不可解さのバーネット・ニューマン



夏の終わりの佐倉「詣で」


いまや、世界にとって重大な日になってしまった「9月11日」の土曜、川村記念美術館まで、バーネット・ニューマンの「個展」を観に出かける。


展示の詳細は下記↓
http://blog.goo.ne.jp/harold1234/e/caf7259ef7eadc7a3e69073de65eb564



まだ会期は始まったばかりだったが、9月に入っても連日のように続く、記録的な、獰猛な夏の輝き、その断末魔の喘ぎを見ていたら、それが終わる前にニューマンを観に行きたくなった。千葉は佐倉という、忌憚なく言えばど田舎にある川村記念美術館まで、都内からはちょっとした日帰り旅行ほどの距離があったが、その要素も、「詣でる」という感じで、ニューマンを観るという体験には、ふさわしく思えた。
もともと土曜は大学時代の同級生と遊ぶことになっていたので、予定を変更して、遠出することにした。



昔から、「美術史」が語るところの、いわゆるNY派の中ではニューマンにいちばん興味を惹かれていた。
派を代表する他の作家、強いパッションと華やかさで圧倒するポロック、暗鬱さや重厚さで威圧するロスコ、スティールよりも、ニューマンはずっと不可解だった。
表面的には、分かりやすかった。グリーンバーグを筆頭に、かれを取り巻くフォーマリズムの言説や作家たちの挑戦が、(西欧)美術の前衛という試行錯誤のなかで、ある種、必然性をもった展開だということも理解できた。



しかしニューマンがニューマンになって以後の、あのきわめて異様な作品様式からぼくが受ける理解しがたさは、それを知ったあとでも消えなかった。
ポロックやロスコはそうではなかった。「分かった」と思えたし、把握できたし、腑に落ちた。
ニューマンからは「この絵は一体なんなのか」という感覚が消え去らなかった。
確かに、なにか段違いの緊張感を持った作品であるのは間違いない。だが、それを自分に納得できることばで、具象化できなかった。「すばらしい!」では片付けられなかった。
結局、「曰く言い表しがたい」という、ひどく間が抜けたことさえ言ってしまうのだった。



今回、久しぶりにニューマンの実物を見にいくからには、いままで漠然と体内に凝(こご)っていたそんな感情について、もう少し丁寧に考えられれば、と思っていた。
繰り返すが、既存の言説から言葉を借りてくれば、他のNY派の作家と同じように、ニューマンを「説明」し、「理解」するのはたやすいが、美学の学生でもあるまいし、今さら教科書的な御高説を再確認するように見ても、自分にとっては得るものなど無い。



それは、ぼくより一足さきに川村へと出かけていた友人のミカミさん(大阪に住み、今は古典ギリシャ語を学びつつ新約聖書の研究に没頭する異能の作曲家…のはず)から、ニューマンに関してとても刺激的な感想のメールをもらったことで、さらに強まった。
ミカミさんは暴力的なまでの、妥協なき知への欲求を持つ人だが、美術にはさほど関心もないようだし、専門的なクリシェなど用いず、きわめて平易な言葉しか使っていない。
だが、ミカミさんが言葉にしたニューマンの作品についての知見は、かれの作品の、とても重要なところに触れているように感じられた。

ミカミさんからのメール


ニューマンの展覧会についてどうだった、と東眞さんが言うので思ったことをしたためることにします。
川村記念美術館の展示は作品点数が少なかった。少ないなかで、いろいろ考えてまんべんなく展示されていましたが、もう少し他のものも見たかったです。
初期の作品は僕が知っているニューマンさんの作風とは全然ちがっていたので、どうして後期の作風に至ったのか、そこが気になる。
なぜか?いきなりそうなるわけですから。いきなりそうなる、ということは、何かを発見した、ということですからね。描き手が発見したということだから。そしてそれを発見したあとはずっとそのままだった。
ということは、その発見は彼にとってそれだけのものであった、ということなんですから。
そこはたぶん本人にもよくわからないのだと思いますが、本人はその飛躍について何かいろいろ言っています。でも、それだって本人がそのときのことを思い出す、という形で言うわけですからそれはもう肝心の飛躍そのものとは別のことになっているわけです。「私がある日描いていると……」という形で。


