憂鬱と思考停止の日本:アパレル(1/2)

  • 大げさなタイトルになってしまった。
  • 正月の三日に、名古屋から東京へ帰省していた友人Tと再会した。一昨年の大晦日に昼食を摂って以来だった。
  • Tは高校生のころ、予備校の夜間部でぼくと同じクラスだった男で、一浪してから入った都内の美大を出て、服飾のファスニング事業では世界的シェアを持つ企業のグループ会社に就職していた。メンテナンス部員から営業へと移動し、仕事のこと以外、考える余裕はほとんど無いほど多忙を極めているとのことだった。
  • 働き始めた当初から「移動中、意識が無いまま車を運転していた瞬間がある」「高速で、ふっと気がついたら対向車線だった」と言ったりしていた。
  • 「それ、ぜんぜん笑えない」聞くたびに、ぼくの方が怖くなっていた。
  • 正月出勤の朝バイトを終えたあと、ふたりで昼間から歌舞伎町の大阪王将に居座ってハイボールを飲み、餃子や冬季限定の餡掛けチャーハンを食べながら引きつった顔で笑い、暗く重い話題を交わした。
  • 以前、ぼくが旅行の帰りに名古屋を訪れてTの家に泊まったとき、ぎりぎりの状況にある日本のアパレル産業について色々と説明してもらったことがあったが、それはまったく改善されず、悪化し続けているという。
  • 中性的な童顔に強張った笑みを浮かべ、すごい早口でしゃべりながら水のようにハイボールを飲むTにあれこれと質問しているうちに、会話は日本経済や日本そのものの「危機」にまで飛躍していた。
  • 正月の昼間から、浮かれ気分で酒を呑む人々のあいだで餃子や餡掛けチャーハンを食べ、薄いハイボールを何杯も飲みながら二十代後半の男ふたりが日本の経済的な危機ついて口にするのは滑稽だった。
  • たぶん、休みが終わるから憂鬱だとか、正月は飲み過ぎたとか、そうした無害なことについて語るべきなのだが、ぼくらは淡々と、延々と日本についてしゃべっていた。
  • 年頭の精神衛生にも良いとは思えないが、ごく自然に、他に話すことはない、というムードだった。
  • Tは、どうでもいい話題を拒否するような目をしていた。
  • 「これから中国は旧正月のシーズンになるが、明けてからが心配だ」
  • Tの勤める会社は当然のことながら中国や東南アジアに多数の工場を持ち、製品を納めるアパレルの商社も、これも言うまでもなく無数の工場を持っている。Tに言わせれば、日本企業は生産を中国に依存しすぎているが、それが今後は首を絞めることになる可能性が高いのだという。


「工員の賃金が上がっていて、納期や作業時間もハード&シビアな日本企業の仕事は嫌がられるようになってる。欧米企業に比べて安いからと馬鹿にされて、人が集まらないんだ。旧正月に帰省した工員が2割しか帰ってこなかった、というニュースは一部の特異な例外じゃないんだよ。アパレルより、工員の故郷でIT企業の部品を作る工場のライン作業をする方が、楽で条件もいいからね」

  • 2割、というのは冗談のような数字だと思ったが、それで閉鎖になる工場がいくつもある、という。


「アパレルの仕事は、ミシンを使ったり、専門的な技能が無いといけないから、補充工員を確保してどうにかする、というのがそれほど簡単じゃない。だから、間に合っても製品の仕上がりがとんでもないことになったり、まったく予定の数があがらず納期遅れとか、季節物衣料なんかは全てキャンセルになったりしてた。うちだって納品する数が直に変動するわけだから、気が気じゃない」

  • 「日本国内の店頭商品価格を上げることはできないから、もっと奥地の省に生産を集中しないといけなくなる。マジで、ハルピンだの内モンゴルだのっていう辺り」
  • 「他の国では?最近は中国以外に拠点広げてるんでしょ、どこの国も」と聞いても、Tの言葉は厳しいままだ。


「東南アジアだったら、カンボジアとかバングラディシュがいちばん大きいんだけど、例えばZARAなんかは何十年も前から既に拠点があって、年に十万着とかっていう発注を安定して出すから信用されている。日本はたかだか数千という単位の細かい発注ばかりで、種類もとても多いし、また納期が非常に厳しいから、敬遠されてるんだ。中国以外の進出も遅れをとってる」

