チャイニーズ ガールズ@トウキョウ


今年の晩夏、Skype上で、中国から東京に留学している女の子と知り合った。
名前をMちゃんと言って、ハルピン生まれの朝鮮族だった。出自もあって、十代前半から日本語の勉強に熱心になった親日家だった。
7月に、日本語教育について学ぶため、外語大への入学を目指して来日したのだという。
(ハングルを使った現在の朝鮮語と日本語の文法的近似などが理由で、朝鮮族は小学校からの外国語教育において日本語を選択することが多いのだそうだ)


以来、ときおりメールやSkypeチャットをするのだけれど、先月の末、彼女と、同居している留学生仲間二人に、夜の新宿をほんの少しだけ案内する機会があった。
そして後日、返礼ということで彼女たちが四人で一緒に住む寮(語学学校が部屋を借りているマンション)へ遊びに行き、夕飯をふるまってもらった。



ぼくは、いまの中国という国家に対して、その歴史の厚みと驚異は理解した上でもまったく認められない部分が多いし、バイトを通して目にする群体としての存在(……アイデンティティとしての、そして集団としての「中国人」……)にも、良い印象は殆ど無い。
けれど、当たり前のことだが、個人個人の関係とはそうした縛りを「存在しない」ことにはできないが、「わたしたちの間では無関係である」という了解のもとで構築することは可能だ。



多摩美に来ていた中韓からの留学生たちには大金持ちが多かったと記憶しているけれど、彼女たちはそれほどの資産家子女じゃないので、アルバイトをしながら語学学校に通い、森下でタフに共同生活をしているのだ。
マンションの一室には、大きめの玄関と食事はできるだけの広さをもつキッチン、それと、二段ベッドが二つ置かれた8畳程度の部屋がひとつあるだけだった。


せっかくだからと同行を誘った、趣味で中国語とハングルを勉強しているまついさん(旧帝大卒で、脳科学研究所で脳から電気信号をとったり高速フーリエ変換をする仕事を数年続け、いまは普通の商社マンと見せかけ、実は下卑た自意識が暴走し、妙な屁理屈をこねまわすという小説を書いている)は、大学時代の寮生活を思い出したと言っていた。


「この混沌とした感じはですね、うっとうしい、野郎どもの寮暮らしと変わらないですね。てか大丈夫なのか女の子でこの狭さは…」



はじめて彼女たちと新宿で会った夜は、無難というかベタにというか、西口の有名な西安料理屋である「XI'AN」で刀削麺などを食べ、話しているうちに「歌舞伎町に行ったことがない」「そもそもよく知らない」というので(あの界隈で目にする中国人観光客の多さから考えると、ちょっと信じがたい反応だが)、旧コマ劇場付近まで歩いて、辺りを少しだけぶらついたりした。



そのときの天真爛漫さというか、同じ20〜24歳くらいの日本人と比較したら少し呆気にとられるほどのストレートな明るさ、大はしゃぎのさまはぼくに強い印象を残すものだった。


彼女たちは、観光で都内を闊歩する中国人女性たちによく見られる、とにかくカネはあるが決定的に「ズレた」下品な身なりをしてもいなければ、品性を疑わせる高慢さや下劣な雰囲気といったものも全く発していなかった。
かといって過度に貧相だったり見すぼらしいわけでもなく、不審さを感じさせるような、不安そうな表情や挙動をするということもない。


堂々としていてなんの異物感も存在せず、ごく自然にオシャレで可愛らしく、ごく自然に若々しかった。それこそ、日本語がだいぶ怪しい(いちばん喋れる朝鮮族のMちゃんにしても、まだまだ片言レベルだ)こと以外は「日本人みたい」だった。


けれど、歌舞伎町一番街の光り輝く看板をはじめ、あちこちの店舗前で好奇心をわずかに抑制することもなく爆発させて大げさにポーズをとった記念撮影をするとき、メニューを見ながら声高に、そして高速でしゃべり続けながらアーダコーダと品定めをして注文を選ぶとき、そして出て来た料理を、音をたてることにいっさい構わずほおばっているとき、、、そのまったく周囲にかまわず臆することのない素振り、ほとんど幼いと言ってさえいい無邪気なふるまいからは、強く「中国人」の部分も感じさせた。


「日本で、博士過程を終えて仕事をしたら、お金はいくらもらえますか?30万円ですか?どれくらいですか?」
「お金は大事です、お金稼ぎたいです」


まだ婉曲表現など出来る日本語能力がないとはいえ、こうした「正直な」発言をする所も、民族的な特性として言い過ぎではないだろう。



ぼくにとってはその有様が、奇異であると同時に微笑ましく魅力的なものに映り、とりわけ、なにを喋っているのか一言も分からないが、怒濤のように交わされ流れてゆく中国語の響きには殆どうっとりとさせられさえしたが、店鋪の他の客や通行人の一部には、いつもの「連中」と同じ奴らが、やかましい蛮行をしているようにしか見えなかったかもしれない。



歌舞伎町へ向かう途中にユニクロの前を通ったとき、三人はユニクロ−!」「ちょとだけ見てきます」と奇声を発して店内に突進し、ワーキャーとかなり荒っぽく商品を物色していたのだけど、ぼくの横を通りすぎて外に出ていった一人の冴えないオッサンが彼女たちを振り返りながら小さく舌打ちし、「アッ!ッ中国人ッ!」と吐き捨てていた。