あの作風を彼が見つけたときは、どう思ったのでしょうね。
「これでいい」と思ったのかしら。
絵、そのものからはそういう印象が立ち上がりますでしょ。
何しろ全面的にいろが塗られたなかに線があるだけなんだから。
ジップ、とか何とかわかったふうなことを批評家が言ったとしたって、結局はそういうことなんだから。
それでいて、彼の作風は、とても描きかけだという感じがしない。
それはつまり「これ以外にはありえない」ということなんだから。
崇高な、とそう東眞さんはグリンバーグさんを引用してましたが、その感覚はそういうところから来るんじゃないですか。
彼のあの大きな絵の前に立ってみたときにその絵と対面することを絵がもとめる厳しさみたいなものがあるでしょ。そういうことなんじゃないですか。
一方でまるで突き放されてる感じがしないんだから。そういうことを難しい言葉でいえば崇高、とそういうふうになるんじゃないですか。


しかし絵の前に立ってみても、何を見ればいいのかよくわからないんですよ。
他の絵みたいに絵の要素をわけて認識することができないんだから。
マーク・ロスコの絵だって、まだそういうことができるでしょう。彼の絵は近くに寄ってみると、いろいろなことが絵から見つけられるわけですから。つまり具体的に作品から見つかるんだから。作品を見ることによって。
でも、ニューマンさんの絵はそういうものが全くないでしょ。
全体的な印象として、他では言い表せないある感じ、みたいなものを受けとったとしても、絵、それじたいはああいう作風なんだもの。これがとても大事なことなんじゃないですか。
画面に線が一つだけしかない、ふつうに考えたらそんな絵から崇高、とか、言い表せない感じ、とかは絶対に感じないはずです。
もし感じてしまったら、世界はたいへんなことになる。
にもかかわらず、ニューマンさんの絵は……
というところが彼の作品が芸術として屹立しているポイントなんでしょうね。
つまり僕がこういうことを書く、というのはとりもなおさずそういうことを感じたからです

あのかれの大きな絵の前に…


川村での展示は、ミカミさんのメールの冒頭にもある通り、作品数が極度に少なかった。
事前に出品作について等、何もリサーチしていかなかったから、唖然とした、そんな形容がぴったりくる。
ぼくらは驚きに顔を見合わせ、「エエーーーーッ」と、かなりアタマの悪そうな言が、二人して口をついた。
「えていうか最後のビデオなきゃやばかったよね。あたしてっきりあの十字架がどうのってのが先に展示されてると思ったんだけど」
Kちゃんはそう呟きながら、最後の部屋にしつらえられたモニタ画面の中で熱心に喋るニューマンを見て、呆れ半分に笑っていた。



展示構成自体は、多分にはったりを効かせた演出がひとまずは成功しているように見えたが、それにしても、ニューマンの画風遍歴を丁寧に追っているわけでもないし、リトグラフの連作「18の詩篇」(これ自体は一般に代表作の一つとされてはいるが)をのぞけばわずか十枚と少しの作品しかなく、その選択根拠も明確ではなく、故人を回顧する意味も含む展示としてはまったく不十分であり、消化不良、ボリューム不足だった。



とはいえ、冒頭に展示された「存在せよ 1」と、ニューマン作品の中でも最大のスケールと画面の密度を誇る「アンナの光」一枚で、ニューマンを体験すること、を考えるのは問題ないようにも思われた。



バーネット・ニューマン 《 アンナの光 》 1968年 展示写真撮影:渡邉修 © 2010 Barnett Newman Foundation / ARS, New York / SPDA, Tokyo





「アンナの光」は、川村祈念美術館が「ニューマン・ルーム」に常設している作品でもあり、通常は自然光が差し込む部屋に展示されているが、今回は完全な人工照明、ホワイトキューブの下でセッティングされていた。
ぼくはここに来るのが6年ぶりのことになるので(最後に訪れたのはロバート・ライマンの回顧展だ)、2008年のリニューアル時にオープンした常設の状態を見ていないが、眼前に広がる巨大な赤い矩形は、相変わらずニューマンだった。
あからさまな筆触のテクスチュアや、情感、感情を揺さぶるようなトーンの操作などもいっさい無く、淡々と塗り重ねられているだけにも見える朱色のフィールド。そこをまっすぐに貫く白い線(ジップ)。


以前と同じように、率直に言ってぼくはこの画面から、ミカミさんが表現するところのものを、感じ取る。

画面に線が一つだけしかない、ふつうに考えたらそんな絵から崇高、とか、言い表せない感じ、とかは絶対に感じないはずです。もし感じてしまったら、世界はたいへんなことになる。にもかかわらず、ニューマンさんの絵は……


