暗殺のアパルタメント



  • 最近、またハバナを舞台にした長編とりかかっている。これで三作目になる。
  • この作品はもう二年以上にわたって、書いては中断し、再開しては中断し、そのあいだに別の短編を書き、そしてまた書き始めて、上手くいかず、、、、
  • という調子で「書きあぐねている」のだけれど、物語で狂言回しになるキャラは、2005年と2006年の2回、ぼく自身があの街に滞在していたとき住まわせてもらっていたカサ(家)に外篭っているのだった。
  • そのカサは老朽化した五階建てのアパートで、Humboldt7/フンボルト7番という裏通りにあった。
  • アパートは、ちょうど通りが海岸線にそってハバナの外周を取り巻くマレコンの道路に合流する角のところに建っていたから、部屋の窓からは青や緑のまだらに輝くメキシコ湾を臨むことができた。
  • 夏か春なら、泳ぎたくなればアパートを出て道路を渡り、海岸へ降りていけばよかった。
  • ぼろぼろに朽ちた防波堤で、波と、マレコンを走る瀕死のアメ車や旧ソ連製のタクシーが放つ音を「聴き」ながら、太陽を浴びるのも心地良かった。
  • フンボルトと平行に走る、ひとつ隣の大通りであるC23には伝統あるホテル・ナシオナルが面していて、緩い傾斜になっているC23を十五分も上れば、旧ハバナヒルトンであるところのホテル・ハバナ・リブレを左手に見ながらベダードという中産階級の住む住宅街がはじまる。
  • 逆に、フンボルトからC23とは反対の方向に何本も交差しながら走る裏通りには無数の老朽化したカサが立ち並び、セントロ・ハバナという大きな下町地区を形成している。
  • そこは、セントロとベダードの境界線上の場所だった。

惨劇の過去

  • いまは老朽化した平凡なアパートのひとつにしか過ぎないこのカサは、しかしキューバ革命の最中には、フルヘンシオ・バティスタ軍事独裁に対して抵抗した過激派学生の組織である「革命幹部会(以下DR)」の指導部が潜伏先として使用していた建物だった。
  • 1957年の春、アパートは秘密警察の強襲を受け、殺戮の舞台となった。
  • 建物の玄関外壁には、その際に射殺されたDRの幹部学生四人がレリーフになったプレートが取り付けられ、入ってすぐの壁にはかれらがバティスタ暗殺を狙った蜂起の決行日である3月13日にちなんだ「13」の文字や、花の絵、(まさに辺りに飛び散った)「彼らの血」というスローガンが大きく描かれている。
  • 「血」をぬぐい落として消し去らず、犠牲の記憶を意識しながら(させられながら)住民は生きている。



  



フンボルト7の虐殺

1957: Humboldt 7 Shootings
http://cuba1952-1959.blogspot.com/2009/07/1957-humboldt-7-massacre.html


  • ウェストブルックとペドロ・カルボは玄関へ逃げ出す途中で射殺され、階段から引き摺り落とされた。ロドリゲスとマチャードは一階の自動車修理所とバーのスペースに飛び降りて負傷したところを包囲されたようだ。

                   


クーデターの失敗と潜伏、そして密告

  • かれらは約1ヶ月前の3月13日に、バティスタ暗殺と政権転覆を狙った冒険的クーデターを企てていた。
  • DRのリーダーであるホセ・アントニオ・エチェベリアがさまざまな勢力に呼びかけ、指揮したそのクーデターは、数十名の突撃部隊が大統領宮殿に奇襲をかけてバティスタを暗殺、別働部隊が警察所と放送局を占拠し、市民と軍に決起を呼びかけるというものだったが、突撃隊はバティスタに逃亡を許し、連携の失敗から他の部隊もろとも政府軍に壊滅させられていた。
  • 放送局の占拠後、やむなく逃亡する最中にハバナ大学正門前の路上で射殺されたリーダーのエチェベリアをはじめ、計画に参加したテロリストの殆どが死亡したが、上記の四人は辛うじて逃げ延びていたのだ。
  • その後、住人の協力を得てこのフンボルト7 #201のアパートに潜み、DRの再建とあらたなテロを計画していたが、共闘関係にあるはずだった共産党(PSP)のロドリゲス・アルフォンソの密告によって悲劇的な最期を迎えることになった。

嫉妬

  • ロドリゲス・アルフォンソは革命が成功した後の1964年、この事件での行為を「祖国への裏切り」に問われて革命法廷で銃殺を言い渡された。
  • しかし革命法廷はアルフォンソが「密告」に走った理由をスキャンダルとして隠蔽した……Habana Timesのアルフレド・フェルナンデスは以下でそう断じている。


"Revolutionary Martyrs of the Other Orientation"
http://www.havanatimes.org/?p=31944

  • その理由とは、嫉妬であり、そして同性愛にかかわるものだった。
  • 密告者に堕したアルフォンソと、殺害されたジョー・ウェストブルックは過去に恋人同士だったが、事件が起きたとき、ウェストブルックはアルフォンソを捨て、テロルの同士でもあるホセ・マチャードを新たなパートナーにしていた。
  • 「同性愛は精神病であり、反革命的で堕落した人間である」として彼彼女らを強制収容所送りにしていた革命政府からすれば、革命の貢献者にして殉教者が同性愛者であるなどということは絶対に認められなかったのだ(付け加えると、マチャードは黒人に近いムラートで、年代を考えた場合、ブルックスとのパートナーシップは非常にラディカルなものだと言えるかもしれない)

神話としてのキューバ革命

  • 他にも、前大統領であるプリオの一派はカストロや学生らを援助すると共に自前のテロ組織を差し向けていたし、(現在の共産党とは異なる)共産主義者たちや、以前、カストロが所属していたオルトドクソ党/正統党も独自に動いていた。
  • 日本の幕末動乱を引き合いに出すなら、度々起こる竜馬ブームなどもあって坂本龍馬が運命の人であるかのようなイメージが強くなりすぎているが、事態を乱暴に「歴史」としてまとめ過ぎると、見落とすものが大きいと言える。
  • カストロの「革命」に関しても、今後、時間の経過と共に新たな視点での再評価が起きてくるのかもしれない。

血の記憶と共に



http://tvcamaguey.blogspot.com/2009/04/honran-martires-de-la-masacre-de.html



  • 掲載した写真を見てもらえば分かるように、ウェストブルックとフアン・ペドロ・カルボの生命が失われ、死体が引きずられていった部屋や階段や玄関ホールはいまもそのまま残っているし、ごく普通の暮らしが営まれている。
  • 過激派学生たちの血が染み込んだ石の階段を鼻歌まじりに上り降りするとき、とても不思議な気分だったことを覚えている。
  • 蹴り落とされ、さらに銃弾を撃ち込まれて呻きながら死んでゆくかれらや、痙攣と共に血と命が流れ出す躰を想像すると、戦慄とも興奮ともつかない、ざわざわとした感情が背筋を這った。
  • 薄暗い、古風な石と漆喰で作られた空間が血の臭いで息詰まらんばかりだったであろうその場面を、何度もイメージしてみたものだ。
  • アパートの住人たちはそんなことなどいっさい知らないような素振りで暮らしていたから、ぼくから尋ねることもなかったが。
  • いま、だいぶ薄れてきているそのときの建物の記憶を掘り返しながら物語を書いている。
  • そのうちハバナに行く機会が巡ってくれば、是非またここを訪れて、血の記憶の、濃密なにおいを嗅ぎたいと思う(ただ、写真の記念式典ではプレートが新調されているように見えるので、もしかしたら現在は内装も大幅に変わってしまったかもしれないが)。