「Kassim The Dream」




  • 2011年6月18日の土曜(現地時間では17日夜)、つまり昨日だが、パナマのアリーナ・ロベルト・デュランHORA CEROと銘打たれた大きなボクシングの興行が行われた。
  • ダブルメインで二つの世界タイトルマッチが組まれ、まず一つはパナマ出身のWBAバンタム級王者、アンセルモ・モレノの九度目となる防衛戦、そしてもう一つは元IBFスーパーウェルター級王者のカシム・オウマが、カザフスタンゲナディ・ゴロフキンが持つベルトに挑戦するWBCミドル級戦。
  • プロモーターの意図からは外れるが、この興行におけるぼくの最大の興味は、王座返り咲きを狙ったカシム・オウマのタイトル再挑戦にあったのだけれど、しかし結果はゴロフキンのラフな連打を捌ききれず、10回TKOで破れてしまった。

カシム "The Dream" オウマ

  • 2年ほど前まで、カシム・オウマという、米国で活動するウガンダ出身のボクサーを知っている日本人は、WOWOWESPNで試合を見ている程度には海外ボクシング好きである、つまりは僅かな数のマニアに限られていた。
  • 米国内でも、一時的に花形階級でベルトを保持していたとはいえ、平均的なボクシング・ファンでようやく「ああ、なんか手数が多いアフリカ人だよね?確か生い立ちが凄かったような…」と答えられるぐらいの知名度しかなかったはずだ。
  • しかし、2009年に公開された一本の映画によって、このアフリカンの名前は、そのときよりは遙かに多くの人々に知られるようになった。
  • その映画が、冒頭でリンクした「カシム・ザ・ドリーム」だ。制作にアカデミー男優であるフォレスト・ウィテカーが加わり、米国以外でも日本を含む数カ国で上映され、高い評価を得ている。
  • 日本では町山智浩による『松嶋×町山 未公開映画を観るTV』で紹介され、昨年末にそこから数本をチョイスして上映した「未公開映画祭」でも評判になったという。


  • 現在、アフリカで一番ボクシングが盛んなのは南アフリカとガーナだが、オウマ以外にウガンダ出身のプロボクサーがいないわけではない。
  • 最近だと、2006年にモスクワでWBCヘビー級タイトルに挑戦したオケロ・ピーターは日本の緑ジムに所属していたし(結果は目を覆う惨敗だったわけだが)、今やパッキャオ戦から逃げまくるヒールのおっさんと化してしまったフロイド・メイウェザーが、まだSフェザー級に君臨していた青年だったころに一蹴したジャスティン・ジューコも、一時期は有望株だった。古いファンなら、79年に秋田までやってきて工藤政志からタイトルを奪い、ウガンダ初の世界王者になったSウェルター級のテクニシャン、アユブ・カルレや、マービン・ハグラー戦が印象的なミドル級のジョン・ムガビを知らない人はいないだろう。

少年兵から世界タイトルへ

  • オウマが同国人である上記何れのボクサーとも違うのは、その過酷な経歴だ。
  • かれは1980年代前半に勃発したウガンダの内戦において、現大統領であるヨウェニ・ムセベニが率いた反政府軍「NRA/国民抵抗軍(National Resistance Army)」に生家のある村から誘拐され、わずか六歳で少年兵として戦場に放り込まれた。NRAは慢性的に不足する兵力を埋めるため、積極的に支配下地域の村からオウマのような子どもたちを「調達」し、ゲリラとして「教育」していた。
  • 泥沼の報復合戦を経た後、NRAは1986年に政権奪取に成功、現在までムセベニの統治は続いている。同胞への苛烈な破壊と殺戮に加わることを強制されたゲリラの少年たちは、大半がそのまま正規軍へと編入された。
  • オウマは軍隊内でアマチュア・ボクシングの教育を受け(一説によると、NRAでは拷問のスキルを上げることも兼ねて少年たちにボクシング教えたようだ)、チームでも屈指の実力者に成長する。ウガンダの財政事情でキャンセルが発生しなければ、アトランタ五輪にも出場が可能だった。そしてかれは98年、軍隊ボクシングの世界選手権でアメリカに遠征したチームから脱走し、そのまま同地でプロになる道を選ぶ。経済的に成功して、祖国の家族を援助するためだったという。
  • だからオウマは"The Dream"と呼ばれ、チームは入場の前にこう叫ぶのだ。
  • “ What time is it? ” “ It’s Dreamtime !!! ”
  • 映画は、2004年にオウマが大差判定でバーノ・フィリップスを降し、初挑戦にしてIBFタイトルを奪った試合の回想から幕を開ける。


  • オウマのモノローグや関係者へのインタビュー、王座を得た後のキャリア展開を挟みつつ、本来なら軍事裁判で死刑に値する脱走罪を、アメリカというパワーを使った超法規的措置によって回避し、ウガンダへの一時帰国を成功させる様子が描かれてゆく。


「拷問は楽しかったよ。まだ餓鬼だったしね。なにも分かってなかった」
「(マリファナ煙草について)七歳からずっと吸ってる。戦場の恐怖に耐えるためにね」

  • 淡々と語るオウマの、なまった、舌足らずな英語の声色からは表向き殺戮に荷担した恐怖や後悔の痕跡は感じられないが、それがむしろ、そのときかれの中で壊れた、棄損されたものを示し、環境要因によって「違うモード」になった人間にとっては拷問も容易に快楽となり得るという、ヒトの根本的な、手に負えない残忍さを示すのかもしれない。
  • かれにとっての恐怖は、逃げてきた土地へと帰ったとき、逃げてきた組織から受ける懲罰への想像の方に強く喚起され、また後悔と懺悔は、脱走によって報復として虐殺された父の墓を実際に目にすることで、より強くその身体を苛むのだ。
  • 無事ウガンダに一時帰国した際のオウマの取り乱し方からは、そんな印象を強く受ける。

ゴロフキン戦への経緯

  • 劇中、オウマはIBFタイトル二度目の防衛戦で調整不足もたたって完敗し、大差判定で王座から転落。再起戦をいくつかこなした後にミドル級へと階級を上げ、今度はジャーメイン・テイラーが持っていたWBCWBO統一ミドル級のベルトへと挑戦するが、体格とパワーの差に跳ね返され、ここでも判定で敗れる。
  • ぼくはオウマの試合を、カルマジン戦からテイラー戦までは全てリアルタイムで観ていたから、とても懐かしかった。
  • この選手の特質は、身体の柔らかさを生かしたボディワークで低い姿勢から積極的にインサイドに飛び込み、多彩なアングルで次々にコンビネーションを打ち込むところにある。ハンドスピードや一発のパワーに飛び抜けたものがあるわけではないが、サウスポーである利点も活かしたショートブローのしなやかさ、ゼロ距離での接近戦で相手をいなすセンスは独特のものがあった。
  • しかし、攻めにやや単調さがあり、決め手に欠けたため、いったん守勢に回ると展開を変えるすべを持たない脆さを持っていた。その柔軟性からダメージを逃がすのは上手いが、調整次第ではスタミナにも弱点を見せてしまう。つまり、階級を上げることによって一気に戦力がダウンするタイプの選手だった。
  • 映画の中でもフィーチャーされていた2006年12月のテイラー戦はそれが嫌というほど明白であり、サイズ違いが甚だしかった。長いジャブをかいくぐぐってなんとか懐に侵入するものの、コンビネーションを打つ前に、すぐ追い出されてしまう。結局、リーチを活かしてパワーショットを打ちつつ、アウトボックスに徹するテイラーを捉えきれないまま終わった。
  • その後も階級を戻したもののオウマは調子が上がらず、格下相手に連敗を喫するなど、一線の選手としては完全に終わったかに見えたものだった。
  • だが、昨年1月の前々戦で、若手ホープのバネス・マルティロシャンを相手にダウンを奪う熱戦を見せたことで、評価は再び変わることになった。強打のマルティロンシャンに破れはしたものの判定は微妙で、オウマの勝ちを支持する声も多くあった。それが、次戦で再び階級を上げてのWBAミドル級地域タイトル、そして今日のゴロフキンへの挑戦につながったのだ。


