短編を終えたことと、書くこと/書かないことについて

  • いつの間にか、更新が一ヶ月近く滞っていた。
  • 恐ろしいことだ。時間というのは、実際、物理的に伸縮するのではないか?
  • ここ三週間は久しぶりに集中して短編小説に取り組んでいたから、エントリを書く余力がなかったのだ。
  • 短編は、大学院のころに在籍していた「文学特殊研究ゼミ」が毎年発行する文芸同人誌にOBとして寄稿するために書いた。プロフィールにも記載しているが、2006、2007年はぼくも編集に関わり、後者では編集長を務めた。数十年前に奥野健男氏が創設し、青野聰先生が受け継いだ美大の文芸誌」は、今も途切れず、続いている。
  • 今年寄稿する短編は、なかなかタイトルが決められずに苦労した。
  • 結局、登場人物の造形ですこし参考にさせて頂いた方から名前もお借りすることにし、最終的に「たにべさんが、消えた」になった。
  • 字数をカウントしたらだいたい三万字というところで、四百字詰なら八十枚弱にはなるだろうか。思ったより長くなってしまった。少し放置して、加筆する気になったら何かの新人賞に送るかも知れない。
  • 物語内容は、語り手である「ぼく」が、ある真冬の深夜、ネットで知り合った美術作家(45)が失踪したという情報を友人から知らされ、そのまま、衝動的にかれの家まで真偽を確かめに出かけてゆくというもので、その中年の美術家は、統合失調を詐病して市から生活保護を貰い、毎日、自宅からのニコ生実況で自分と自作の正しさを訴えている、誰もが認めるアル中の変人なのだった。
  • 携帯メールやSkypeチャットみたいな独り言が多い一人称で、文体は以前よりだいぶユルい感じになった。今後にどう繋がるかの判断は保留したいが、気負わない書き方だったのは確かだ。
  • 3月末を完成の目処にしている頓挫中の長編にもこれが生かせるなら、良いのだけど。
  • それにしても自分の書くテキスト、言語表現について悩む時間が増えると、面白いように月日が溶けていく。
  • 微妙な額の資金もたまり、春先からアルバイトを朝だけにしたことで自由な時間は飛躍的に増したが、以来、その分だけ価値の判断を先送りにするような状態に陥ってしまった。
  • 「なにを、どう書くか」を宙ぶらりんな、保留の状態にしてしまい、書いているより、読んでいる、考えている方がはるかに長い状態が今まで続いているのだ。頭は常にそのために働いているが、手がそれほど動いていない。
  • 時間があれば得る知識や情報も増えていくが、インプットが増えれば増えるだけ、アウトプットするやり方の判断先送り状態がひどくなってしまう。
  • これはもう、一行という単位から、そうなる。
  • 作品について考え抜くことは重要だけど、人によっては「もっと良い、より良い一行があるのではないか」という状態に陥ると、書けなくなる。
  • しかも、最良を求めるために参照可能な情報は、間違いなくいま、人類史上最大に膨れ上がっているのだから始末が悪い。
  • ぼくらの生かされている世界には、もう既にうんざりさせられるぐらい優れた小説、批評、思想、雑文、詩などが溢れかえっており、加えてそれ以外の、単にうんざりさせられるだけの自意識の排泄物が、その倍の倍の倍の規模で溢れかえっており、実際のところ飽和状態であるわけだが、しかもまだ日々幾百万の人間がひっきりなしにその巨大な自意識の集積場へセッセと自己の愛の汚物を放り込み続けていて、誰もそれを止めそうにない。
  • こんな状況下でもまだ何か文化的に意義のあることを書く、書こう、書けるという気になっている人が、世界に溢れているということだ。
  • ものすごいことだ、これは。ものすごいことだよ。そしてぼくも、そんなものすごい飛躍を抱いた有象無象の一人なのだ。我ながら、どうかしている。
  • 巨大な才能を持たないままのこんな執着を「表現という病」として人から哀れみを受けることもあるが、なるべくしてなったのだから、どうしようもない。
  • 「でも、やるんだよ!」
  • というのは特殊漫画家・根本敬の言葉だったと思うが、これはぼく自身、まさにぼく自身であるのだけど、こういう強迫観念や思考停止が内在化されていなければ、誰しも、書き続けることが難しいのではないだろうか?
  • ぼくの場合、「でも、やるんだよ!」(「出来るんだよ!」ではない)という「からだ」の不可解な欲求がこれほど強くなければ、たぶん今ごろは、多数派の人々と同じく粛々とサラリーマンをし、結婚を考え、老後を見据えた人生設計をする、「真面目な日本国民」として人生ゲームをプレイしていたかもしれない。実のところ、色々なことに目をつぶり、生のディティールに拘泥して暮らすだけの無神経さも、ぼくは持ちあわせている(と自分では思っている)。
  • 「でも現実にやってない/できてないじゃん!」と言われると頷くしかないが、そんな状況の自分もイメージはできる、ということ。
  • まあ、とある美術家の知人にその話をしたら、「28歳にもなってそんなことを言ってる時点であなたはまともじゃないよ、諦めて、早めに開き直った方がいい」などとあっさり否定されてしまったのだが。
  • 2010年ももう終わる。今年は結婚や出産、病気や離職で生活環境が変わった友人知人が10人以上もいたが、ぼくは相変わらず、来年もこんな「悠長な」ことを考え続けながら生きていく、つもりだ。
  • 精々、「悠長」を、懸命にプレイすることにしよう。