素描:1/8 ギャラリー・ルデコ「フレーム!フレーム!」

  • 夕方から、渋谷・ギャラリー・ルデコで、友人である八代哲弥の参加したグループ展示「フレーム!フレーム!」を観る。
  • リンクしたDMにも書いてある通り、このグループ・ショーは、佐藤洋一というインディペンデントなギャラリストであり作家だった人物の活動を受け継ぐ、という名目で組織されたプロジェクトの一環のようだった。
  • 佐藤さんは、ウェブ上では画廊男と名乗って、活動していた。
  • 三年前、茅場町で立ち上げたギャラリー≠ギャラリーというスペースを代表として運営している最中に、故人となってしまった。
  • 2006年の3月に、多摩美の学部卒業制作を見に来た佐藤さんが、ぼく(ら)の作品を見て、「きみ(たち)はオカシナものを作るね。こんど茅場町でギャラリーをはじめるから、やる気があるなら、展示してみないか」と誘ってくれたのが、縁のはじまりだった。
  • プロフィールに記載してあるグループ・ショー「 POWERS OF TEN in the kayabacho 茅場町の片隅にて」他が、それだ。
  • 八代君は、ぼくらの次に、≠で展示をしていた。
  • 専門である写真やカメラへのハンパでなく深い造詣、飄々とした独特の風貌、そして佐藤さんが剥製を使ったその作品にとても入れ込んでいたこともあって、知り合った当初から強く印象に残る人だった。



  • 寒々しいルデコのビル内で、ずいぶんと久しぶりにナマで見た八代くんの作品は相変わらずシャープで繊細なものだったけれど、「フレーム!フレーム!」自体は陰惨な雰囲気に満ちていて、ひどく内向きだった。
  • 写真2枚は、展示を組織した中心である石川雷太の作品と解説で、真っ赤に塗られた壁の前に置かれた台には白いチョークが積まれ、観者が壁に何かを書き付ける/書き付けない、ことができるようになっていたが、これはとりわけ象徴的だった。
  • DMに記載された佐藤洋一氏を回顧したり、過去を振り返り、美化したりするようなものではなく…」という文を裏切り、まさに解説で否定した【「感傷」という美しい虚構への逃避】そのものとなっているように感ぜられた。
  • それを、一概に悪や醜として拒絶したいわけではない。
  • というか、ぼくには否定する資格が、ない。
  • このグループ・ショー自体は目を背けたくなるようなむごい内容だったが、【「感傷」という美しい虚構への逃避】は強力な磁力を持っていて、少なからぬひとが故人を利用して最大限に自分を語りたいのだが、もちろんぼくも、そんな一人であるからだ。
  • 佐藤さんが死んだという事実と自分との関係性を利用して、恥知らずにも(というか、恥知らずな自分を知っているぞという自分をアピールしている)こんなエントリを書いている。
  • 誰の身にも起きうる出来事からは、不謹慎という感情を超えて、言葉が生まれ出るし、それは制御されるべきではない。が、ぼくも、「フレーム!フレーム!」に参加した人々も、どう格好をつけても、死肉を漁る屍食鬼であるという側面を否定はできない。
  • 加えて、佐藤さん、画廊男・佐藤洋一は、そんな行為をことさら煽るかのような「呪い」を現世に残して、逝った。いつまでも「安らかに眠りたくない」のだと、ぼくはそういう印象を受けた。「おれを忘れるな」ということだ。
  • その「呪い」は、こうして、未だに効力を保っている。
  • やはり、かれはとても業深い人間だったと、改めて思う。
  • ギャラリーを辞したあとは、八代くんと、展示を見に訪れたお姉さん、その旦那さんと渋谷で少し酒を飲んでから、帰った。
  • 佐藤さんの話も、ノットイコールの話も、ほとんどしなかった。
  • 「佐藤さん、命日いつだっけ?」「忘れたなあ」時折そんなやりとりもあったが、意図的に避けていた気がする。
  • 「呪われた」ことを、「呪われていない」人たちの前で持ち出すのは、気が進まなかった。
  • 佐藤さんの「呪」がいつまで力を保ち続けるかは分からないが、それはドラスティックに解呪されるものではなく、単に、「いつのまにか」忘却される性質のものであり、平凡で吹き出しそうなロマンティシズムだが、そのときこそ、かれは本当に「死ぬ」のだろう。