予想と、結末

  • オウマが昨日敗れたゲネディ・ゴロフキンはアテネ五輪でミドル級の銀メダリストという経歴を持つアマエリートだが、プロでの試合ぶりはとてもそれを感じさせないほど荒っぽかった。半ば無理やり気味に頭から相手に突っこんでは右ストレートから左ボディの連打を振り回すバランスの悪いスタイルで、非常に高いKO率が示す通りのパワーと突進力はあるが、隙も大きい。今回が二度目の防衛戦になるが、3RKOした初防衛戦もたびたび相手のカウンターを食っては動きが止まるなど、内容はそれほど良くなかった。 

 

  • 試合前のぼくの予想は以下のようなものだった。
  • まず前提として、もはや肉体的なピークを過ぎ、ミドル級がウェイト的にベストとも言い難いオウマが不利なのは間違いない。しかし、これまでゴロフキンは早いラウンドで格下を倒してきた為、長いラウンドの経験が無い。強打をいなしつつ、接近戦でショートのカウンターを細かく当てて後半まで粘れれば、一気に失速する可能性もあり、そうなればオウマにも十分チャンスがあるだろう。やたらに右や左をフルスイングして突進してくるゴロフキンのブローはパワフルだがモーションが大きく、連打のつなぎもややぎこちない。くっついた状態からの体捌きが巧く、軽打のコンビネーションがスムースに出るオウマはその隙間を突ける可能性が高い、と。
  • 実際、試合は半ばまで予想した通りの展開を見せた。ほとんど頭をこすりつけるように体ごとくっついてくるゴロフキンのパワーショットをガードやボディワークで巧みに殺し、オウマは隙間隙間で的確なパンチを返していた。ラウンドの多くの時間、ロープまで押し込まれはするものの、(軽いとはいえ)クリーンヒットの数は明白にオウマが上回るラウンドも多かった。後半に入るまで、ぼくの採点ではオウマがややポイントをリードしていた。
  • ただ、やはりゴロフキンとのパワー差は大きかった。それが最後には響いてしまった。次々にショートのパンチを当てはするものの、思った以上に効かせられず、ゴロフキンに失速が見られない。逆にラウンドが進むごとに少しづつ疲労とダメージを増していったのはオウマの方だった。
  • TKOされた10回は、中盤から少しづつ被弾するようになっていた左アッパーをもろに食ったことが致命傷になった。その一発で足に来て、背中を見せながらロープまで後退したオウマを、ゴロフキンは一気に追い込む。オウマもかなり効いた状態からよく反撃し、仕切りなおしていたのだが、最後は再び強打をもらってコーナー際まで後退し、手が出ないまま避けるだけの瞬間が数秒続いたところで、レフェリーが試合を止めた。オウマにとって、約12年ぶりのKO負けだった。


“ Dreamtime ”はまだ終わらない…

  • 今回の試合では、残念ながら"The Dream"の返り咲きは叶わなかった。
  • 敗れたとはいえ熱戦だったことは間違いがなく、調整さえ上手く行けばまだ十分に戦える可能性を示したが、同時に、体のダメージを考えれば引退も視野に入る状態とも言える。けれど、ウガンダに残した家族やアメリカに呼び寄せた愛息の為に、オウマはまだまだ戦い続けるのだろう。降りることはできないのだろう。
  • 「(過去は消せないが)いまは必死に働いてるよ」
  • ときにマリファナでフラッシュバックを抑えながら劇中でそう語る姿を観てしまった以上、ぼくも、"夢"の行く末を最後まで見届けたいと思っている。

雑感:【キューバ・アンダーグラウンド】

  • 怒涛のように日々が過ぎてしまい(これいつも言ってる気がするが…)、五月が終わってしまった。
  • 前回のエントリであまりにも急に告知した【キューバ・アンダーグラウンド】は、今さらではありますが、おかげさまで無事に終了しました。
  • 思ったより(失礼!)来て下さった方の数が多く、そして当然、このようなイベントに集まる面々の多くはディープにキューバ文化へと関わった経験を持っていて、トークをした樋口さんとの質疑において、キューバと日本、二国間の文化的事象にまつわる非常に濃密な意見交換が成されていました。時間や字幕の関係もあって、各映像作品ごとに通しで観ることができなかったのは残念だったけれど、ある意味、こうしたやりとりを聞けたことが、ぼくにとっては一番収穫だったかもしれない。
  • 樋口さんは「個々の作品についての、皆さんの感想を、アーティストにフィードバックしたい」と仰っていたが、全編を鑑賞できたものがほとんどなく、個別に詳細な感想を語るのは難しいと、少なくともぼくにはそう感じられた。
  • だからこの場では、当日に作品が紹介されたキューバのアーティストたち全体から受けた印象と、いくつかの作品について、可能な限りの雑感を書くだけに留めておく。

「自由」が無い国の「自由」

  • ある強固なイデオロギーと、固定された指導者のリーダーシップに基づいて国の運営指針が決まり、国民に他の選択権を認めないキューバは、現在の地球上でもっとも政治的な国のひとつだ。さまざまな内実の差異を問わなければ(いや勿論、そこは非常に重要な箇所なのだけれど)、朝鮮民主主義人民共和国と同じシステムで動いている国だと言ってもいい。賞賛すべきものは決まっており、批判すべきものも決まっている。公式な言葉と思考の選択可能性は、極めて限定的だ。
  • そのような場所に留まりながら、ひとつの娯楽とは異なる「芸術」というものを志すとき、作家たちが国是となるイデオロギーを始めとした、自分たちを縛る「政治的なるもの」から自由を保つことは不可能といえる。
  • 未だ懐かしの「社会主義リアリズム(それらのパロディでさえ遠い過去だ!)」的なるものが機能しているキューバでは、そのような国家から推奨される「芸術家」としての雛形を目指すにせよ、認められた範囲の中で批評精神を発揮するにせよ、選択そのものが政治的態度表明となるからだ。
  • 表現の自由という言葉が持つ意味も、価値も、それが保証された(程度こそ違えど資本主義と民主主義の国家にもそうした側面はあるわけだが、さすがに同列に語ることはできない)国々とはまったく異なる重みを持っている。
  • タニアのワークショップでは、内容に関して政府側からほぼ干渉を受けることなく大幅な自由が認められていた、キューバにおいてはまさに奇跡的な場所だったとのこと。
  • 国家のイデオロギー戦略にただ従う一兵卒たることを拒否し、自分たちの国の現状に対して複眼的な視点や批評精神を持つ若手の作家たちは、「アルテ・コンドゥクタ」に関わる、関わらないを問わず、その存在に少なからぬ影響を受けたのだという。
  • 以下、それらの内から三つほど作品を選び、感じたことをいくつか記してみる。
  • まず、国営テレビ放送の形式を精密にシミュレートして【架空の報道番組】を創り上げたヘスス・エルナンデス「sobre un vacio periodisco(報道活動の不在に関して)」
  • 次に、革命の目指した文化的な理想の一形態を演劇として【現実化】してみせることで、それとはかけ離れた「現状」をシニカルな笑いを伴って浮かび上がらせるアルトゥーロ・インファンテ「Utopia/ユートピア
  • 最後にFANCA(ハバナ芸大オーディオ・ビジュアル科)の卒業制作としてつくられたアリーナ・ロドリゲスの正統的社会派ドキュメント「Buscandote la Habana/ハバナ、あなたを探して」

