3月11日からの33日間

  • 【報告:私事ですが、9日付けで29歳になっています】
  • とても久しぶりの更新。
  • Twitterウィジェットを見てお分かりの通り、ぼくは、生きています。
  • 生きています、なんて書いた以上、再開一回目は、やはりどうしたっていまも世の中を騒がせていることに関して触れないわけにはいかない。
  • 「あれ」から、もう一ヶ月以上も経っているということが驚きだ。
  • あまりにも予想を超えた、それが故に(実際の、恐るべき、前代未聞としか言い表せない災害規模とは乖離した)陳腐な映画のように見える、そんな事態が連続する毎日を前にして、「あれ」以来、どうも失語症気味になっている。
  • 当面、文化的な事象に関する内容の更新は、それほどできそうにもない。
  • 3月11日の午後、揺れが始まったとき、ぼくは西武新宿線すぐ横のルノアールでノートブックからWi-Fiに接続してTwitterを読んでいた。
  • 焼肉屋店主からの、わずか数十万円の政治献金外務大臣が辞めるなんて、狂っている。過剰コンプライアンスだ!」という論争のようなものを、読んでいた。
  • (現在の前代未聞の危機から比べると、気が遠くなるほど牧歌的な内容だと言うしかない…というか、誰も覚えていないだろう)
  • 画面の文字を追っている途中、妙な音がするので上を見上げると、大きく照明がきしんで、揺れている。地震?」と思っていたら、次は建物全体がゆっくりと横に揺れはじめた。
  • 一瞬で、「これは普通じゃないな」と直感させる震動の大きさで、窓の外を見ると、外灯付きの電柱が激しく前後に揺れている。
  • 2階にある店内には数十人の客がいたが、店員の避難指示を待たず、その半分ほどが軽いパニックにかられて店から路上に早足で出て行った。一人、入り口の自動ドアに激突した人がいて、自動の機能が壊れた。周囲の店鋪や飲食店からも、次々に人が外に出てきている。
  • 少し迷ったが、やや「付和雷同」気味に、ぼくもとりあえず荷物をまとめて外に出てみたのだが、そのころにはもう、揺れは収まっていた。
  • 「いまの揺れって、ちょっと、というか、けっこうスゴクなかったですか」二言三言、周囲の人たちと怯えが転じた興奮にかられて会話をしたあと、ネットで報道を確認しようと、店内に戻った。横の席では、あの揺れの中も微動だにせずMacBookで楽譜を書いていた眼鏡の男が、まだ楽譜を書き続けていた。
  • Twitterでの情報や知人友人に聞いた話と比較すると、都内の場合でさえ、ぼくがいたところは(相対的に)揺れがきわめて軽微だったようだ。事実、ルノアールは停電も断水もせず、被害は客の突撃による自動ドアの故障だけで、営業はそのまま継続していた(ただ、一階のバーガーキングはすぐ閉店した)。店員の女性たちは極めて落ち着き払っており、逃げ出した客をフフンと嘲笑っているかのようだった(妄想)。
  • そこから3月16日あたりまでの事態の推移は本当に常軌を逸した悪夢的なもので、列挙してゆくと、到底現実のこととは思われない。
  • 次々に判明していく東北の激甚な津波被害の報道に見入っていたら、今度はお台場でフジテレビが燃えている(結局は誤報)だの、巨大な地盤沈下でディズニーランドが半壊した(これも結果的には不正確な情報だった)だのと、日常の意識感覚を揺るがすような情報が次々に飛び込んでくる。千葉ではコスモ石油の工場がタンクの爆発と火災を起こし、東京湾に近い埋立地や、千葉、神奈川では液状化や地割れが多発していた。
  • そして、極めつけは地震津波により、福島第一原発で全電源と冷却系統が喪失」という非常事態。
  • 悪化を続ける原発と同時並行で、翌日未明には長野で震度6の余震があり、日曜日になると気象庁「あと3日以内にマグニチュード7クラスの余震が来る可能性は70%」という警告を「宣告」し、さらにあまりに唐突なタイミングでの「計画停電実施」という驚愕の発表もなされた。
  • 週が明けると、毎日のように原発が次々に、景気よく(超不謹慎)水素爆発して放射性物質が漏れ出し、15日の夜にはなんと「宣告通りに」震度6強の揺れが、今度は静岡で発生した(その夜、案の定というか、ネットでは「富士山から黒煙!」というデマが盛んに飛び交ったものだ)。
  • 確か、この16日前後で(あくまで一部とはいえ)都内のパニックは最初の頂点に達していたように思う。