オッサンの、疲れた、醜い顔には心底の苛立ちと嫌悪の相が浮かんでおり、激しい怒りがかれを支配していることが、一瞬の観察でさえ容易に感じ取れた。
その場面で、同伴する女性たちを侮辱されたという観点から「イヤイヤ、ちょっとちょっと、おっさんおっさん」という風に断固たる怒りを表明すべきと思う人もいるだろうか?
しかし、不謹慎だが、そのときぼくは「ああ、いま、おれはレイシズムの顕現を目撃していたのだなあ」と、日本人が個として公ではけして口にしない、内面に隠された黒々としたものがあらわに、剥き出しになった、その稀な事実のなまなましさに心を奪われていたのだった。


オッサンは背を丸めて足早に歩き去っていった。
楽しい毎日を送っていそうには見えなかった。
当たり前だが、おっさんの話しを三人にすることはなかった。



マンションに招かれた夜は、狭苦しい部屋で四人(この日は、新宿には来なかった子もいた)がそれぞれに作ってくれた質素な料理を食べたあと、ぼくが手土産に持っていったミルクレープをつつきながら、学校の宿題を手伝ったり、日本と中国の生活をお互いあれこれ教えあったりという、もう、まったくもって胸焼けするくらい「微笑ましい」「異文化交流」をした。健全な中高生のようだった。成人男女の交友という雰囲気は全くなかった。


なにしろ、一人の子は、ケーキを見た途端に「アーーーー」歓喜の奇声を発してそれに飛び付き、大口開けて貪ったり(ほんとうに、この表現がぴったりなのだ)するのだから。
彼女はRちゃんと言って、驚いたことに、ぼくが以前に数ヶ月だけ付き合った彼女と、ある角度から見ると極めて、極めて似た顔をしている。
その話をすると、Rちゃんはにんまりと破顔した。
「はははー、では、とても美人でしたね、彼女は」


21歳のRちゃんは、その話をする前も日本語のテストを見せてきて言ったものだ。
「これ、学校のテストです、わたしの答えには、マルが〜いっ〜ぱい、あります!」



「そう、よかったね」
ぼくはその邪気の無い笑顔に、ただただ微妙な苦笑を繰り返すのだった。
Rちゃんは政治化されていない中国の若者の典型なのだろうか?
「わたしは、えー、なーん、きん、南京出身です。南京知りますか?知ることないですね?北京でないですもの」
などと、にこにこしながら自己紹介するぐらいなのだ。


そこには何のためらいも、含みも、配慮も、いっさい存在しなかった。



その健全な夜は、健全に21時30分ころにはお開きになり、ぼくらは「また来てくださいね」の声を背にマンションを後にした。
まだ時間に余裕があるので少し呑んでいこうかということになり、春日で途中下車し、駅傍の小さな居酒屋に入る。
この日の出来事は、まついさんにも強い印象を残したようだった。


「いやあ、ぼくも学校(語学学校)で色々な中国人を見てきましたけど、あんな元気な子たちは初めてですよ…楽しそうですね。健康的だし」
「なんかこう、びっくりするほど無邪気ですよね」
「癒されまくりですよ!ほんとうに癒されましたよ。ぼくあの家に住みたいぐらいですよ」
住みたい!そこまで!
「ぼく最近すごく疲れてるんですよ、ああいう健全さに癒され、同時に打ちのめされますよ」
「打ちのめされる?」
「ああ、自分がおっさんになったなあって気付かされて、癒されると同時に凹むというか…」
「あの子たちを前にすると、そういう気分にはなりますね」
だってぼくらはですねえ、もうこうしてねえ、こんな「居酒屋」のイデアみたいなとこで、男だけでだらだら飲んでるのもおっなかなか楽しいぞみたいなメンタルになってるでしょう。リラックスできるなみたいな。それって、おっさんということですよ



まついさんは麦焼酎のお湯割りに入った梅干を箸で掴み出し、むぐむぐと身をほぐしながら食べている。安い焼酎の、強い臭いが、鼻をつく。
ちびちびと生中を飲み、おでんを食べながら、ぼくはまついさんの顔が赤くなっていくのを眺めていた。


かつて村上龍「酒のもっとも醜い飲み方」とエッセイで罵倒した梅干し入り焼酎が、店の雰囲気にぴたりと合っている(「すべての男は消耗品である」だったかで、梅干を突き崩して身がほぐれ、焼酎が濁るのを【ゲロをぶちまけたみたいだ】などと書いていた)。


ここは東京ドームがすぐ近くということもあって巨人ファン専用の場所らしい。周囲はおっさんだらけだ。後ろの団体はクルーンをクビにしろとか何とかわめいている。店員のおばさんは韓国人のようで、だるそうに「もう閉店ですよー」とテーブルをまわっている。


二人で飲んでいるうちに、さっきまでずっと聞かされ、鼓膜にこびりついていた中国語のリズムが、少しづつ消えていくような気がした。
目の前では、まついさんがまだ箸で梅干を食べ続けていて、皿に残った貧相なおでんは徐々に冷めて、射精したあとの男性器のように萎びてゆくのだった。