「sobre un vacio periodisco(報道活動の不在に関して)」

  • 2007年初頭にハバナの文化人や学生たちのあいだで勃発した【灰の五年間】を巡るシリアスな論争*1を題材化し、上述したように国営放送のフォーマットをコピーして、「実際には報道など無かった事件」に関する「架空の報道番組」を創り上げたものなのだが、番組進行やロゴに始まり、関係者へのインタビューや(信じがたいことに)アナウンサーまで実際の担当者を起用するなど、コピーの精度も含めて内容は非常に質の高いものだったという。そして一部、「事実と異なる出来事」のインタビュー等が挿入されていたりするなど、「事実」「真実」を脱臼させる仕掛けによって、作品にさらなる批評性を持たせようともしているのだという。
  • 何しろ全部観ているわけではないので内容に関して踏み込んだことは述べられないが、題材となった「論争」は、共産党政権が過去に選択した文化政策の正当性を疑問視することにも繋がるデリケートなもので、そうした騒動をはじめ、都合の悪い出来事はすべて報道をシャットアウトする国家の「情報統制」を問う批評精神は価値あるものだろう(ただ、この極めて微妙な作品が存在を許されたという事実から、現在のキューバにおける「統制」が、北朝鮮や中国、アラブの独裁国家とはやや異なっている証左だと指摘することはできるかもしれない)。
  • 【灰の五年間】で起きた弾圧の中でもっとも有名なのはエベルト・パディージャの「告白」事件*2だと思われるが、ぼくがその著作を敬愛するレイナルド・アレナスも、作品内容の反革命性、国外での出版を行うなどの反革命的活動、さらには同性愛者であったがゆえに政府から迫害され、あげく逮捕・投獄・思想的転向を強制されている。
  • 2007年の論争は、その【灰の五年間】で文化人弾圧の中心を担ったルイス・パボン・タマヨやアルマンド・ケサーダが久しぶりに公のテレビ放送に出現して発言を行ったことに端を発するようだが、「架空の」報道番組中でもパボンはインタビューに応えていた。
  • アレナスは回想録の中でパボンやケサーダについて以下のように描出している。


「中尉はフィデル・カストロの異端審問官組織の中で最も忌まわしい人間の一人で、ぼくたち作家をみんな迫害し、キューバ劇場を破壊した正真正銘の同性愛嫌いだった」


「もちろんぼくも、70年代にサトウキビ農場に行くことになった。黒幕的なルイス・パボン中尉をはじめ、既にUNEACを操っていた国家公安局の役人たちはぼくをピナル・デル・リオのマヌエル・サンギリー製糖工場へサトウキビ刈りに送り、その大旅行や<一千万トンの砂糖生産>を讃える本を書かせようとした」


「エクトル・ケサーダやパボン中尉といった国家公安局のスパイは今度は魔女狩りをすることになった」*3

  • 「これが実際のパボンかァ…」
  • 映像を観ながら、そんな風に思った。
  • 事実の回想というより、なにか奇妙な幻想物語であるかのようなアレナスの告白録でしか知らなかった人物が実際に喋り、動いているさまを眺めるのは不思議な気分だった。
  • 当たり前だがもうパボンは老いて弱々しく、かつて【パボン中尉】でありフィデル・カストロの異端審問官組織の中で最も忌まわしい人間の一人】と評されたような厳しい雰囲気は欠片もなかったから、そのギャップがよけいに違和感を増幅させた。
  • 【灰の五年間】に関しては、独裁政権による愚かな文化弾圧というものはいかなる場合でも同じ(ただしその範囲においてコミュニズムがより幅広く、かつ美的に狭量であるとは言えるだろう)、という類のものだが、それらが「問われる必要のある過去だ」とするスタンスをキューバ表現者たちが強めているというのは、ごく単純に素晴らしいことである。
  • 作者のヘスス・エルナンデス「アルテ・コンドゥクタ」の受講生であり、かれの作品だけを見ても、その「場」が保持していた自由がいかに高かったかが伺える。

「Utopia/ユートピア

  • 下町で昼日中から仕事もせず酔っ払ってドミノ遊びに興じる男たち、素朴な女子学生、マニキュア塗りの内職をする主婦とその女性客たちなどが、ラテンアメリカバロック文化、オペラ、ボルヘスの詩など、「階層にそぐわない」高尚な話題に興じ、興奮して暴力沙汰にまで及ぶ様子をとらえたショート・ムービー。
  • 革命後のキューバは、公式には階級や貧富の差を否定し、教育の平等を謳っている。革命教育の文化的な理想がもし現実化されたなら、誰もが「高尚とされる話題」を口にし、当たり前のように意見を交すだろう。服装、口調や態度、生活様式は関係がないはずだ。それを現前させてみよう……
  • さて、指摘するまでもなくこれは皮肉の映である。展開される光景の異様さ、登場する人々が実際に話す内容からの落差は甚だしいものであり、樋口さんによればキューバ人なら誰でも爆笑する」ということだ。
  • 日本に置き換えてみたら??
  • 郊外のコンビニ前でたむろするDQNなヤンキーたちが「奈良とか平安の日本の建築文化?とか?仏像彫刻とか、中国のおまけみてーなもんだから、単に」「マジでフーコーのフランス語ってマジ半端なく読みやすい」という議論をしていたり、マックでマニキュア塗ったりビューラー使いながら「あ〜ダルい」とか言っているようなギャルが「小澤征爾の指揮って所詮ハッタリじゃね?」「吉原すみれにサントリー音楽賞出したのってマジないわ〜」という話題を展開しているようなものである。
  • 社会にさまざまま意味で「階層」が存在し、美的趣味、行動様式が異なるという事実を示す手法が、ただの冗談に留まらず、シニカルな批評性や政治性を帯びるのも、キューバにおいて革命の「平等」という大きな理想・建前が少なくとも公的には掲げられ続け、現実がそれと乖離しているからに他ならない。
  • 作品としては単純な仕掛けだが、「出演」しているバリオ(下町)の住民たちの熱演もあって、なかなか見ごたえがある。うねり、途切れずに続く、スペイン語である以上に「キューバ語」としか形容できない会話のテンポも心地良い。

