【西へ、2011】3/3 甲子園、あるいは装置としてのスポーツ観戦



  • 和歌山〜三重をまわった翌29日、昼前にNさんと分かれ、今度は奈良に住む野球狂の友人Zさんと阪神甲子園球場に出かけた。一度くらいは行ってみたいと思っていた場所で、滞在中にタイミングよく阪神タイガース横浜ベイスターズの試合があったからだ。
  • その時期から松井秀喜が日本にいた2002年まで、ぼくはそこそこ熱心な野球観戦ファンであり、巨人ファンだった。
  • 球場に行くことはめったになかったが、テレビで放映されている試合はほとんど観ていた。セ・パ両リーグの選手成績も詳細に把握していたし、中学生のときは(子供にありがちな行為だ)さらなるデータ気違いであり、過去の無名選手や球団の成績などを暗記することに熱中していた(当然、現在は全て忘れてしまった)。
  • 2002年は巨人が日本シリーズも含めて圧倒的な数字でシーズンを制し、松井も準三冠王の成績を残すなど、およそ文句の付けようがない最高のシーズンだった。そのせいか、オフに松井がメジャーリーグに挑戦するためFAで渡米してしまうと、達成感とも虚脱とも言えない感情によって少しばかり野球を観ることに疲れを覚えてしまった。
  • そして前年の反動のようにして起きた2003年のチーム成績急下降、球団幹部の醜悪な現場介入による原監督の更迭と、その後の堀内新体制下の最悪な二年間のあいだに、ぼくの体内から何かが消えてしまった。以前のような野球観戦への熱は失われていた。
  • とりあえず惰性の巨人ファンを続けてはいたが、テレビで試合を観る回数が激減し、試合の勝敗チェックすら怠るようになった。トレードや引退による選手の入れ替わりや成績などにもまるで無頓着になってしまった。WBCを始め、主要な野球のニュースぐらいは把握していたが、その熱心さは以前と比較にならなかった。
  • それでも、2007年から上向いてきた新しい巨人の躍進は、多少とは言え再び野球観戦に興味を覚えさせる切っ掛けとなった。
  • ただ、もうテレビで試合を観ることはなかった(大体、民法からは殆ど中継が無くなってしまった)。ぼくは、ごくたまに球場へと足を運ぶようになった。プロ野球の全体を追うというより、単に野球そのものを会場で観ることが楽しくなっていた。



  • Zさんと合流したあと、少し早い気もしたが、17時前には甲子園へ到着した。
  • 日本一の知名度を持つ球場は近年の大改装ですっかり真新しくなっていた。名物だった外壁を覆いつくす蔦も撤去され、植え直しがはじまったばかりで、日が落ちる前の小奇麗なその姿はどこか伝統の威厳に欠け、間が抜けて見えた。
  • 時間まで近くの居酒屋に入り、ビールとキムチ冷奴でZさんと色々話しながら、威勢よく球場まで行進する縦縞ユニフォームの人々を見物した。球場の近くに乱立している黄色い虎、虎、虎のグッズを置く店や、我が物顔でのし歩く応援客たちは周辺の空気を明らかに他所とは異質なものに変えていた。それらは結構な見物であり、辺り一帯はもはや単なる球場周辺地域ではなく、「甲子園」という観光地なのだと強く感じた。
  • 開場時間が迫り、店を出て球場入口に向かうとき、ごく自然にZさんもバッグからユニフォームを取り出していた。番号は22だった。藤川球児。ぼくは目を見張った。Zさんは野球狂であると同時に真性のトラキチでもあったから、理屈の上でこれはまったく当然至極の行為でしかないのだが(そもそも、いま、目の前を大量に歩いている)、身近にいるぼくの知人友人にはスポーツやスポーツ観戦を愛好するファンを嫌う人も少なからずいたため、その率直な熱意は新鮮だった。