そんなことが起きてしまったら「世界はたいへんなことになる」はずのものを、「何しろ全面的にいろが塗られたなかに線があるだけ」の絵画、「ジップ、とか何とかわかったふうなことを批評家が言ったとしたって、結局はそういうことなんだから」という状態の作品から、強く感じ取ってしまう。
ストレートな美の快感情に心が湧き立つ訳でも、強い負のトーン、暗鬱さに気圧されるのでもない。強迫的でも、これ見よがしでもない、確かな、揺るがしがたい厳粛さがあり、ニューマン自身の言葉とは裏腹にこちらの理解や共感を拒んでいるようでもあるのだが、けれど、ぼうっと見続けているうち、その厳かさの印象は「これ以外にはありえない」からなのか?という感情がわきあがってくる。

「これ以外にはありえない」ということ


ニューマンの絵は、とても誤差が大きい。


Web画像や画集で見るのと実物を見るのとでは、受ける感覚の質がまったく異なっている。かれの作品は巨大さへのアプローチも一つの核心だから(本人はサイズではなく、「スケール」が重要だとインタビューで述べているが)、わざわざ強調するまでもなく、そんなことは当たり前のことなのかもしれないけれど、でも、例えば同じように巨大な作品を志向した「仲間」たち、ポロック、ロスコ、スティール、フランケンサーラー、ルイス、ラインハート、フランシスたちは「誤差」がとても少ない。
いずれの作家も、作品によっては「思っていたよりは、、、でかいなあ/小さいなあ/鮮やかだなあ/鈍いなあ」という程度の感想を覚えはするが、作品から受ける印象や、質への評価を根底から覆すような差異を意識したことはない。場合によっては、厚みのある支持体の上に塗られた表面、という分離が気になりさえしてしまう。


ニューマンは、違う。


画像ではトリミングされた色面に不均一な線が引っ張られているだけの、いびつで奇妙な色面構成のような印象さえ受けるのだが、空間に在る実物が持つ強さは、際立っている。矩形の表面が浮き上がって分離したりせず、ひとつの意志を体現する物体として、妥協や選択の余地を感じさせずに、屹立している。その誤差は、ぼくを混乱させる。
あの画面になって以後のニューマンからは、迷いを感じることが全くない。何をすべきかを検討しているだけで、表すべき方法自体に懐疑を覚えているような気配は、全く感じない。「これでいい」という確信が、ヒステリックにでも声高にでも狂信的にでもなく、ただ、「これ以外にはありえない」ものとして現前している(それを「崇高」と断ずれば、なんだか一瞬で分かった気にはなるのだが、どうにも神秘主義めいているし、思考停止に陥る気がする)。



「これでいい」「これ以外にはありえない」というその確信が、結局、ニューマンの作品が持つ「曰く言い難い感じ」につながり、「彼のあの大きな絵の前に立ってみたときにその絵と対面することを絵がもとめる厳しさ」「一方でまるで突き放されてる感じがしない」というミカミさんの感想をひきだすのか。
「確信」について、ニューマンは聖書から多くの主題をとっていて、「あのジップは神の光だ」などというワケの分からない説明にはじまり、宗教が現代の美術についていかに重要か、アレコレと多弁に語っている*1
キリスト教への信仰を持たないぼくには、それがユダヤ系であるかれの芸術の実践にとってどういう意味を持つのか、想像はできても、深い共感は困難だ。
が、やっぱりそこなのか、とは思う。空間認知の刷新だの、絵画における視覚の身体性だの、表像記号やイリュージョンを排した純粋な「場(フィールド)」だの、結果に対してあれこれと凡庸なクリシェは費せるが、ニューマンを根っこから支えていたもの、あのジップを生み出し、画面に引かせた「確信」は、そこか、と…(マア、こんな理解も、所詮は「分かったふうなこと」にしか過ぎないが)

共有されない体験としてのニューマン


「アンナの光」の前に座ってKちゃんとダラダラ喋りながら、ぼくは上記のようなことを考えていたわけだが、同時に、このような心的体験は肥大しすぎた脳の特殊な記号操作であり、共有されない感覚でしかないだろう、というニューマンに限らない近現代美術の突進する袋小路についての感覚も、改めて強く感じていた。
何度もミカミさんを引用しているが、身も蓋もなく言ってしまえば「何しろ全面的にいろが塗られたなかに線があるだけ」のニューマン作品から、これまでぼくが書いてきたような感情を覚えること自体に、ある種の情報やコンテクストの共有が求められ(場合がきわめて多い)、それには何らの普遍性もない。
完全な門外漢であるぼくの両親などは、こんなふうに首をひねる。


「なんだこれは、ただ赤いだけじゃないか、何も描いてないし、わけが分からない」


仮に「崇高」などと言おうものなら、「気は確かか?」とくる。
現実の空間や記号の表像がいっさいないような絵はかれらにとって理解の手がかりが少なすぎるし、また、価値を認める意識の範疇にもないのだ。