「Buscandote la Habana/ハバナ、あなたを探して」

  • この作品だけは唯一、20分ほどがYoutube上にアップロードされていた。





  • キューバという国は、日本や韓国がそうであるように、いやそれ以上に政治、経済など全ての機能が首都ハバナに一極集中している。
  • 先進国と比べれば比較にならない規模だとはいえ、ひとまずハバナは大都市であり、観光産業の要として経済活動も活発だが、他方、それ以外のほとんどの地域は完全に停滞しきった農村部が広がるだけになっている。
  • 地方の疲弊という問題は、大なり小なり世界の多くの国が抱えているが、キューバが特徴的なのは、旧ソ連と同じように、国民は住民として登録された行政区域から移動する自由が制限されている(許認可制で、何らかの理由が必要)こと。
  • そのため、不満を抱えた地方の国民の一部は「違法に」ハバナまでやってきて都市に入り込み、「勝手に」廃材等で郊外に簡易住居を作り、一種のスラムを形成しているのだという。政府もそれをある程度は黙認し続けているようで、現状の施策が不十分であることを自覚した上で、締め付けの程度を調整することによって国民の不満をコントロールしたいという思惑が感じ取れる。
  • 監督のアリーナ・ロドリゲスは、ごくオーソドックスな手法でそれら抑圧された人々を取材し、けれん味のない良質なドキュメントを撮り上げた。海外での評判も非常に高いという。
  • ここで内容と共に作品の評価について外せないことは、同国においてこのテーマでの撮影が成功し、作品が完成したということそのものだ。
  • 繰り返しになるが、キューバではいまも言論の自由が大幅に制限されており、特に社会矛盾の追求や政府批判は容易に逮捕・投獄の対象となる可能性を孕んでいる(さすがに先に触れた【灰の五年間】ほどの極端さは見られないが)。違法行為で郊外にスラムを形成する動きを政府が許容しているということや、その前提となる「格差」の存在をクローズアップする作品は、十分に「危険」だ。
  • 実際、ロドリゲスも幾度か警察による機材没収や取材妨害に直面したようだが、何らかのネゴシエーションによって決定的な危機は回避したという。
  • こうした特殊な交渉技能の獲得も、形式主義と、矛盾をきたしたシステムを強引に運用することに執着した共産圏で作家が作家として生き延びる為の必須事項である。

"偉大な夢"を超えて

  • この4月、13年半ぶりに開かれた共産党大会においてフィデル・カストロが完全に政界から引退し、弟のラウル・カストロが第一書記に就任した。
  • リーマン・ショック以後、ベネズエラや中国の援助を得てもなお危機を増し続ける経済情勢を背景に、配給制度の段階的停止の加速、市場経済を一部産業へ導入する試みなどが決定されたと言われている。
  • さまざま角度から見て、「革命の理想」「現実」の甚だしい乖離を引き起こしている現革命政権の施策が金属疲労を起こしていることは明らかであり、そう遠くない将来に大きな転換を図らざるを得なくなるだろう。
  • 無責任な外国人の眼からすると、フィデル・カストロという大きすぎる伝説の「枷」がその死によって失われることが、いまのキューバにとっては一番必要なことではないかと思う。そして、以後、その亡霊…影に囚われるべきではない、と。
  • ハバナ大学でキューバ映画史を教えるマリオ・ピエドラはフェルナンド・ペレスが監督した「永遠のハバナ」のパンフレットに寄せたテキストで、ハバナをこう形容した。
  • 【今や貧困と老朽化に支配されている美しい都市は ”終わらない偉大な夢の酸” に浸食されている】
  • この"終わらない偉大な夢の酸"という言葉をぼくはとても好きで、自分のテキストに引用したりしているのだけれど、かつて偉大であった"夢=革命"がいまや都市を浸食する停滞という名の"酸"なのだという、この感傷的で生々しい認識は、そのままカストロの姿とも重なるような気がする。
  • 偉大すぎる指導者…かれはその偉大さそのものによって、いつの間にか国を蝕む存在になってしまった。
  • でも、それを自分で認めることはできないだろう。
  • こうしたデリケートな状況は、内にいるにせよ外に出たせによ、かつての「亡命」をキーとした運動とは異なったかたちで、あの島に関わって作品をつくる作家たちにとって大きなモチベーションになるのではないだろうか。
  • 「もう毛色の変わっただけのポリティカルな紋切り型カルスタ・アートはウンザリ!」という批判もありそうだが、キューバマルキシズムが解体され、外部との本格的な混交というカオスによって(いずれ)生まれるであろう作品に、ぼくはとても興味がある。

*1:いくつかのテレビ番組をきっかけにし、70年代の文化人弾圧事件(【灰の五年間】)の是非に関して、国家著作者協会(UNEAC)まで巻き込んだ様々な議論が巻き起こった。

*2:http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1312960538

*3:以上すべて、レイナルド・アレナス夜になるまえに国書刊行会 2001より

告知:【公開特別講義 キューバ・アンダーグラウンド】

  • どんだけ急だよ!って話ですが… 明日の午後、ぼくもささやかながら実現への協力をさせて頂いたトーク・イベントが渋谷の映画美学校にて行われます。


【公開特別講義 キューバ・アンダーグラウンド 21世紀 キューバ文化の私的観測】


  • その作家たちから作品を受け取って、遥か遠いここ日本でそのレクチャーをする樋口仁志さんは、ぼくがハバナに滞在していたとき、色々とお世話になった方。
  • 約9年間、ずっとキューバに住んでいたという驚愕の経歴を持つ(分かる人にはその凄さが分かるでしょう)、非常にユニークなキャラクタの方で、氏独特のキューバラテンアメリカ社会への、そしてそこから解剖的に観察される日本社会への批評的視点を持ってらっしゃいます。
  • 昨日リハを見学して来ましたが、まだ殆んどが(特にアジア圏で)世界に流通していない作品群は、実験性というより政治的批評性や物語性が強く、そして映にせよ音にせよ、どこまでも、あくまでもキューバであり、個人的にたいへん心地良いものでした。
  • 加えて、やはり樋口さんの独特の話術からなる解説が実に面白い。日本にいるときより、ハバナでふらふらしていたときの方が自然に見える人がキューバ人の作品について語る姿は、他ではあまり観ることができません。
  • 以後ほとんど無いであろうかなりマレな企画なので、お時間のある方は是非!

