憂鬱と思考停止の日本(2/2)


(1/2からの続き)

  • アパレルの話題が一段落したあと、Tは、ここ十五、六年、世界経済の勢力図が大きく変わったせいで、日本は消耗戦の末、窮地に陥っているのに、政府も企業も現状維持にやっきになるばかりで根本的な刷新策を出せず、ばかりか考えている気配も無いことが信じられないと言い、緩慢に死んでいくのを放置しているようなものだ、と嘆いていた。
  • ぼくは、そもそも根本的な刷新策、なんてものがあったとして、それを具体的に指摘できる人間など殆どいないだろうし、そもそもこのグローバルな世界の経済状況のなかで、日本だけが青筋立てて何かして、どうにかなることなどあるのだろうか、と言った。ただ、政府の責任は、企業のそれよりは遥かに大きいだろう、とも。
  • 思うに、いま、この国を象徴するような異常性、特殊性を指摘するなら、これほど「危機」を指摘する言説が繰り返し繰り返しアナウンスされ、雇用をはじめ、生存環境は厳しさを増しているにも関わらず、不気味なほどの平穏と秩序が社会を覆っているところではないか。Tの会社のように、個別の局面ではますます厳しい状況に陥っている業界も多いにも関わらず、驚くほど、凪いでいる。
  • 現実逃避、思考停止、と言えばあっさり腑に落ちるだろうが、それよりは、誰もこの状態をシリアスなものだと捉えていないのではないか、あるいは、平然と受け入れているのではないか、と感じる。

「揺るぎなさ」と「乖離」の日本

  • 日本には「シリアスな問題」「深刻なニュース」、というものが存在しないような気がするのだ。
  • 何もかもが、イラクアメリカ空軍が誤爆。民間人が少なくとも50人死亡」みたいな海外ニュースと同じく、おやあ、遠いところで誰かなんか言ってるなァ、というふうに、ただ流れ去ってゆく。
  • 驚くべきことに、その状態は、政権が交代しようが、わけのわからない理由で首相が突然変わろうが、いっさい揺るがないほどの強固さを持っている。
  • 「うわ〜50人死んだのか〜、テロはしゃれにならないな〜」「菅は優柔不断でだめだな。でも小沢もな〜」「へえ、赤字国債がまた一兆増えたのか(適当)」
  • これらすべてがまったく等価に、「自分たち」とは「関係ない」ものとして、「乖離的に」受け止められている。
  • そして、メディアがまた、どこぞのバカな歌舞伎俳優が六本木で酩酊してチンピラに殴られたとか、そうしたどうでもいいニュースを同じ扱いで流し続けていることで、なにもかもがフラットになってゆくのだ。
  • 声高に危機を述べ立てる言説にしても、「日本が滅ぶ」とか「衰退する」という具体性を欠いた煽動ばかりで、何がどう「滅び」「破滅し」「没落する」のか、まったくビジョンを示さない。メディアのアナウンスだけ見ていると、たまに、かれらはもしかして恐怖の大王がまだ来ると思っているのじゃないだろうか?と感じさえする。
  • 良いか悪いかの問題というわけではなく、端的に、きわめて異常な事態なのだ。
  • 毎日のように停滞と衰亡についてメディアが報じ、しかもそれに対して政治が圧倒的に無力な場合、多くの国では、焼き討ちを伴う暴力的なデモのひとつやふたつ起こってもおかしくない雰囲気になるはずだ、、
  • というか「海の向こう」ではデモも暴動も、殺人を伴う移民排斥も、現実に起きている。不穏さは、世界中で高まっている。
  • だが、日本は?何もない。何も起きない。
  • ときたま、冗談みたいにひ弱な「行進」や「抗議」があるばかりだ。
  • 在特会?無力な落伍者のための同好会か何かだろうか、あの哀れな集団は。

