第三回新宿文藝シンジケート読書会メモ「山谷崖っぷち日記」2/2


第三回新宿文藝シンジケート読書会メモ「山谷崖っぷち日記」1/2
http://d.hatena.ne.jp/Hainu_Vele/20110115/1295080180

  • 15日の晩、予定通り、新宿文藝シンジケートの第三回読書会が行われた。
  • 今回は、課題図書が一種の私小説というか、随筆なので、前回、前々回の中島義道「哲学実技のすすめ」のような変わった啓蒙本の時とは異なり、内容に次々と疑問点を挙げていくというような感じはなく、ゆるく意見や感想が交換されていた。


  

  • 出てきた感想としては、まず優れた分析力と批評眼に支えられた考察型のエッセイであり、川本三郎が選評で書いたように特異な「隠世の文学」であるという点ではほぼ全員の一致をみた。
  • 山谷における労務者の生活に材をとってはいるのだが、貧困や社会矛盾を声高に叫ぶプロパガンダでもなければ、底辺に生きる人々の表面的レポートに留まるものでもない。
  • 著者である大山の視線は、山谷住人たちの、その半ば動物のような非人間的な関係性に顕れる滑稽さ、醜さ、陋劣さを淡々と乾いた文体で綴るが、それは、かれら破壊されたものたちに際立つ特徴であると同時に、どんな人間集団でも闘われている普遍な争いの縮図であることを読み手に示唆するのだ。
  • 大山は、かねてより抱いていた「つまるところ、私は人生に向いていない人間なのだ」という「深い確信」のもとに、ある日、社会というゲームの表舞台から降り、山谷での労務者生活にたどり着いた。
  • そして居直りでも絶望でもない、静かな「諦念」のうちにベッドハウスの片隅でひっそりと朽ちゆく己を受け入れている。
  • 「このような想念の中でまどろみながら、何とか死までなだれ込んでいきたいものだ」と呟きながら。
  • 参加者のなかには、作者の「深い確信」と自分のそれがとても近く、共感と同時に読み進めるのがつらかった、という発言も少なからず出ていた。ほとんど同じことを考えていたし、自分の将来を付きつけられたようであり、それを受け入れられるかわからず動揺した、と。
  • ぼくが人から薦められてこの作品をはじめて読んだのは9年ほど前のことだが、大山を山谷にむかわしめた(実はふつうの社会生活という名の「生」への、アンビバレンツなものを含む)深い「諦念」には、ほとんど高潔ささえ覚え、深く心を動かされたけれども、あの時も今も、「読むのがつらい」という状態には陥らない。
  • 結局のところ、「作者の生きているリアリティと自分は違う」という区別があり、シンクロ率が低いということなのだろう。ぼくには、社会に対するこれほどまでの不能感や不全感は無いし、もっと冷笑や、ひどい苛立ちや、期待に支配されている。
  • 自己を客観視して尚、これほど淡々とした心境で物事を受けいれる場所には(少なくとも、まだ)いない。
  • 前回のエントリでもいくつか本文を引用したが、さらに追加して、今回の〆としたい。
  • もし、当ブログの(定期、不定期)読者諸兄で、未読の方がいらっしゃるなら、一読を強くお薦め致します。


釜ヶ崎や山谷というような社会的場所がなければ私はどうなっていただろうと思うとゾッとする(つまり逆に言うと、釜ヶ崎や山谷での生活は私にはゾッとするものとしては感じられていない)。
他人と継続的な人間関係をもてないということは、継続的な職業生活を営めないということであり、社会主義国でならまず間違いなく精神病院送りだったであろう。
日本が社会主義国にならなかったことが、まず、私の人生の幸運のひとつである。
二つ目の幸運は、高度経済成長期以後の日本社会で生きられたということだろう…(略)…つまりは先進資本主義国で生きられたということが、私の根本的な幸運であった。
戦後の日本社会の豊かさのおこぼれにあずかり得たということ以上に、私の人生にとっての幸運はなかった。p170-171


私が真のホームレスとなることは、どう考えても避けがたいことだと思われるのだが、私はこの予測にせきたてられるでもなく、ドヤのベッドの上で悠然と本を読み、イヤホーンでテレビを視聴している…(略)…避けがたい災厄はできる限り平静に受け入れた方がよい。
たかが衣食住の必要のために、どこかの飯場にもぐり込み、若い職人や経営者に追い廻されながら、飼い殺しのような生活を送る(そういう老人がそこここの飯場にいるのである。私も飯場経験は皆無ではなかった)よりも、真のホームレスとして食べ物を漁るだけで、一日の大半を図書館で読書三昧で過ごせるのだとすれば、私にはこの方がはるかにマシな生活だと感じられる。
私はすでに、この局面における選択を下している。
可能なこの二つの将来図から、私は飯場での飼い殺し生活の方を明確に忌避しようと考えている。p119-120