100,000年後のあなたに

  • 十万年、という時間について考えてみよう。
  • 十年ではない。じゅうまんねん、だ。
  • Hundred thousand years=100,000年。
  • ウィキペディア【地球史年表】によれば、約10万年前に、アフリカ大陸からホモ・サピエンスが、つまり「我々」が世界へと移動を開始したのだという*1
  • 十万年前の「我々」が、十万年後の「いま」を想像した可能性はゼロだが、「いま」生きている「我々」には、これから十万年後の世界を思い描き、「いま」の社会からの連続性や影響を想像し、考慮することが、可能だろうか?
  • いや、無論のこと、知恵の木の実という禁断の果実をムシャムシャしてしまった「いま」「我々」にとって、想像すること自体は容易な行為だが、十万年という数字の前に、それは何か実際的な意味があるだろうか?千年はもちろん、数十年から百年先のことでさえ、多くの人々のあいだで見解の一致を見る事柄など殆どないのに…





原発推進】のフィンランド

  • オンカロは、フィンランド国内の原子力発電所から排出される高レベルの放射性廃棄物(日本における定義はやや異なるが、一般には使用済み核燃料)に関わる計画だ。
  • 使用済み核燃料を再処理せず、一時貯蔵を経た後に「十万年」にわたって「地層処分」するため、調査によって地盤の安定性が認められた古層に数百メートルを超える巨大なトンネルを掘削し、「核のゴミ捨て場」として利用するという途方も無いものである。
  • 地層処分という構想自体は以前から各国に存在しているが(再処理した後か否か、という違いはあるが、日本でも数十年前から言及され、現在、NUMO=原子力発電環境整備機構によって候補地選定も始まっている)、実際に関連施設の建設がはじまったのはフィンランドだけのようだ。




  • 「ゴミ捨て場」に選ばれたのは、南西部沿岸にあるユーラヨキ自治州、オルキルオト。同地はフィンランドが二箇所で維持している原子力発電所の所在地でもある(もう一箇所は南部沿岸にあるロビーサで、二基の加圧水型炉が稼働している)。
  • オルキルオトにある発電所では79年と82年に運転を開始した沸騰水型の二基が運転中であり、2013年7月に稼働を予定する一基が現在も建設中だ。
  • そして今後数十年のうちに、西部のピョハヨキに新たな発電所を建設し、オルキルオトとロビーサにのべ四基以上の増設を行うという。*2 *3 *4


フィンランド政府や企業は、今後は特に電力需要が増大することを予測し、原発の増設は不可欠と考えています。製造事業者も電力会社も、原子力の重要性がこれから何世紀にもわたり高まっていくことを十分理解しています。
国際エネルギー機関(IEA)によると、フィンランドはIEA加盟国の中で最もエネルギー経済が多様化した国であり、フィンランドは、この高度に多様化したエネルギー経済を今後も維持していきたいと考えています。
なぜなら、エネルギーの安定供給や適正価格の維持は、ロシアから天然ガスや電力の輸入を増やすことではなく、国内発電量を増やすことで保障されるからです

【エネルギー自給・安全保障】としての原子力発電

  • 「エネルギーの安定供給や適正価格の維持は、ロシアから天然ガスや電力の輸入を増やすことではなく、国内発電量を増やすことで保障される」
  • 以上の大使発言から、フィンランド原発をエネルギー・オプションとして推進する理由の一つとして、隣接する暴君、ロシアの存在が非常に大きいことが分かる。
  • 両国は長年に渡って相互にエネルギーの輸出入を行ってきたとはいえ、旧ソ連時代には国土へ侵攻されており、フィンランド側の不信感は根強い。そして近年も毎冬のように勃発しているロシア・ウクライナガス紛争などのトラブルを考慮すれば、伸び続けるエネルギー需要をロシアとの取引でまかなう事は好ましくない、はっきり言えば危険であるとの懸念が年々増したことによって、「エネルギー自給には原発の増設が必要」という国民的な合意が形成されたというわけだ。
  • そのために、フィンランドはまず1996年、原発を導入して以来続けていた高レベル放射性廃棄物のロシアへの再処理依頼を取りやめ、自国内で処分するよう法改正を行った。
  • これは核燃料サイクルの放棄を意味しており、同時に「放射性廃棄物の処理を国内で完結させるためのゴミ捨て場作り」としてオンカロが具体的に動きはじめた。
  • 2001年5月にはオルキルオトが処分場として議会で承認され、「核のゴミ」を捨てる目処がついたことで、政府は原発の新規増設に踏み切ったのだという。

100,000年のゴミ捨て場「オンカロ


「再処理は危険だ。その過程でプルトニウムが流出するかもしれない」
「地上の世界は不安定なのです。災害、戦争、テロリズム…。様々なリスクがあります」
「密閉して海洋や宇宙に投棄することも考えたが、前者では汚染が懸念され、後者は打ち上げに失敗し、爆発するリスクがある」
「地中深く埋めるというのが、我々の結論なのです」
「そして、一度地下に埋蔵したら、掘り起こしてはならない」
「埋めた場所には誰も近づいてはならないし、近づけてもいけない」
「十万年間、それは守られなければいけない」

  • プロジェクトの担当者や政府監査機関の人々は、監督のインタビューに、こう答える。
  • ロシアへの再処理依頼を止めた後、高レベル放射性廃棄物の環境および人体への危険を限りなく遠ざける為にさまざまな方策が検討されたが、最終的には地中奥深くに埋設することが「もっとも安全」であると判断されたのだ。
  • オンカロプロジェクトは2012年から最終的な施設建築の認可申請をし、完成した処分場は2020年からの稼働を予定しているという。2100年には規定の容量に達する見込みで、その後、入り口は厳重に封印され、およそ「100,000年」の間、管理区域として接近が禁止される。
  • この、人類の文化的な歴史を遥かに超える途方もない封印年月の基準は、使用済み燃料に含まれる長寿命核種であるアメリシウムキュリウム等の半減期が数万年であることに由来している。
  • そしていま、専門家たちの間では、封印後の「100,000年間」を巡って、新たな懸念が持ち上がっているという。
  • それは、封印中、いかにしてオンカロ「禁忌」の場所として人類から、「我々」から遠ざけておくのか、ということである。


「我々が懸念しているのは、十万年の間にオンカロが掘り返され、未来の人々が廃棄物に接触してしまうことだ。なぜなら、ある予測では、数万年以内に氷河期が来て、我々の歴史が消滅してしまう恐れがあるのだ」


「その後に現れるかもしれない次なる人類に対して、埋められている物の危険性を示せるだろうか?かれらがどの程度の文明を持っているか分からない。問題なのは、掘削の技術だけ持っていて、なにが埋められているのかは理解できない、という場合だ」


「非現実的だと思うだろうか?地下五百メートルに到達できるのであれば、当然、核廃棄物についても理解しているだろうと。そうとは言えない。五百年前のヨーロッパには、既に地下数百メートルまで坑道を掘る技術があったとされている」


「人間は好奇心を持つ生き物だ。内部に警告のメッセージを残しておくことはもちろん重要なことだ。しかし、彼らがもし、我々と同じ言葉、記号を共有していなかったら?どう伝えればいい?」


「図像なら有効だろうか?明白な危険性を示すような、なにか禍々しい建築物を残しておくべきか?あるいは、ここは人類の記憶から失われるべき場所であり、地上からオンカロの痕跡そのものを消し去った方がいいのか?」