  • 日本の商社の納期が厳しく、少数の発注しか出さない理由は、主に若い女性むけ衣料の販売戦略に理由があるという。
  • 商品を投入するシーズンを細かく設定してから、そこに消耗品のような安い服を次々に展開し、消費サイクルを早くさせるよう、煽る。それがどんどん過剰になっている。
  • この年の、このシーズンの、このアイテムは、もう二度と生産しませんよ、というわけだ。ファッション誌の中吊り広告をみているだけで、それがよくわかる。
  • もう完全にチキンレースだよ、利益の規模は拡大しないから、流通、生産、販売の現場で少しづつ経費を削って、終わりの無い消耗戦をやっているだけなんだもん。しわ寄せも、寄せるところがなくなっちゃうんだから、いつかは。
  • Tはやけくそ気味ともとれる勢いでそう言っては、力なく笑った。

自殺よりは、ましなこと

  • そういえば、中国の工場労働者に関して、Tが言っていたことで面白かったことがある。
  • 日本にある各種工場でも中国人が多数働いているのは周知の事実だが、いまやどんな田舎の工場の冴えないおっさん社長だって、PCを使わなければ仕事はできない。
  • それを目にする、出稼ぎに来た中国の女性たちは、国に残ったわが夫の無力、低能力を軽蔑し、嫌悪を増幅させるのだという。
  • しかも、日本で数年働けば、故郷での十年以上ぶんの収入を貯金することも可能で、それを保険にして、帰国後、離婚するケースが増えているのだという。
  • 彼女たちは、自分の老後の保証と生きる希望を子どもに託すことにし、教育に膨大な資金を投入しているのだという。
  • 「気の長い話だなあ、このさき、国がどうなるかもわからないのに」「ていうか、旦那が哀れだよな」「まあ、子どもに老後の生活保証を期待するのは、アジア圏とか、アフリカの発想なのかな。欧米的ではない気がするね」
  • 日本に来ている工場労働者の女性のほとんどは農村部の出身だろう。以前、各国の自殺率についてすこし調べたとき、中国は世界で唯一、男女比率で女が男を上回っている国であることを知ったのだが、加えて年間15万〜25万人とも言われる同国の自殺者のうち、農村部は都市部の3倍、そしてその6割を女性が占めている、とのことだった。


革命後女性の地位は向上したとはいえ農村部ではなお旧態依然の考え方も残っており、また一人っ子政策の結果家庭内で女性を生んだ女性を尊重しない雰囲気が一層強まったといわれる。このため農村女性の自尊心は概して低くなり、結婚後の夫婦関係や嫁姑問題などから生じる悩みを解決する方法を見つけられないまま、安易に自殺を選ぶ人が後を絶たないと。農薬の管理を徹底させることで自殺を減らせたともいわれるが、なお、政府は事態の深刻化を受けて「自殺防止計画」を実施することとしている。


社会実情データ図録
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/2770.html

  • もし日本に来た彼女たちが、金銭と同時に、故郷に帰ったあとで弱い夫や傲岸な姑を切り捨て、奪った子どもに希望を託すほどの強さをもこの国で得たのであれば、結果論だが、我々は農薬を飲んで自殺するよりよほどましな選択肢を示せたのだ、と言えるだろうか。
  • やはり、経済力は人を精神のレベルでも自由にする、ことが多い。
  • 数回前のエントリで話題にした留学生の女の子たちは基本的にみな都市部の比較的裕福な家の出だから、そんな酷烈な状況とは無縁な80后(バーリンホー)だ。一人の子が「中国人はたくさんいますから、わたしたちが全部じゃないよ〜」とケラケラ笑っていたように、日本でも、両者は生きる現実が違いすぎる。
  • 中国人の留学生ってさ、なにが目的で日本に来るんだろうな。
  • 「友だちの留学生は、日本人より日本が好きみたいに見えるよ」
  • ぼくがそう言うと、Tは真顔で、心から不思議そうな表情でつぶやき、首をかしげた。


(もう少し、続きます)