第六回「新宿文藝シンジケート」読書会

  • 既に10日が過ぎてしまったが、4月23日の土曜日に、第六回「新宿文藝シンジケート」読書会が行われた。
  • 課題図書は二冊。片山洋二郎「オウムと身体」竹熊健太郎「私とハルマゲドン」
  • 最初は読書会の代表、サエキ・カズヒコさん(id:utubo)(http://twitter.com/#!/utubo)が推した片山氏の著作だけが対象だったが、関連書籍として、ぼくが竹熊氏の本を追加提案した。
  • しかし結局のところ、会で行われた対話の大半は、前者を巡るものになった。


 

  • 「オウムと身体」の著者である片山氏はあの菊地 成孔にも信頼される整体師だという。
  • 本の内容を要約すれば、こんな感じだ。


「いま、世間ではオウム真理教のような極端な反社会的な行為が一定の人々からシンパシーを得ている。その理由を施術の現場から得た経験を基に分析し、現代の身体がおかれた状況からの必然と定義付け、そうした負荷を実践的に解消する術を提示」

  • まあ、なかなかに「きわどい」シロモノであった。
  • このエントリではその「きわどさ」を詳しく書く気はないが、あえて好意的に捉えれば「実践的」でありすぎ、揶揄的に一言で表現するなら反証可能性を欠いた、非科学的な個人的見解=電波」と切り捨てることが可能なもの、だ。
  • 西洋医学の公式見解を信ずる人からすれば、いわゆる東洋医学全般が「非科学的」と括るに値するものであろうが(ぼく自身はこの立場に賛同するものではないけれど)、とりわけ「オウムと身体」は論旨の整合性や一貫性、客観性に欠けており、「エネルギー」「神秘体験」など、独自の定義で使われる語が多く、酷評する参加者もいた。
  • 「ある種トンデモ本で、しかもそのカテゴリーとしても中途半端で、たいして面白くない。オウム報道をテレビで見ながら、漠然と思いついたことを書き留めただけと感じた。整体にせよ東洋医学にせよ、もっと歴史的な文脈があるだろうし、そこを踏まえて欲しい」というふうに。
  • ただ、そうした微妙な反応が多い中、ぼくの印象に残ったのは次のような、身体的に本を理解しようとする感想だった。
  • その発言をした人は、過去に何度かメンタルを患って、定期的に通院していたこともあったという。


「こういう本の内容は、“こころ”“からだ”を悪くしないと伝わらない、分からないものではないか。自分はこの本を以前から知っていて、何度か読んだが、そのときの身体や精神が置かれた好不調の状態によって、受ける印象がだいぶ違った。非常に下らないと感じるときと、中島義道ではないけど、“からだ”で分かると思った瞬間と、一様ではない。テキストとして精緻に読むようなものではなく、書かれているトレーニングの実践によって、からだに効果があった!分かった!と思えるかどうかが重要。だから、こうして読み合いをするのには向かないかもしれない。心身共に健やかな人には全く理解不能だろう」

  • 「効果で分かればよい」「テキストの非現実性、非論理性はあまり問題ではない」
  • このような意見で賛意が示される本は、知的な普遍性(当該テキストが広く他者の理解が可能な論理で貫かれており、個人的感覚に依拠しすぎることがない、という程度の意)を重んじる観点の人たちからすれば許容し難いものだろう。
  • 実際、オカルト詐欺師たちは、その辺りを故意に悪用して人々を騙すのだが、ぼくは、そうした「きわどい」本や、「共感」に寄りかかった「読み」を全否定することはない。
  • ある人に、あるとき、何故そのような共感が生まれたのか?あるいは、なぜいつの間にかそれは失われたのか?そこで生まれた感情の濃密さや落差の具体的なディティールに興味があるし、知りたいと思う。
  • ぼく自身は、現在、幸いにして“こころ”“からだ”も患ってはいないが、年と共に、だんだんと、肉体の衰えが精神や思考に及ぼす影響というものが「実感」や「想像」できるようになってきたし、それに伴うように、生きてゆく上で、何事かを「“からだ”で分かる」という、ある種、自己完結した不合理な感情を覚える機会も、増えているからだ。
  • そして、それらに(作品で)言語を与えなければ、という強い圧迫感が、ある。
  • なので、今回は(「私とハルマゲドン」の方は、テキストそのものが十分に面白かったが)課題図書そのものというより、参加者から出された感想、それぞれの対話に、得るところが多かった。
  • 「読書会」としてそれでいいのか、という話もあろうが、SBSは、全員が血管を破裂させそうな、しんどい顔をしながらハードに1ページ1ページ、一行一行を読解するやり方より、参加者の生産的なディスカスの触媒となるぐらいの、おおらか〜な「読み」をモットーとしているので、これでいいのである。