  • 彼らの議論は、放射性廃棄物の処理という、極めて現実的でやっかいな事柄を、なにやら抽象的でSFめいたものに変えてゆく。
  • 「文明崩壊後のビジョン」「秘められた古代文明の遺物」はSFにおける基本パタンの一つだと思うが、「核のゴミ捨て場」「未来の【我々】が接近するのを阻止するには」というテーマは、異彩を放つのではないだろうか(とはいえぼくはSFに疎いので、実際のところは、よく分からない)。
  • Wikipediaによれば、「地層処分」を検討するにあたって、世界的には下記のような事柄が考慮されているようだ。


将来世代による処分地への意図しない接触を抑止し、意図的な接触を行うか否かの意志決定に資する目的で、遠い将来まで残しうる記録媒体の開発、および方向性は逆であるが考古学的な視点を含めた記録保存の研究も行われている。


保存されるべき情報のレベルは以下のように区分される。

  1. 初歩的情報(「何か、人造物がそこに存在する」)
  2. 警告情報 (「何か人工物が存在し、それは危険である」)
  3. 処分場に関する基本情報 (5W1Hに関する情報)
  4. 処分場に関する総合情報 (詳細な記述、図表、グラフ、地図、ダイヤグラム等)
  5. さらに詳細な情報


フリー百科事典 Wikipedia:「地層処分」より 

  • 1および2の項目は、フィンランドで議論されている内容と同じものだ。
  • 「何か人造物が存在し、それは危険である」
  • そして、施設の情報を詳細に記録保存し、次世代以降の「我々」へ伝えてゆくという姿勢。これは現実的な解だ。
  • フィンランドでは、そこからさらに踏み込んで、「すべてが失われる可能性」を、伝達方法を検討する前提になっているのが特異だ。
  • かれらの論点は非常に興味深くはあるのだが、計画が実行段階に達したなら「そんなことまで考慮する必要などない」と、ぼくは思う。
  • 真剣に「人類以後」の世界にまで思考の射程を延ばすという行為は、現在の政治が果たす役割ではない。
  • 「我々」ではないかもしれない「我々」への警告を、「我々」はどうやって可能にするというのか?それは、文学か、哲学か、あるいは宗教が取り組むべき領域だろう。

ある日、人類は新しい火を発見した…

  • 前段ではSFなどと書いたが、100,000年後の安全というこの作品自体も、政治的メッセージを含む部分以上に、そうした色彩が色濃い。
  • 監督のマドセンは、コンセプチュアル畑の映像作家というだけあって、ありがちな反原発系映画のように、おどろおどろしい記録映像を組み合わせて、素朴なヒューマニズムを真正面から叫ぶ粗雑な作りをしてはいない。
  • いくつか映像エフェクトも用いながら撮影された中間貯蔵施設への燃料搬入や原子炉の核燃料交換の貴重な映像、オンカロ建設に携わる関係者へのインタビュー編集の手際は、非常に効果的な用いられ方をするクラフトワークの音楽(そう、ご想像通り、Radioactivity!)を伴って、静かだが深々とした「核」の圧迫感を観者に与える。
  • 映画の冒頭部、暗闇の中で擦られたマッチの火に照らし出されたマドセンが「ある日、人類は新しい火を発見した。その火は強力すぎて消すことができなかった」と語る箇所も、強い印象を残す。
  • そして、ときおり挿入される美しく幻想的なオルキルオトの雪景色と、掘削現場、その坑道内部を進むカメラは「禁忌の場所に入りこんでしまった未来の我々」の視線と重ね合わされている。クラフトワークに変わって今度はソプラノの絶唱が坑道の神秘的な暗闇に響き渡る中、段々と、奥深くまで「侵入」してゆく「我々」に語りかけるマドセン自身のナレーションは、未来透視した予言者のような趣だ。


「君は、ここがどういう場所かわからないのに、入ってきてしまった」
「とうとう、ここまで来てしまったね。気づいていないだろうが、君はもう既に被ばくしている…」
「まだ間に合う。私は引き返すように、警告する…」

さらなる「オンカロ

  • オンカロは現在進行形で、岩盤掘削に関して未知数の部分も多いようだが、今後、世界中でさまざまなオンカロが必要とされるのは確実だ。
  • 作品中でも言及され、これまでも様々に指摘されてきた再処理工場と関連施設の抱えるリスク(発電所そのものより遥かに高いとされる環境汚染に加え、フランスのラ・アーグでは核テロリズムを常時警戒し、地対空ミサイルが配備されることもある)を考慮すると、地層処分場の需要は高まり続けるだろう。
  • 冒頭付近で、計画だけは世界でいくつか進行していると書いたが、ドイツ、スウェーデンでも既に地層の調査が開始されているという。
  • いまだ福島での大事故のさなかで混乱している日本においても、これは喫緊の課題である。国内には既に「待機中」の使用済み燃料が多数存在しており、単独の中間貯蔵施設すら存在しない *6 ため、長年、国外の再処理施設に送る段階までは原子炉建屋内のプールや敷地内の乾式キャスク貯蔵施設に保管されており、それが今回の事態に大きなリスクを追加してしまった。
  • 在米の批評家である冷泉彰彦によれば、この使用済燃料の「行き場なし」状態は米国も同様だとのことで、前世紀からネバダ州のユッカ・マウンテン山地の岩盤に永久貯蔵施設を建築する予定だったが、オバマ政権下で計画事態が中止に追い込まれた為、全米の使用済み燃料プールが日本と同様、「数年貯蔵した燃料と直近で交換した新しい燃料が同時に保存され、容量が限界に近付いている」という。
  • 先日明らかになった日米によるモンゴルでの各廃棄物処理場の建設計画*7 *8も、両国における高レベル放射性廃棄物処理の難航を反映している。
  • 今後、世界の原子力発電がどのような道筋を辿っていくのかは不明だが、少なくとも「福島以後」原子力を放棄する方向に向かわざるを得ないであろう日本にとっては、「ゴミの取り扱い」について(そこに多くの困難が伴うとはいえ)、フィンランドが先んじて実行に移した予防的行動が一つの回答であることは間違いないと思える。

第六回「新宿文藝シンジケート」読書会

  • 既に10日が過ぎてしまったが、4月23日の土曜日に、第六回「新宿文藝シンジケート」読書会が行われた。
  • 課題図書は二冊。片山洋二郎「オウムと身体」竹熊健太郎「私とハルマゲドン」
  • 最初は読書会の代表、サエキ・カズヒコさん(id:utubo)(http://twitter.com/#!/utubo)が推した片山氏の著作だけが対象だったが、関連書籍として、ぼくが竹熊氏の本を追加提案した。
  • しかし結局のところ、会で行われた対話の大半は、前者を巡るものになった。


 

  • 「オウムと身体」の著者である片山氏はあの菊地 成孔にも信頼される整体師だという。
  • 本の内容を要約すれば、こんな感じだ。


「いま、世間ではオウム真理教のような極端な反社会的な行為が一定の人々からシンパシーを得ている。その理由を施術の現場から得た経験を基に分析し、現代の身体がおかれた状況からの必然と定義付け、そうした負荷を実践的に解消する術を提示」

