詩/散文

「嘆き」より「希望」を語ることについて

少し古いニュース(?)だが、小説家の金原ひとみが、被曝を懸念して子供と岡山に疎開しているという話を知った。東京には戻りたくないそうだ。 【制御されている私たち 原発推進の内なる空気 金原ひとみ(東京新聞)】 この短いテキストは非常に切迫した調…

日本語表現のオルタナティブ、としての岡田利規

前回のエントリでは、チェルフィッチュの最新公演についてのレポートを書いたが、もともとぼくは岡田利規の小説、および戯曲で用いられている研ぎ澄まされた日本語に魅せられた人間である。 「超リアル日本語演劇」 「だらだらとした現代の若者言葉の驚異的…

素描:「【素描する】こと」

Twitterを使う頻度が増しているせいか、エントリで社会通念的な意味での「日記」をほとんど書けていない。 春先にこのブログをはじめたころは、中原昌也の「作業日誌」やエルヴェ・ギベール「憐れみの処方箋」(しかし、これは本当に素晴らしいタイトル)の…

短編を終えたことと、書くこと/書かないことについて

いつの間にか、更新が一ヶ月近く滞っていた。 恐ろしいことだ。時間というのは、実際、物理的に伸縮するのではないか? ここ三週間は久しぶりに集中して短編小説に取り組んでいたから、エントリを書く余力がなかったのだ。 短編は、大学院のころに在籍してい…

新宿文藝シンジケート読書会について

◆ 10月30日から新宿文藝シンジケート=S・B・Sという集まりで読書会をすることになった。 定期か不定期かはまだ不明だけれど、今後、継続的に開かれていく予定だ。 ◆ 新宿文藝シンジケートは、元々ただ内輪の呑み会に遊びで名前を付けていただけなのだが、命…

愛の酔っぱらい賛歌

秋である。 ビールだけが最高であった季節は終わり、これから色々なアルコールがぼくらを楽しませてくれる気候となる。 それに合わせて、一つの詩を紹介したい。 日本人のみで編成されたハイレベルなキューバン・サルサ・バンド「Grupo chevere」などで歌手…