  • 「甲子園の空の眺めはホントいいですよ。ぼく凄く好きなんですよ。日が落ちてきたあたりが一番いい時間ですよ」
  • レフトスタンド最上段に近い指定席に陣取ったあと、いきなりビールを買いながらZさんは球場の視覚上の美点について力説していた。言われたとおりに目をライトスタンド側に向けると、確かにそのパノラマは見る人間の気分を高揚させ、感嘆の声をあげさせるに十分なものだった。開けた空に漂う雲のうしろから夕暮れの太陽が透け、さらに溢れ出しながら激しく輝いている。次第に日が落ちてゆくにつれ色彩は濃さを増し、膨れ上がった鈍い灰色の雲と光の混交は、荘厳とすら言いたくなる相貌を見せていた。
  • プレイボールから一時間ほどしたころ、強いにわか雨が降り出してきた。何の用意もしていなかったぼくは慌ててビニールのレインコートを買いに走ったのだが(Zさんは手際よく持参した雨具をさっと被って試合を見続けていた。周囲の観客は雨など気にしていない人間が大半だった)、しばらくしてそれが止むと、完全に夜の闇へと落ちる手前、暗いコバルトの空を背景にまばゆく球場照明が点き始めた。「阪神園芸(株)」によって完璧に整備された天然芝や黒土が、その人工の光に照らしだされる。
  • ほぼ満員のスタジアムは黄色と白のユニフォームで埋め尽くされている。レフトスタンドの片隅で僅かばかりマリンブルーの集団が対抗するように気勢を上げているが、今にも飲み込まれそうに見える。のべ数万のメガホンが絶え間なく打ち鳴らされ、いくつかお定まりの台詞を機械的に反復する数千から万の絶叫が絶え間なく響き、これもお定まりの田舎くさいメロディをブラスが吹き鳴らしている。
  • 完璧だった。その瞬間、甲子園は集団ヒステリーを伴う野球観戦の場として、美しく完成していた。






  • 試合そのものは、残念ながら強い印象を残すものではなかった。
  • 序盤は雑に点を取り合ったが、中盤から互いに拙攻を繰り返してテンポが悪くなり、凡庸な内容で終わった。どちらかと言えば阪神が追い込まれてゆき、最後はロープ際まで下がらされたような状態になっていた。
  • Zさんが番号を身にまとう守護神・藤川球児も九回に危機を迎えたが、横浜において数少ない危険な一撃を持つ打者である四番・村田を敬遠するという緊急判断の結果、なんとか救援失敗を回避した。結局、試合は九回終了で引き分けとなった。三月の震災に由来する、電力供給への配慮で設けられた時間制限によるものだった。今年はこの理由からの引き分けが本当に多い(セ・リーグ首位のヤクルトは8月23日時点で13に達している)。
  • こう書くと真率な野球ファンに刺されるかもしれないが、試合の最中もっとも強くぼくを捉えていたのは、実際のところ選手たちのプレーではなかった。
  • プレイボールのずっと前から休むことなく目をむいて怒鳴り続け、応援をやめないタイガース・ファンの全体を観察している方がより面白く、まったく退屈しないのだ。外野の目線からすれば、どの球団も似たようなものと言ってしまうことも可能ではあるが、しかしそれでも、甲子園に集まってくる虎好きたちは差別化しなければならない。
  • ぼくらの前方に座っていたむさ苦しいおやじたちは、それぞれ「猛虎繚乱」「猛虎神撃」などと刺繍されたユニフォームを着こんでいた。頭にはタオルか鉢巻を締め、サンダルと短パンでメガホンを振り回していた。そして阪神の攻撃中は「ホームラン!ホームラン!」横浜の攻撃中は「三振!三振!」と途切れることなく叫び続けていた。
  • 試合開始前、おやじたちはガソリンを補給するように次々ビールやチューハイを飲み、売り子の女の子に「また来たで!」「覚えとる?」などと話しかけていた。女の子は「☓☓戦のときの☓☓さんでしょー!」と笑顔で口からでまかせを飛ばしていた。Zさん曰く、客に積極的に話しかけて次々に飲ませるのが企業戦略なのだという。
  • 「ある種キャバクラですよ!」Zさんは力強く断言していた。よれたユニフォームや鉢巻を汗ばませ、酒に紅潮した顔で性的にも興奮したおやじたちと人造笑顔の彼女とのやりとりは酷く下品で、だが、どこか滑稽さの持つ不思議な趣もあった。
  • そうしたおやじたちの集団は球場中に無数に存在し、誰もが怒りと歓喜を放出することで陶酔の極にあった。選手を激しく野次るのはもちろん、試合が思い通りの展開にならず苛立ってくると、一部のおやじは横浜の応援団に対しても激しい口撃を繰り返していた。
  • それはいっさいの諧謔に欠けた単に醜悪な罵声に過ぎなかったが、ときには失笑を誘うユーモアを持った台詞もあった。
  • 「お前らのおかげで帰りの阪神電車が混むんじゃボケ!」
  • また、ぼくのすぐ横に座っていた女の子は、あがる時期を逸したバンギャ崩れといった場違いな格好をして、「咲き」「手扇子」をしながら各選手の応援歌を調子っぱずれにうたい続け、一緒に来ていた母親らしき女性と、へまをした阪神の選手や好プレーをした横浜の選手を罵倒していた。
  • 試合途中、電光掲示板に他球場の経過が表示されたとき、「くったばれ読売ィ!」と憎々しげに叫んでいたその声は信じられないぐらいドスが利いていた。