「わきまえて」いる奴隷

  • 「こんな国、こんな国」と多くの国民が自虐的に言いながら、しかし誰もが過酷な条件下で毎日毎日、淡々と、寝坊も遅刻もサボタージュもせずに規則正しく労働をし続け、市場には多量の商品が溢れ、街には世界有数の清潔さと治安があり、インフラは何もかもが正常に機能し、ほとんど滞りない。
  • 「分不相応な」欲望は「欲しがりません(えーと、いつまで?)」とスポイルし、システムから脱落し、弾かれた落伍者は文句ひとつ言わずに、粛々と、無言で命を絶つ。「私、適応できませんで、悪うございました」と。
  • しかも、その方法が悪いと、「人を巻き込むなよ!」と、ここではじめて(!)、国民は憤る。
  • 日本では、怒っていたり、苛立っていたりする方が馬鹿に見えるし、「おかしい」などと異議を申し立てると異様で、浮いてしまうのだ。
  • 「オイッ!そんなことより、チャンと責任を果たせよ!」とくる。
  • かつてあれだけ盛り上がっていた学生の政治運動も、わずかの期間で「無用にテンションの高い人たち(by宮台)」と白眼視される扱いになってしまった。
  • 最近では「希望は戦争」「生きさせろ!」などと、割を食った一部の年代がおずおずと怒りを表明していたが、「おれたち損してるんだけど?」「ハイハイ、ゴクローさん」で終わりだ。まったく相手にされていない。
  • なんということだろう。すごい。ものすごい。
  • これほど「有能」「わきまえた」奴隷の集団が他に存在するだろうか。昔から冗談まじりに言われてきた「日本はもっとも成功した社会主義国という揶揄は、完全に正しいと、いま改めて実感する(怪物的に膨張し続ける中国はもうその名にふさわしくない。ただの独裁国家だ)。
  • なにしろ、秘密警察が密告体勢を敷く必要もなく、異分子のオートマティックな排除という「自浄作用」まで働くのだから、恐ろしいほどだ。
  • なんかマジで、脳にチップでも埋め込まれてるんじゃないか、ってぐらい従順だよな、日本人って、とTは笑っていた。
  • ぼくは、ビートたけしが著作で「日本人てさ、お上の仕打ちにはなにがあっても耐え続けるよね。革命が起きたためしもないし。各家庭の子供をひとずつ殺すぞって言われても、意外と、お上のやることなら、、って思っちゃうんじゃないか」と冗談で(実は本気だったのかもしれないが)書いていたのを思い出した。

当たり前の話にしかならない

  • 「この規模の経済大国で、こんなメンタルの国民が多数存在しているという状態はほとんどSFだよ。日本はベナンとかアルバニアとかボリビアじゃないんだぜ」「世界経済に与えるインパクトが存在しないも同然の国だったら、別に鎖国しようが何しようが、ほっとけばいい。でも、仮に米国債を道連れに日本が吹っ飛んだら、東アジアを巻き込むどころか、世界恐慌だって起きるよ。その立場でこの状態は……」
  • 二人で、自分たちを包摂する国の特異さを「マジック!」「奇跡のようなありえなさ」と他人ごとのように次々指摘し、不自然な味のザーサイをつまみにさらにハイボールを飲み続けていると、もう笑うしかない、という精神状態になってくる。
  • 「ええじゃないか、ってこんな感じだったのかね」と。
  • 「結局、個人が国に対してアクション起こせることなんて限られてるし、勝手に希望を見つけてサバイブするしかない、なーんて、村上龍のパクリみたいなツマンナイ話になるしかないもんなあ、これ」
  • 「そんなの当たり前のことだもんな……」
  • ぼくらの隣では、ひとりチャーハンを食べていた若い女が席で眠り込んでいる。ブランドのバッグに一升瓶を入れていて、明らかに酩酊していた。「お客サーン、寝られちゃ困るんですヨ。救急車呼びますか?」と険しい調子で呼びかけている男性店員も中国人だったし、ぼくらにオーダーを取りに来る女の子も、もちろん中国人だ。
  • 「中国は移民を推奨してるらしいね。なにしろ人が増えすぎてるから、留学したらそのまま帰ってこなくていいよ、ってぐらいの勢い」ぼくがそう言うと、Tは「いやほんと、あっちの人海戦術はものすごいよ。次から次に優秀な人間が出てくる。どんな奥地の工場に電話しても、日本語と英語使える人間がいて、こっちは日本語ですむんだよ。ほとんど反則」と、お手上げのポーズをした。
  • 「あれだけの数の人間が、全部、経済的に満たされるわけないよな、ふつうに考えて」
  • 帰り際、まだ当面はいまの仕事を続けていくつもりだとTは言った。
  • 「それこそハルピンとか、バングラディシュ、カンボジア、あるいは今後真剣に検討されてるアフリカとかブラジルにでも飛ばされることになったら、そのとき考えるよ」と。
  • チキンレースに最後まで付き合う気は、さすがにないからね」
  • 大学を出て以来、Tに再会してその切実で憂鬱そうな顔を見るたび、ぼくは、自分がいかに「まとも」な経済活動から遠く隔たった位置にいるかを、他国と国家の趨勢を争う激闘とは無縁な、「悠長な」ことをやっているかを痛感させられるのだが、今回も、それは変わらなかった。
  • ただ、絵を描いていたかれが自主的に企業人を選択したように、ぼくもいま、必然的にこうなっている、という静かな確信も同時に湧き起こるのだ。
  • 自分があんなに厳しい抑圧を受けつづける仕事を選ぶイメージは当時からまったく描けなかった。結局、抗っても無駄なのだ。
  • なるようにしか、ならない。