  • 多くの外国人がスーツケースや巨大なキャリーを引きずりながら、新宿を駆け足で走り抜けている姿を目にした。旅行客の殆ど全てと留学生の多くが瞬く間に帰国し、少なくない数の大使館や外国企業が拠点を西へと移した。アメリカは自国民に原発から半径80キロ圏外への退避を勧告し、フランスは防護服を大量に大使館へ送りつけ、ドイツやオランダは在京国民へ安定ヨウ素剤を配布できる態勢を整えた。
  • 日本人でも、松濤や赤坂の大金持ちたちが関西、もしくは香港や沖縄などの遠方に逃れたと聞くし、某有名評論家A氏は伊豆方面に退避し(さんざんネタにされている通り、その途端に静岡で地震があったわけだが)、何人かのフリーライターや芸能人も東京を離れたとツイートしていた。あとで週刊誌を読んだところ、原発が水素爆発したことで、民放の報道大手の記者等も大勢、福島から離脱していたようだ。
  • 身近な例では、ある友人はロサンゼルスに一家で一時避難し、実家が関西以西にある何人かも、恐慌状態に陥って「疎開」した。
  • また、何人かの友人が「おい、日本はどうなっちゃうんだ!」「不安で気が狂いそう」などと泡を食って電話をしてきた。
  • ネット上では放射性物質以上に大量のデマや誤報が次から次へとばらまかれ、イソジンを一気に飲んで倒れる人間やホウ酸を食べようとする人間が出現し、広瀬なんとかいう懐かしのオカルト・ライターが終末を語る動画がYouTubeで驚異的な回数再生され、多くの人々の精神を不安によって損壊させた。
  • ぼく自身も、いままで生きてきた中でこれほど強いストレスを感じ続けたことは始めてであり、非常に消耗させられた。
  • なにしろ、繰り返すが「数日以内に70パーセントの確立でマグニチュード7の余震が発生する見込み」という状態だけでも極めて異常なことであるのに、さらに同時進行でジャンジャン原発が爆発しているのだから。
  • フィクションなら安いSFにしかならないが、画面の向こうで起きている出来事は疑う余地もなく現実という事態。
  • 「さらに巨大地震津波が誘発されて、福島だけでなく、あちこち原発が非常事態に陥るんじゃないか?」
  • 地震から一週間〜十日くらいは余震の頻度や規模がよくわからず、この想像が非常にリアリティを持っていたことを思い出す。
  • 15日の夜に静岡で強い余震があって、それから16日の朝付近まで避難用のバックパックを抱えながら敵を警戒するゴルゴ13状態で仮眠していたときが、個人的にその緊張感を象徴するものだった。
  • 福島の原発事故そのものによって西へ退避する必要性は感じなかったが、大規模余震や原発事故で都内がパニック状態になってしまったときを考えて、NYに住んでいる友人や関西方面の友人に緊急時の避難先依頼をしたことはした(果たして大混乱に陥った都内を脱出できるのか、という話はあるわけだが)。
  • 基本的に十日ほどは精神がずっと昂っていて、落ち着かなかった。
  • そんな状態から、徐々に個人的な警戒レベルを変化させていって、今日に至っている。
  • 一ヶ月のあいだ、定例の読書会もしたし、花見もした。以前と同じようなペースで人と酒も飲んでいる。アルバイト先は震災の影響をまったく受けていないので、仕事もそのまま続けている(しかし、残念ながらまったく集中できなかったため、3月末〆の新人賞用に書いていた中編は仕上がらなかった)。
  • 危機が去ったと油断しているわけではない。相変わらず未曽有の非常事態が継続しているという認識を持っている。
  • 先週くらいから、インターバルが再開したのか再び余震が激しくなってきているし、原発は当初の制御不能状態から僅かずつではあれ前進しているが、依然として収束までの目処は遠く険しいと感じる。核分裂と崩壊による放射性物質の外部漏出量を基準にしたINESの評価では、チェルノブイリ事故も同じレベルに含まれる最大の「7」相当との判定もなされた(今のところ【放出総量】そのものは福島の方が遥かに低いが)。
  • ただ、ある種「慣れた」と言っては多少語弊があるが、あまりに次々トラブルが続くため、最低限の備えだけはして、後はもはや何が起きてもその場その場で状況に応じた対処をする他だけで、それ以外は可能な限りいつも通りふるまうという、開き直りにも似た精神状態になりつつある、ということだ。
  • なかなか簡単なことではないが、今後も続いてゆく「非常時下」において「日常」を過ごすには、そうする他はない。
  • しかし、二十代最後の年を騒乱のただ中で迎えるなんて、運が良いのか、悪いのか。
  • いずれにせよ、ぼくらはこれから、可視化されていなかっただけだろうがなんだろうが、これまでかりそめに維持されていた「終わりなき日常」が完全に終わっていく、そのプロセスを目撃してゆかざるを得ないのだ。