  • ぼくは停滞する試合と次第に苛立ちを強めるファンを交互に眺めながら、この場には、スポーツやスポーツを観ることに熱狂する人間を嫌悪する友人たちの嫌悪の正体、具体的理由があますところなく顕になっていると思った。
  • 「ゲームの中で勝ち/負けを争う行為は戦争を正当化するメタファー。おぞましい」と言った人がいた。
  • 「群衆の理性を失った熱狂は獣のようだし、マスゲームにも近い応援はファッショ的で恐ろしく、そして醜い」と言った人もいた。
  • 「恣意的なルール下で成立する不条理なゲームに肉体を最適化するよう訓練したり、その奇妙な成果を見て熱狂するなんて不毛は理解出来ない」と言った人もいた。
  • その指弾は裏を返したとき、対象を崇拝する理由に変化する。ぼくはそのどちらも理解し、共振することが可能な人間だった。極めて野蛮な見世物の構図であり、同時に強い引力とエネルギーを持った熱病的行為であることを、からだで把握していた。
  • それは、日常の暮らしにおいて、社会的存在として抑制せざるを得ない「ヒト」の様々な感情を、「なま」のまま漏れ出させる装置だった。スポーツ観戦、球団を応援するという非日常へのエクスキューズによって、剥き出しの差別感情や過度の錯乱、常軌を逸した狂騒が正当化される…そんなむちゃな幻想が共有される場だった。
  • 喉もチギれよとばかりに声を振り絞る男たち女たち子供たちの自我が消えた顔、顔、顔、顔また顔。「応援」へと没入する万の群衆は、導かれるように、自動機械のごとくメガホンを振り、拳を振り上げ、掛け声をあわせる。球場を出てしまえば、一人の冴えない労働者に戻ってしまうのかもしれない脂ぎったおやじたちは、この異次元空間では無条件で価値を与えられ、承認される。叫びさえすればいい。それは祝福される信仰告白であり、断固たる宗教的実践なのだ。


  • 試合が終わり、うなだれ、疲れきった表情でとぼとぼ尼ヶ崎駅まで歩く人々からは、先ほどまで纏っていた強いオーラが消え失せている。数万の人間が、体までも萎(しぼ)んでいるように見える(阪神が勝たなかった場合、ファンがいっせいに駅へと殺到するため、周辺の混雑は大変なものになる)。勝とうが負けようが、ゲームは終わり、もはや聖なる加護は失われている。次の夜、またその次の夜、そしてそのまた次の夜…、再びここへ戻ってくるまで、彼らは受難を耐えるのだ。

追記

  • 七回裏の、お馴染み風船飛ばし。異常な量で、なかなか圧巻の光景だったので、風船そのものを撮影した。
  • 帰京したあと、写真を見た友人が言った。「顕微鏡で見る精子か、コンドームが宙を舞っているようだ」「グロい」。確かに、そう見えなくもない。不思議な図像だ。