  • まあ、なかなかに「きわどい」シロモノであった。
  • このエントリではその「きわどさ」を詳しく書く気はないが、あえて好意的に捉えれば「実践的」でありすぎ、揶揄的に一言で表現するなら反証可能性を欠いた、非科学的な個人的見解=電波」と切り捨てることが可能なもの、だ。
  • 西洋医学の公式見解を信ずる人からすれば、いわゆる東洋医学全般が「非科学的」と括るに値するものであろうが(ぼく自身はこの立場に賛同するものではないけれど)、とりわけ「オウムと身体」は論旨の整合性や一貫性、客観性に欠けており、「エネルギー」「神秘体験」など、独自の定義で使われる語が多く、酷評する参加者もいた。
  • 「ある種トンデモ本で、しかもそのカテゴリーとしても中途半端で、たいして面白くない。オウム報道をテレビで見ながら、漠然と思いついたことを書き留めただけと感じた。整体にせよ東洋医学にせよ、もっと歴史的な文脈があるだろうし、そこを踏まえて欲しい」というふうに。
  • ただ、そうした微妙な反応が多い中、ぼくの印象に残ったのは次のような、身体的に本を理解しようとする感想だった。
  • その発言をした人は、過去に何度かメンタルを患って、定期的に通院していたこともあったという。


「こういう本の内容は、“こころ”“からだ”を悪くしないと伝わらない、分からないものではないか。自分はこの本を以前から知っていて、何度か読んだが、そのときの身体や精神が置かれた好不調の状態によって、受ける印象がだいぶ違った。非常に下らないと感じるときと、中島義道ではないけど、“からだ”で分かると思った瞬間と、一様ではない。テキストとして精緻に読むようなものではなく、書かれているトレーニングの実践によって、からだに効果があった!分かった!と思えるかどうかが重要。だから、こうして読み合いをするのには向かないかもしれない。心身共に健やかな人には全く理解不能だろう」

  • 「効果で分かればよい」「テキストの非現実性、非論理性はあまり問題ではない」
  • このような意見で賛意が示される本は、知的な普遍性(当該テキストが広く他者の理解が可能な論理で貫かれており、個人的感覚に依拠しすぎることがない、という程度の意)を重んじる観点の人たちからすれば許容し難いものだろう。
  • 実際、オカルト詐欺師たちは、その辺りを故意に悪用して人々を騙すのだが、ぼくは、そうした「きわどい」本や、「共感」に寄りかかった「読み」を全否定することはない。
  • ある人に、あるとき、何故そのような共感が生まれたのか?あるいは、なぜいつの間にかそれは失われたのか?そこで生まれた感情の濃密さや落差の具体的なディティールに興味があるし、知りたいと思う。
  • ぼく自身は、現在、幸いにして“こころ”“からだ”も患ってはいないが、年と共に、だんだんと、肉体の衰えが精神や思考に及ぼす影響というものが「実感」や「想像」できるようになってきたし、それに伴うように、生きてゆく上で、何事かを「“からだ”で分かる」という、ある種、自己完結した不合理な感情を覚える機会も、増えているからだ。
  • そして、それらに(作品で)言語を与えなければ、という強い圧迫感が、ある。
  • なので、今回は(「私とハルマゲドン」の方は、テキストそのものが十分に面白かったが)課題図書そのものというより、参加者から出された感想、それぞれの対話に、得るところが多かった。
  • 「読書会」としてそれでいいのか、という話もあろうが、SBSは、全員が血管を破裂させそうな、しんどい顔をしながらハードに1ページ1ページ、一行一行を読解するやり方より、参加者の生産的なディスカスの触媒となるぐらいの、おおらか〜な「読み」をモットーとしているので、これでいいのである。

多摩丘陵・散歩日記・Part.2


Part1からの続き





  • 聖蹟記念館がある公園からすぐのところに位置する慰霊苑には、「拓魂」と掘られた石碑が据えられている。
  • 満州開拓殉難者之碑」と名付けられたその慰霊碑は昭和38年に建立されたもので、敗戦後に満蒙から引き揚げてきた開拓移民関係者が行った熱心なロビー活動の成果であるようだ。
  • 慰霊苑の正式な名称は「拓魂公苑」といい、現在は都の管理施設になっているが、「社団法人 全国拓友協会」「拓魂碑奉賛会」によって毎年4月の第二日曜日、合同慰霊祭であるところの「拓魂祭」]が行われている。
  • 少し調べたところでは、碑は開拓地として選ばれた中国東北地区の方角を向いて建てられているのだという。
  • 「拓魂」の文字は、茨城に「満蒙開拓青少年義勇軍訓練所」を開設し、「満蒙開拓の父」と呼ばれた加藤完治が筆をとったとのこと。
  • 碑の側にそびえるもう一つ別の大きな石碑に、詳細な経緯が記されている。





  • 毎年行われる「拓魂祭」では警視庁音楽隊のファンファーレから始まり、国旗掲揚・国歌斉唱に加え、戦時中の青少年鍛錬に使われた「日本体操(やまとばたらき)」の掛け声である「天晴れ、おけおけ」が叫ばれ「弥栄三唱(いやさかさんしょう)」も為される。そして、慰霊祭の最後には下記のような歌を全員でうたいあげるそうだ。


万世一系 たぐいなき 天皇(すめらみこと)を 仰ぎつつ
天涯万里 野に山に 荒地開きて 敷島の
大和魂 植うるこそ 日本男児の 誉なれ(以下略)

  • ぼくは不勉強にして、つい最近まで家の近所にこのような曰くつきの施設があることを全く知らなかった。
  • 普段は近所からも殆ど忘れ去られたような小さな慰霊苑ではあるが、その存在に関しては、年一回の慰霊祭も含め、人々の政治的姿勢によって強く賛否の立場がわかれるだろう。  
  • 典型的な左翼のスタンスからは、それは単に愚行だ、と指弾される。中国大陸侵略の尖兵であるも同然だった開拓団を批判無く賛美的に振り返るのは、愚かな戦争への真摯な反省を欠いた盲目的な国粋主義天皇主義を未だに信望している証だ、ということになる。
  • 他方、大方の右翼的スタンスからすれば、あまりに悲劇的に砕かれた遠大な夢の残滓を今なお偲ぶ、美しく感傷的な集いであるだろう。国家は顔を背けず、彼らに正当に報いよ、と言うだろう。
  • もちろん、片方の当事者である中国大陸の人々からは、言語道断の無反省な軍国主義懐古、という反応しか得られまい。
  • しかし、いずれにせよ八万余の開拓団が大陸でその生命を散らしたのは事実だ。
  • 国中の貧農三十数万が五族協和「王道楽土」だと過剰に煽り立てられ、大きな希望を抱いて故郷を捨て、開拓へと乗り込んだ顛末としてはどうにも無残である。
  • この「拓魂公苑」は、その無残をも含めた記憶を振り返るよすがとなるもので、老人たちにとっては「聖地」なのだという。ぼくには、毎年ここ集まる人びとから、たとえ著しい時代錯誤や思考停止を感じようが、そのささやかな集いに対して、薄気味悪い反日市民団体のように鼻息荒く批判を飛ばすのは酷だと思える。
  • 何もかも無くし、失意のうちに帰国せざるを得なかった開拓民たちの一部は、再起を期した故郷の土地でも、今度は成田空港の用地問題という泥沼の争いに巻き込まれ、国家からさらなる裏切りを受けているのだから、なおさらだ。