山谷で知り合った多くの人々にとって、他人に対する優越感の確認への願望は、宿痾とも言うべき性癖であるように思われる。
何かの拍子に自らの優越感を確認する機会が訪れれば、多くの山谷の住人は決してこれを見逃そうとはしないのである…(略)…おそらく基本的には彼らには自信がないのだと思う。
自分に訪れた他人に対する優越性の顕現を、自他に対し事ごとにあえて確認しないではいられないほどに、彼らは静かで安定した自信から疎外されているということなのであろう…(略)…この静かな自信の欠如が山谷住人の子供っぽさの核心にある要素であろう。


どこから見ても、中年から初老の、おやじ以外の何ものでもない(私を含む)山谷住人たちは、話をしてみればすぐ気づくだろうが、とても子供っぽい衝動を隠し持っているのだ。
それは他でもない、他人に対して優越感をもちたいという渇望なのである。他人からの承認を味わったことがないことに由来する、優越性に向けての露骨でみえみえの衝動が、このおやじたちの中にはうごめいているのだ。
そして、何らかの形で自らの優越性が確認できる機会が訪れれば、彼らは一二、三歳の子供のように何の恥じらいもなく、これに飛びついてしまうのだ。p58-59


私は西成で三年、山谷で十二年、都合十五年間の労務者生活を送ってきたわけだが、その私の眼には、世の中の底辺にはあるはずだという人間の気高さや美しさを見出すことはできなかった。山谷住人のマジョリティの姿は、私の何年間かの一般市民社会での見聞と照らしていえば、一般社会の住人と同じ程度には気高くも美しくもなかった。
山谷住人の陋劣さは、一般市民社会の住人の陋劣さよりも洗練と多様性に欠け、はるかに単純で露骨だった。無知と卑屈と傲慢の三位一体を体現したような人々とは、腐るほど出会ってきた。


知識それ自体にはさほどの意味はないのだろうが、知識を手に入れる過程で身につく教養なるものは、なるほど重要なものなんだなということが、これら三位一体を体現した人々と接触するたびに痛感させられるのだった。


無知でありながら、性格の力のみで己の陋劣さを焼き切ったというふうの人々には会ったことがない。


山谷の住人中、人品ともに優れていると私に思われる人たち(塚本さんや緒方さんや徳永さん)は決して完全に知識と無縁な人々ではなかった。
知識と完全に無縁な人々は、多くの場合、その無知ゆえにいやも応もなく卑屈さと傲慢さを引き寄せていた。
…無知であることが恥と陋劣さにつながらないためには、どれほど例外的、超人的な意志力を必要とするかに想いを致せば、私は、無知は恥と陋劣さの母胎だ、と言い切ってしまいたい気持ちにかられる。無知であることが恥と陋劣さを生み出してしまわないほどに例外的な意志力をもつ人ならば、どこかの時点で知識にも向かっていっただろう。


表面の偽善の裏で行われる腹のさぐり合いや足の引っ張り合いが、人間の営為としてどれほど上等なものかは、山谷でかの三位一体を体現した人々と一度っでも接触すれば、いやでもわかってしまうだろう。
抑圧され、差別され、侮辱されている山谷住人たちを、その被抑圧と被差別のゆえにロマンチックに美化したがるような人たちの山谷観には、イデオロギー的な思い込みの他にも、次のような心理が作用しているのではないかと私は考えているのだ。


このような人たち(マスコミに登場するような知識人たち)は、知力・気力・道義心において衆に抜きんでた人々であると判断してまず間違いないだろう。
聖者に出会えば誰だって、自らの中で眠り込んでいた聖性の一部を引き出されてしまうのと同じ心理メカニズムが働き、これら優れた知識人が出会った時の山谷住人は、例外的にある種の高貴さを体現することになっていたのではないだろうか。
そして、その時の知識人たちの眼には、これら山谷住人たちは、ある種「気高い愚民たち」として映ることになったのではないだろうか。
これは、彼ら知識人の知性と性格の力が、山谷住人の中に眠り込んでいた気高さを覚醒させたというのと同じことであろう。結構なことだが、しかしまず確実に、この覚醒は一過性のものだ。すぐに彼らはもとの陋劣さを復元させてしまうはずだ。


あまりにも優れた人には人間が見えないというのは、こういう事態のことを指しているのだと私には感じられる。p175-178