このような体験の差異をシニカルに捉える画家の知人は、こんなふうに自嘲する。


アウラにせよ崇高にせよ、一定の高みに達した作品が帯びる霊気のような超絶的なものじゃあない。作品はトリガーにしか過ぎない。観者に引き金要素がなければ、見ても何も感じないし、ただのバカでかい粗大ごみだ。乱暴に言えば、そういう体験自体が、ある種の条件をクリアした脳が生み出す妄想なんだよ」


かれは安アパートに篭ってクリフォード・スティールそっくりの作品を作っていたが、部屋を埋め尽くすその苦心の痕跡は、ときおり訪れる妹に「なんか子供の塗り絵みたい」と鼻で笑われるということだった。
また別の知人は、「ゲージツ萌えってことだな、そりゃ、つまり。マイナーな宗教でしょう」と断じていた。



当然、と言っていいかは分からないが、知人の作品はスティールに遠く及ばない。しかし、妹にとってはどっちも「なんか子供の塗り絵みたい」という点で等価であるそうだ。
人によって、妹とかれのエピソードに対する評価は分かれるだろう。
ぼくは特にその妹を批判する気もない。
ただ、モダニズムの絵画が、人々に広く理解される可能性を狭めることを恐れず新たな知覚の探求を求めたという歴史はとても貴重なものだと思うから、既に可能性の限界を明らかにされてさえいる先達の衣鉢を「まんま」継ごうという無謀な姿勢の是非はともかくとして、かれの実践を一応は擁護したいと思う。



巨大な色面に線があるだけとか、それすら無くてただの色面であるとか、赤ん坊の落書きのようにぶつ切れの塗り絵みたいだとか、ペンキが飛び散った床と区別するのが困難だとか…
そんなものが「芸術」であり、美意識の表明たりうるのだという主張は、ある人からすれば殆ど狂人のたわ言に近いだろう。
ただ、同時にそれは間違いなく「発見」であり、新たな地平を切り開いた行為でもある。
それを絶対不変の、芸術における神託のようなものと捉えて他の可能性を抑圧し始める、とても頭の残念な美術批評家も日本にはいたが、それとこれとは、また別の話だ。



ニューマンを見終えたあと、常設のロスコ・ルームを観た。
照明がコントロールされた空間に「ふさわしく」配置されたロシア生まれのユダヤ人は、相変わらず沈深としており、考え深げで、ひどく人間的だった。なにも難しいことはなかった。「この部屋で毎日寝起きしたら頭おかしくなるかもなあ」ぼくはロスコに包囲されて、改めて感じ入るとともに、疲れを覚えていた。ニューマンは心臓発作で死んだが、ロスコは自殺した。
ロスコは、どこでも、いつでも、じっと眺めていると、その理由の一端が(乱暴にも)分かった気になる。ニューマンの画面は、自殺からもっとも遠い。

カビの生えた/生えていない ものとしてのニューマン(おまけ)


佐倉からの帰り道、Kちゃんと「こんなことでもなければニューマンについて今さら考えることもなかったし、展示としてはアレだけど、そういう意味では良かったのではないか」みたいな話しをした。
いま、ニューマンの遺した画業からぼくらが何かを得ることなど可能なのか、そして、そんな必要があるのかは一概にどうとも言えないが(当たり前だ)、久しぶりに触れた巨匠の作品は、ひとまず刺激的だったことは間違いない。
上記で名前を挙げた50〜60年代の作家たちも、この機会に見直してみたら、意外に、どれも新鮮に映った。昔勉強していたころより、ずっと、得るものがあった。
国内外に多数存在するかれらのフォロワーが作る作品は、大多数がちょっと悲惨なまでに退屈だし、それを念頭において、「21世紀にもなって、抽象表現主義なんてカビの生えたものはね…」と肩をすくめる人の認識も半分正しいとは思うが、捉え方次第では、まだまだ未来への射程を保持しているように思えるのだ。
「どうやって?」と問われても、残念ながら口ごもってしまうのだけれど。

*1:「現在の画家は、彼自身の感情や、彼自身の個性の神秘にかかわるのではなく、世界の神秘の洞察にかかわっている。彼の想像力は形而上的な秘密を探究することを試みつつある。そのかぎりで彼はサブライムにかかわる。象徴をとおして、その悲劇的な意味である生の根底的な真実を捉えるのは宗教芸術である」「あたらしい画家は、これらの形態が、抽象的で、深遠な理念に生命をあたえる核となるプラズミックな本質を含んでいなければならないと感じている」『神話なき世界の芸術家 バーネット・ニューマンの探求』著:多木浩二 発行:岩波書店 1994