だった。止む無く、ローカル特急を2つばかり乗り継ぐという手段を選んだ。
  • 定価でJRから購入するのは馬鹿らしく感じられたため、大阪の友人と二人で天王寺と梅田の金券ショップをあちこち探し回ったが、誰もが訝しげに南紀特急?」だの「そういうものは置いてません」だのと、にべもなく在庫を否定する。ひどい場合は、「新宮までの特急は…」と尋ねると、「は?しん…なんですか?」とくる有様だった。諦める寸前、ようやく一軒だけ新大阪〜新宮の特急回数券を置いている店を発見したが、大した割引率でもなく、改めて紀伊半島南部における電車事情の悪さを実感した。出発前、三重出身の友人に大阪の金券ショップで乗車券が売っていそうか聞いてみたのだが、即座に否定された。
  • 「あの辺りの乗車券で金券ショップとか、ありえない。まあ、探してみてもいいとは思いますが、ユーロスペースのレイトショー割引券よりも稀少だと思います」そう断定していた。その通りだった。
  • さらに友人は断定を続けた。「なぜ存在しないか?それは、天王寺から新宮に行く人が存在しないから。せいぜい、和歌山市まで。そして、僕は今まで南紀特急に乗ったことがあるという人に出会ったことがない。きっと、ほぼ貸切状態になる」



 



  • しかし、実態はそれほど過酷なものではなかった。天王寺で乗り込んだオーシャンアロー1号の指定席はほぼ満席(!)とアナウンスされ、実際、多くの観光客、通勤客が乗車していた。車両も悲惨なポンコツとは違い、ごく普通の特急車だった(だが、確かに終点の新宮まで乗っている人間は少なかった。和歌山市海南市を通過すると乗車率は極度に下がり、印象としては白浜で9割近い人が下車していた)。
  • 窓外は青く晴れ渡り、綿菓子のような雲があちこちで巨大に膨れ上がっていた。石油コンビナートの排気筒、変電所、高圧線の鉄塔や電線が目立つ都市部を抜けると、あとは急に、広がる田んぼと点在する瓦屋根、なだらかな山と海が交互に現れるだけになった。にわか雨も予報されていた為か、ときおり、太りきった雲が暗灰色のかたまりになって空の鮮やかさを遮っていた。
  • 目的地まで、写真を撮りながら、景色が高速で過ぎ去るのを眺めているだけの状態が続く。南紀が内包する、「のどかさ」みたいなものを、表面的には感じられたが、それ以上の印象を持つのは難しかった。途中、醜悪な日本バッシング映画「The Cove」でイルカ漁を指弾された太地町の駅も通ったが、あまりに一瞬のことで、「ああ、ここがそうなのか」と思うだけだった。以前、村上龍中上健次に関して「【岬】などを読むと、紀州のあの辺りには何かわけの分からない怪物みたいなものが存在していると思わされる」などと書いていたものだが、そうした雰囲気とはほど遠い、と思った。
  • 待ち時間のあいだに少しだけ街を歩いてみた新宮でも、それは変わらなかった。激しい暑さと光のなか、乾いた海辺の田舎町にはほとんど人影もなく、ただ静けさだけがあった。海辺まで歩く途中に見つけた創価学会の集会所が、風景のなかで奇妙に浮いていた。
  • 熊野の山にも入らず、滞在とすら言えない、ただ「通り抜けた」人間が持つ印象など、この程度のものだろう。中上健次の影を感じることは、なかった。とりたてて文学に興味が無い人ならば、まさに当たり前すぎる感想なのだろうけれど(そういえば以前、和歌山の自民党県連が作成したマニフェストの欄で、「和歌山から生まれた地元の作家」が挙げられていたが、その数人のうちに、中上健次の名前はなかった)。


 



  • 名古屋行の南紀特急に乗り込んだのは12時台後半だった。
  • この特急も、オーシャンアロー1号について辛辣に批評した三重県出身である友人が言うほど悲惨な乗車状況ではなかった。車両はやや古臭かったが、出発前には自由席のためにホームに人が並び、指定も含めて半分程度は埋まっていたと思う。松坂や尾鷲、多気などで、途中から乗車してくる人もいた。
  • 新宮から熊野川を渡ると三重県に入り、また山、森、海、瓦屋根の続く景色がはじまる。天気が崩れる兆候か、雲の灰色が濃くなり、空の白さも増していた。
  • 途中、三重県多気郡出身の友人による、県内の列車事情やその他の県講釈を色々と思い出して、景色を見ながら反芻したりしていた(下記のように、かなり誇張して表現している部分も含め、なかなか面白い分析だった)。