  • それにしても、石碑には本当にさまざまな地域を冠した「開拓団」の名前が彫ってある。
  • 日本人は国外に出ていかない、排外的であり、移民の歴史も無い、とよく言われるが、明治から敗戦後十年程度までの期間には、その指摘はあまり当てはまらないように思う。
  • 満蒙開拓の試みは単なる移民という以上に大陸侵攻の駒という側面を持ってはいたが、それ以外にも困窮した多くの国民が、やむにやまれず、ときには半ば騙され、追い出されるようにして祖国を去っている。そして貧困からの脱却という切迫した希望を抱いて、アジア、中南米、北米の地へと向かった。 
  • 敗戦によって、それら「移民」の少なくない数が祖国に引き揚げてきてはいるが、日本人が「外」を目指した/目指さざるを得なかった歴史があったことに変わりはなく、戦後も、国中に溢れる貧民に苦慮した政府が「人減らし」のために意図的に弄した虚偽にのせられてドミニカへと渡り、辛酸を舐めた農民たちもいる。
  • 個別の事例については、既に多くの証言が残されている場合もあれば、逆にキューバへの移民のように非常に資料が限られているケースもあり、状況はさまざまに分かれるが、いずれも後世に語り継ぐべき、重要かつ貴重な物語であることは間違いない。




  • いま、3月11日の巨大地震によって引き起こされた地殻変動によって、日本は「新たな地震の時代」に突入したと言われており、それを切っ掛けにした福島第一原子力発電所の深刻な事故、及び派生した経済的打撃で国家が大きく揺れている。
  • そして、「福島での事故が収束しても、また地震津波という強烈なコンボが国土を襲い、各地の原発が事故を起こすのではないか」という懸念で、主に富裕層の中に「移民」を検討する人が増えているのだという。
  • なかには、御自身を第二次大戦中に欧州から戦火を避けてNYに退避したブルトン等になぞらえて、「沈没国家から亡命を決意した!」などとまくしたてる「文化人」もいるという。
  • こういう「(金銭的)余裕のあるテンパッた人たち」の懸念が現実になるかどうかは不明だが、ただ、これから段階的に、確実に「貧しく」なるであろう日本に見切りをつけて海外を目指す若年層が増え、新たな移民の時代が日本に訪れる可能性に関しては、あながち空想的とも言えまい。
  • そう考えてみてから再び「拓魂公苑」の慰霊碑を眺めると、無言で並ぶ石の墓標が訴えかけるものが、なにやら奇妙に示唆的である、、、、ような気もしてくるのだ。

多摩丘陵・散歩日記・Part.1




  • 先週のこと。完全に散ってしまう前にと、自宅から歩いて三十分ほどの都立桜ヶ丘公園・大谷戸公園へ桜を見に行った。
  • ここは多摩丘陵に三つの公園が重なって形成される場所で、中心部の「旧多摩聖蹟記念館」周辺は地味ながら独自の雰囲気を持った桜の名所だ。
  • ぼくが通わされていた保育園や市の児童館はこの公園からほど近い住宅街の中にあり、小学校ぐらいまではよく遊びに行ったものだった。いまでも桜が咲く季節になると、散歩に出かけている。
  • 辺りの風景は二十数年前とあまり、というか、ほとんど変化していない。
  • 既視感が、ノスタルジーの感情を強く喚起する。





  • 既に葉桜になりかけている木も多く、満開のタイミングは逃してしまったが、のどかな丘陵に点在する桜はやはり美しかった。
  • 晴れわたった空とぬるい微風、汗ばむほどの気温のなかでうろついた丘はとても穏やかにまどろんでいて、その雰囲気は、頻発する余震や危機に直面している原発という、世間を動揺させている重く、暗い言葉とは完全に切り離されていた。
  • 「茨城沖で採取したコウナゴから基準値を超える値のセシウムが検出され…」
  • 桜の写真を撮っていると、あずまや付近のベンチでからあげや枝豆を食べながらビールを飲んでいたおやじたちの付けていたラジオから、「ムーミン 」枝野官房長官の声がする。
  • 福島第一原子力発電所の事故で海へと漏れ出した放射性物質の、魚介類への浸食について会見をしているのだとわかったが、きわめてシリアスであるはずのそんな報告でさえ、ここでは、別世界のできごとみたいに聞こえる。
  • セシウム?別にどうってことないでしょ?というふうに。
  • セシウムってのは体に悪いってんだっけ?」「そりゃ、良かぁ〜ないだろ。基準値を超えたとか言ってるしな」「困ったもんだな、ホーシャノウってのも」
  • 平日の昼からまったりと酒盛りをする暇そうな初老のおやじたちは、信じられないくらい地味な色のズボンやベスト、ジャンパー、帽子などの身なりからしておそらく年金生活者と思われたが、すべての言葉が弛緩していて「基準値」「セシウム」「放射能のように、強い緊張感を喚起するはずの単語も、泡のように実体を持たないまま、弾けて、消えてゆく。
  • じき、話題は巨人の澤村の成績がどうしたこうしたという方向にシフトしていった。




  • 明治天皇の当地への行幸を記念して作られた施設で、1930年(昭和5年)11月に元宮内大臣田中光顕が中心となり、当時の人々の土地の寄付や工事の協力などによって、現在の都立桜ヶ丘公園内に建設、開館された。聖蹟(聖跡)とは時の天皇行幸した地の呼称で、他にも日本各地に「聖跡」と称する記念碑等が見受けられる】
  • ウィキペディアにもシッカリ記載される通り、多摩丘陵に明治帝が狩猟や鮎漁で訪れたことを「聖跡=聖蹟と記念して建てられたもので、ぼくの自宅最寄り駅である聖蹟桜ヶ丘の名前も、そこに由来している。いわゆる右派の人々にとっては、なかなかテンションの上がる場所だと言えよう。
  • さまざまな木々や植物が鬱蒼と生い茂る雑木林を登った丘の上に、突如として出現する近代西欧建築の「はりぼて」は、やや異様で、浮いている。
  • 戦後、1986年に改装工事が入るまでは荒れ果てていたようで、特撮ヒーローものの番組で悪の秘密組織の基地として使われたこともあると聞いた(竣工当時は建物の周囲に木々などは無く、有様はさらに奇妙である)。
  • 内部には渡辺長男作の明治天皇騎馬像があり、幼いころはそれに不気味さと威風を感じもしたが、いまではそのパッとしないできばえと、暗くて辛気くさい「しょぼくれた小規模市立博物館」ふうの館内の組み合わせが、なんともキッチュな雰囲気で、味わい深い。
  • 一応、椅子とテーブルがあり、有料でコーヒーや紅茶を頼めるのだが、それは奧の給湯室で職員のバアさんがインスタントを作る手間賃だと思った方がよい。
  • この多摩丘陵には、上記の旧聖蹟記念館とは別に、もう一つ、日本の悲劇的な歴史を偲ぶ場所が存在する。
  • 館内を出て十分ほど丘を下り、駐車場のある公園入り口から住宅街に出てすぐのところに、その「慰霊園」はある。



(以下、Part2へ)