多摩丘陵・散歩日記・Part.1




  • 先週のこと。完全に散ってしまう前にと、自宅から歩いて三十分ほどの都立桜ヶ丘公園・大谷戸公園へ桜を見に行った。
  • ここは多摩丘陵に三つの公園が重なって形成される場所で、中心部の「旧多摩聖蹟記念館」周辺は地味ながら独自の雰囲気を持った桜の名所だ。
  • ぼくが通わされていた保育園や市の児童館はこの公園からほど近い住宅街の中にあり、小学校ぐらいまではよく遊びに行ったものだった。いまでも桜が咲く季節になると、散歩に出かけている。
  • 辺りの風景は二十数年前とあまり、というか、ほとんど変化していない。
  • 既視感が、ノスタルジーの感情を強く喚起する。





  • 既に葉桜になりかけている木も多く、満開のタイミングは逃してしまったが、のどかな丘陵に点在する桜はやはり美しかった。
  • 晴れわたった空とぬるい微風、汗ばむほどの気温のなかでうろついた丘はとても穏やかにまどろんでいて、その雰囲気は、頻発する余震や危機に直面している原発という、世間を動揺させている重く、暗い言葉とは完全に切り離されていた。
  • 「茨城沖で採取したコウナゴから基準値を超える値のセシウムが検出され…」
  • 桜の写真を撮っていると、あずまや付近のベンチでからあげや枝豆を食べながらビールを飲んでいたおやじたちの付けていたラジオから、「ムーミン 」枝野官房長官の声がする。
  • 福島第一原子力発電所の事故で海へと漏れ出した放射性物質の、魚介類への浸食について会見をしているのだとわかったが、きわめてシリアスであるはずのそんな報告でさえ、ここでは、別世界のできごとみたいに聞こえる。
  • セシウム?別にどうってことないでしょ?というふうに。
  • セシウムってのは体に悪いってんだっけ?」「そりゃ、良かぁ〜ないだろ。基準値を超えたとか言ってるしな」「困ったもんだな、ホーシャノウってのも」
  • 平日の昼からまったりと酒盛りをする暇そうな初老のおやじたちは、信じられないくらい地味な色のズボンやベスト、ジャンパー、帽子などの身なりからしておそらく年金生活者と思われたが、すべての言葉が弛緩していて「基準値」「セシウム」「放射能のように、強い緊張感を喚起するはずの単語も、泡のように実体を持たないまま、弾けて、消えてゆく。
  • じき、話題は巨人の澤村の成績がどうしたこうしたという方向にシフトしていった。




  • 明治天皇の当地への行幸を記念して作られた施設で、1930年(昭和5年)11月に元宮内大臣田中光顕が中心となり、当時の人々の土地の寄付や工事の協力などによって、現在の都立桜ヶ丘公園内に建設、開館された。聖蹟(聖跡)とは時の天皇行幸した地の呼称で、他にも日本各地に「聖跡」と称する記念碑等が見受けられる】
  • ウィキペディアにもシッカリ記載される通り、多摩丘陵に明治帝が狩猟や鮎漁で訪れたことを「聖跡=聖蹟と記念して建てられたもので、ぼくの自宅最寄り駅である聖蹟桜ヶ丘の名前も、そこに由来している。いわゆる右派の人々にとっては、なかなかテンションの上がる場所だと言えよう。
  • さまざまな木々や植物が鬱蒼と生い茂る雑木林を登った丘の上に、突如として出現する近代西欧建築の「はりぼて」は、やや異様で、浮いている。
  • 戦後、1986年に改装工事が入るまでは荒れ果てていたようで、特撮ヒーローものの番組で悪の秘密組織の基地として使われたこともあると聞いた(竣工当時は建物の周囲に木々などは無く、有様はさらに奇妙である)。
  • 内部には渡辺長男作の明治天皇騎馬像があり、幼いころはそれに不気味さと威風を感じもしたが、いまではそのパッとしないできばえと、暗くて辛気くさい「しょぼくれた小規模市立博物館」ふうの館内の組み合わせが、なんともキッチュな雰囲気で、味わい深い。
  • 一応、椅子とテーブルがあり、有料でコーヒーや紅茶を頼めるのだが、それは奧の給湯室で職員のバアさんがインスタントを作る手間賃だと思った方がよい。
  • この多摩丘陵には、上記の旧聖蹟記念館とは別に、もう一つ、日本の悲劇的な歴史を偲ぶ場所が存在する。
  • 館内を出て十分ほど丘を下り、駐車場のある公園入り口から住宅街に出てすぐのところに、その「慰霊園」はある。



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