「三重は、近鉄があるところは便利だが、 鳥羽市より南のJRだけのところは、最悪。高校入学で、下宿するレベル」
「基本的に車社会。鈴鹿とか四日市は、いまでもバリバリ伝説の世界。鉄道を使う人があまりいなくて、女子供の乗り物。高校生はバスの方が多い。」
「伊勢や松阪でも、電車に乗るのは、高校生だけ。あと名古屋や大阪に遠出するとか。で、十八歳を超えたら、各駅停車に誰も乗らない。名古屋に行く時は松阪駅まで車で行く。東京の人からしたら、電車に乗るために駅まで車で行く、というのが信じられないかも。」
「高校生としては、電車は近鉄が最強。JRは高い、少ない、ださい。デートでJRは、デートで松屋に行くレベル。近鉄特急>壁>快速みえ>近鉄急行これが真実」
三重県民の中でも格差がある。北へ行くほどに都会。新宮(和歌山県だけど)とか尾鷲とか熊野とか、秘境のレベル。精神的な距離は沖縄より遠い。数時間あれば東京にも名古屋にも行けるからね」
「南の人が北に行っても、北の人が南に行くことはない。鈴鹿サーキットとかナガシマスパーランドとか、北には行く。南に下ることはない」
「伊勢が南限。伊勢市よりも南に下ることは、人の道理として、ない」




  • 津で下車したあとは、文頭で書いたように亀山から大阪まで、三重と京都を抜けてJR関西本線で帰阪した。津に到着した辺りで激しく雨が降り出し、亀山ではJR線の遅れが発表されていた。さきほどの友人は尾鷲や熊野を「秘境レベル」「批評」していたが、しかし、亀山〜加茂のあいだに広がる陰鬱な森林、崖、河川が織りなすパノラマは、ある意味で南紀よりずっと強くそれを感じさせた。途中では伊賀忍者ゆかりの地を抜け、遠方には柳生の里も確認できる。
  • そして、おまけに、ではないが、いつの間にか濃い霧が車両を包んでいた。
  • 震動の激しい、わずか数両しかない老朽電車でそんな風景の中を走り抜けるのは、とても印象深い経験だった。






  • 亀山から一時間ほど乗ると、加茂から三駅手前で、「月ヶ瀬口」という駅に着く。
  • 三重、奈良、京都にまたがるその辺り一帯は、古くから国の名勝にも指定される月ヶ瀬梅林への入り口だ。
  • 「月ヶ瀬」は、犯罪好事家のあいだでも広く記憶された土地である。
  • 1997年に起きた「奈良 月ヶ瀬村 女子中学生殺人事件」の舞台となったからだ。犯人の丘崎誠人は無期懲役を宣告され、刑務所で自死した。丘崎は滋賀のソープランドへ行った帰り道、広大な梅林が広がる山間部の奥で、集落の顔見知りだった下校途中の女子中学生を大型車で跳ね、石で頭を砕いた。
  • そして、被差別部落の問題が深く関わったこの事件が起きた場所からさらに奥へ進み、名張川を下ってゆくと、また違う事件の記憶が存在する。
  • 「第二の帝銀」とも当時は呼ばれ、いま現在も法定で無罪への闘争が行われている有名な冤罪事件、「名張毒ぶどう酒殺人」が起きた三重県名張市葛尾地区に到達するのだ。
  • どちらも、因習まみれの村落共同体が抱える闇、充満した負圧によって引き起こされた惨劇という共通項がある。未だに、葛尾でその話題はタブーだという。
  • 雨と霧にけぶる深い森林は、自然と、事件への飛躍したイメージを膨らまさせるのだった。




  • 初めて乗った路線だということに加え、余裕の無いタイムスケジュールだったが、ほぼ予定通りの時間で大阪へと帰り着くことができた。加茂からは、一駅ごと、次第に都会化してゆく風景の鮮やかな落差に、月並みな感嘆を漏らした。
  • その後、大阪駅で落ち合った友人と、「ホワイティ梅田」という、なんともやるせない響きの名前を持つ地下街でギトギトした串かつを齧りながら、「大阪との落差はやっぱり凄い」というような話をした。
  • 「マー、実際、新宮ってどこ?という感じはあるし、だいたい和歌山とか三重そのものが、全体的にこっちからすると影薄いよなあ」
  • 金券ショップも一緒にまわってもらった、豊中に住むNさんはそう笑っていた。三重から上京した友人が言うとおり、関西大都市圏にとっては、「秘境のレベル」なのだろうか、南紀のあの辺りは。それも、「なにかわけの分からないものがいる」場所、畏怖される土地ではなく、単に「知らない。興味ない」という意味での、嘲笑されるべき「田舎=秘境」
  • 串かつとビールの満腹感で朦朧としながら、周囲で阪神に対して怒鳴り散らす大阪のサラリーマンを見ていると、その感覚も理解できるような気はした。
  • (続く)