ボクシング/日本ミドル級/タイトルマッチ
2月14日(月)
- 後楽園ホールでボクシングを観る。日本ミドル級タイトルマッチ10回戦。
- アルバイトをしているデパートに、配送の仕事で訪れる氏家福太郎さんが挑戦者として出場するため、応援に出かけた。かれの応援は、9月の挑戦者決定戦を観に行って以来、二度目になる。
- この日は三連休明けの週明け、加えてバレンタインデー、そしてさらに夜は激しい降雪が予想されるという、まあ、なかなか最悪なシチュエーションではあったのだが、前座でバンタム級国体二連覇のホープ、戸部洋平がプロデビューするということもあり、各選手応援団で会場の八割ほどは埋まっていただろうか。
- 戸部の応援には鴨川市長も来ていたらしいが、氏家さんが挑戦する王者・渕上誠の応援には北島三郎がかけつけていて、驚かされた。ご祝儀で名前が読み上げられたときは「いま北島三郎っていわなかった?」というぐらいの反応だったが、リングサイドで本人が紹介されると、ホールはしばしどよめきと歓声に包まれた。
- 氏家さんは熱戦の末、残念ながら8回後半レフェリーストップによるTKO負けで二度目のタイトル挑戦に失敗してしまった。30歳という年齢を考えると、このまま引退してもおかしくないのだけれど、再起するとのこと。ミドル級はボクサー数も少なく、また順番が巡ってくる可能性も高いので、頑張って欲しい。
ボクシングの輪郭
- ひさしぶりに後楽園ホールで興行を観るのは、ふだんネットで観たり漁っている世界各地のタイトルマッチとはまた違った味わいがあるものだ。
- 興行は全体で八試合ほど組まれていて、ぼくは東側二階席(青コーナーを正面から観れるので…)で最初から最後まで立っていた。前座の四回戦やキャリアの浅いノーランカーなど、選手は気を悪くするだろうが、ときに「まとも」な動きになっていないところが比較の問題として非常に面白いのだ。
- 例えばHBOの前座やESPN2、ShowBoxに出てくるような凡庸な世界ランカーと比べても、彼らが「自然に」やっているようなレベルの動きが、実はまったく「自然」ではないということ。
- ハンドスピード、反射速度、フットワーク、ガード、ポジショニング、それらを備えていることが担保となった、身体全体が放つプレッシャー…… 一つ一つの次元がまるで違う。
- そんなの当たり前だろう、という話かもしれないが、ハイベルな競技者の、ハイレベルたる所以みたいなものは、ときおり忘れがちになるものだ。
- ボクシングを含む近距離の対人コンタクト競技では、同じようなレベルの両者間で相対的に優れている方がその試合で可能だった動きが、レベルが違う相手にはまるで不可能になる。当たり前のようで、実に不思議なものだ。しかも、それが僅かの時間にあらわになると、余計にその感覚は増す。
- 何気なく見過ごしている要素を意識することで、ボクシングというものの輪郭が、はっきりとする。
「身内」で完結すること
- そして、マイナー競技にありがちなこととしての、きわめてアマチュア的というか、部活動の応援っぽい身内ノリが会場を覆っているのが、やはり面白い。
- おおざっぱに言えばだが、あまり注目されていない日本タイトルだと、来場者は身内か関係者にほぼ限定される。アンダーカードにもよるけれど、それでキャパの8割以上が埋まったりするので、場内はさまざまにドメスティックな声援で満たされ続けることになる。
データベース化/そして、情報の交通肥大・飛躍・拡大
- テクノロジーの進歩で情報伝達が圧倒的に容易になり、テレビの力でボクシングが興行として一時代を築いたのは間違いないが、景気の後退に加え、あまりにも趣味や娯楽が多様化して底が抜けている今は、タイソンのような世界的スケールの超人が登場する可能性は低い(メイウェザーやパッキャオ辺りなら、ギャラだけは凄いけど…)。
- もともと、サッカーのように誰もができる、楽しめる競技ではないし(なにしろ要は殴り合いなのだから)、今後はますます、物好きと身内で完結するような興行に収まっていかざるを得ないのかもしれない。
- ただ、ウェブを中心にした情報伝達のテクノロジーは前世紀と比べてもさらに飛躍的に発展し、従来は限られていた情報へアクセスすることが可能な人間の規模は拡大し続けているから、データベース化と情報の交通はさらに加速するだろう。つまり、マニアの楽しみは増していく。
- 以前、まるでボクシングに興味の無い知人に、こう言われた。
- 「ウクライナの配管工や商店主が、巨人のシーズン勝敗を全部知っていたり、長野が新人王を貰えるかどうか議論していたりしたら、異様なことだろう?良いか悪いかではなく、それは普通じゃないだろう?日本人のフリーターとかリーマンが、亡命キューバ人やアフリカ人ボクサーの動向や成績に並外れて詳しいのは、それに似たおかしさがある」
- 考えてみれば確かに異様なのだが、そういう「異様な」状態が、21世紀的な情報流通のリアリティだろうし、そこには新しい可能性がある、と思う。